平和をくつがえした罪のアジ
お魚を釣りました。いっぱい釣れました。猫さんが来ました。あげました。とっても喜んでいました。つぎつぎ来ました。次々あげました。次々喜ぶと思いましたが、争い始めました。怖くなりました。クーラーボックスを片付けて、竿もたたんで、急いで逃げました。追ってきます! とある海岸のことでした。
ニャーニャー言いません。フギャーフギャーと唸ってます。怖いです。ジーンズの裾に爪を立てられました。一匹にとどまりません。五六匹が登ってきます。ももが痛いです。かといって蹴飛ばすわけにはいきませんから、用心しながら早歩きするしかありません。もうクーラーボックスを手放しましたが、猫畜生には開けられません。あきらめてまたこっちに寄ってきました。片手に竿を、もう片手に餌箱を持っていますから、ぶっ叩くわけにはいきません。猫の方も落ち着いたみたいでニャーニャー甘える風になりました。でも、獣の足並みはボクの脚につかつはなれつしています。尻尾なんかも真っすぐに立ててついてきます。どこから来たのか十匹くらい見えます。ボクはもう一度クーラーボックスの方に戻りました。何とかなりそうに思えたからです。猫は真面目な顔をしてボクを見ています。そして、さっきまでとは魂が入れ替わったようによそよそしく、後ずさりしたり、むこうに回ったり、とにかく警戒している感じでした。しかもそんなのがモコモコいっぱい蠢いているのです。
クーラーボックスに手をかけると、早とちりした一匹が箱をガリガリやり始めました。すると、相棒みたいなもう一匹がその猫に襲い掛かるのでした。ボクにしてみればそんなものを相手にしている余裕がないのだから、猫のまつわっていないうちに箱を担ぎ上げて、堤防の向こうにとめておいたヴォクシーへ走りました。はじめ飛び跳ねたようにして遠ざかった二三匹を見て、今のうちに行ってしまえると思って走りましたが、すぐに獣の狂暴な声をあげて、いっぱいの群れになって追ってくるのでした。
しかも、横からも跳びついてきますし、参ったのは足を出すその目の前に出てくるものですから、二の足を踏んで、またしても猫の海の中に立ち往生するのでした。
仕方ないと思って、クーラーボックスのなかの、なけなしの小あじ十二匹を全部くれてやるよりほかはないという決心をしました。箱をあけます。ふたの爪に手をかけたときには、動作を知っているものと見えて、猫もふたを開けようとしていましたし、甲をかじろうともしてきました。だから、どうしても丁寧に仕事が出来なくて、それからそう思えば思うほど焦ってきて、ふたを必要以上にガタガタ鳴らしてしまうのでした。そのために猫を怒らせまいかとも思いましたが、いまはとっとと魚をくれてやるほかないと考えるばかりの頭のなかでしたので、とにかく開けてしまおうとしました。
開きました。猫が箱をのぞき込むのです。思い返せば可愛い光景でしたが、三匹四匹と前足をかけてきて、ともすれば冷え切った魚と氷のなかにダイブしてしまう態勢だったので、ちょうど豆まきのとき桝の中の大豆をぶちまけるみたいに、ボクはクーラーボックスを猫ごと掲げて、中身をそこら一帯にくつがえしました。
アジも氷もドバっといきました。コンクリートのおもてに黒いあとを作って、こんもりと広がりました。猫がその丘に、あっちからこっちから跳びつきます。あっちの猫が寄り付くと、こっちの猫が追い払うようにとびかかります。喧嘩しています。すごい争いが起こっていました。釣りをする前はあんなに静かだったのに、ヤバいです。怖いので逃げました。
落ちついて、車の中からちょっとあのあたりを見ますと、まだ何やらやっていて、なんだか笑えます。人が釣った魚だと思って、遠慮なしに持ち去っていき、まるではじめから自分のものだったみたいにふてぶてしいのですから。進行方向には、魚をくわえた猫がよこぎりました。こいつァ良い役者猫だな、とフロントガラス越しに言ってやりました。
怖いには怖かったけど、いまになってみれば、あれだけの猫のいさかいの種をまいたのが、快く思い出されるのでした。おわり