プレゼント
イスパルナ北駅を出発したあと、一行を乗せた列車はトゥージスの街まで快調に走り抜けた。
特に信号システムのトラブルもなく、概ね試験ダイヤ通りに運行することができた。
「想像以上だったね……」
体験したことのないスピード感に、フィリップは今も興奮冷めやらぬ様子で呟いた。
「今回は最高80km/h……開業時に予定してる最高速度で走ってます。イスパルナ〜トゥージスは約20km。それをおよそ20分で走ったので、表定速度は……約60km/hになりますね」
リディーが往路の試験結果をレポートに書き込みながら説明する。
「だんだんと感覚が麻痺してくるね。そういえば……このダイヤの許容誤差はどれくらいなんだい?」
レティシアの前世、日本であれば分単位どころか秒単位でダイヤが決められている。
たった数分遅れただけでも謝罪のアナウンスがされるほど、シビアな運行管理がされているのだが……
当然ながら、まだそれほど精密に管理することはレティシアも想定していない。
フィリップの問いにはレティシアが答える。
「営業開始時はそこまで過密ダイヤではないですからね。30分以内の遅れは定時扱いにする予定です」
今回の試験は距離が短いのでそれほど誤差も無いだろうが、距離が長くなるほどに管理は難しくなるはずだ。
そして、ダイヤの精度を上げるための課題はいくつがあるが……
「現状は時間計測の精度……つまり、時計の精度のバラツキが大きくて。ヴァシュロン製の超高級時計なら日差数秒くらいだったと思うのですけど……」
それほどの精度の時計ともなると、貴族や大富豪くらいしか手にする事ができない高級品だ。
実用品ではあるが、嗜好品でもある。
そして定期的なメンテナンスにもコストがかかる。
そんな高級品を、運行に携わる全ての人員に行き渡らせることなど予算的に不可能。
そうすると、精度のあまり高くない普及品を使うしか無いのだ。
「なるほどね。そういう事なら……僕も力になれるかもしれないな」
「え……?」
まさか王族権限で安く提供してくれるのだろうか……などとレティシアは一瞬考えたが、どうやらそういうことではないらしい。
「アレを出してもらえる?」
フィリップは同行した技術者の一人に声を掛ける。
彼は一つ頷いて、持っていた鞄の中から宝石箱のような小箱を取り出した。
それを開けると、中には懐中時計が収められている。
一見してレティシアが知るものと変わりはないように見えるが……
「この時計は……?」
「これは最近ヴァシュロンの工房が新たに開発した、全く新しい時計なんだ。まだ試作品ではあるけど……」
「新しい……時計?」
この世界にある時計と言えば機械式である。
しかしフィリップが披露したそれは、時を刻む仕組みが全く異なるという。
「時計の動力はゼンマイ。そして一定のリズムで時を刻む部品をテンプというんだ。でも、この時計の動力は超小型の魔導力モーターで、テンプの代わりに魔力で振動する水晶を用いてる」
(……ク、クォーツ式時計だ!!)
レティシアは前世にもあったそれを思い出し、驚愕する。
「機械式時計が高コストになる理由は……部品点数の多さと、それに求められる精度の高さ。細かな調整の難しさ。そうであるが故に、職人に求められる技術力も高いものが要求されるから、人件費も当然高額になる」
その説明にレティシアは頷く。
前世の高級機械式時計もそのあたりは同じだろう。
「しかし、この時計……魔水晶時計は、部品点数を大幅に削減することでコストも削減でき、かつ機械式以上の高精度が得られるんだよ。これが出来たのも、君たちが発明した魔導力モーターがあったからこそだね」
リディーの研究とレティシアのアイディアによって生み出された魔導力モーターの原理については、鉄道関連の技術の一つとして公開されている。
近年は鉄道以外の分野でも応用されつつあるが、魔水晶時計もその一つと言うことだろう。
「凄い!やっぱりヴァシュロンは技術の国ですね!」
「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ、これは君に進呈するよ」
「え……いいんですか?まだ貴重な品なのでは……」
まだ試作品とのことなので、大量生産のラインは立ち上がっていないだろう。
であれば、彼女が言う通り貴重な品物であるに違いない。
「きっとこれから必要になると思って……もともと君に渡すために持ってきたものだから大丈夫。まあ、視察のお礼と思ってもらえれば」
「フィリップさま……ありがとうございます!」
思いがけず貴重な品物をプレゼントされ、レティシアは上機嫌でお礼を言った。
(……リュシアンから聞いた通りだね。感謝するよ)
フィリップは今回の訪問で、できるだけ自分のことをアピールするためにプレゼントを検討していたのだが……
事前にリュシアンに確認したところ、花や宝石、洋服などには全く興味を示さないと聞いていた。
実用的なものを好むのであれば……と思って用意したものだったが、それは正解だったようだ。
そして、その様子を見ていたリディーは……複雑そうな表情を浮かべていた。




