僕のためだけの世界
僕が転生してから、どれぐらいの時間が経ったのか、正確な日数はわからなかった。
おそらく、30日ぐらいは経ったのかも知れない。
私は、数え切れないほど眠っては起き、数え切れないほど母の乳を飲み糞を流した。
生まれてからずっと、僕はこの小屋の中に居て、外に出ることは一度も無かった。
この部屋には窓も無かった。
ここは、閉ざされた、僕のためだけの世界のように思えた。
僕が転生したこの地は、日本に比べて生活水準の低い場所のようだった。
おそらく、ここは東南アジアか、もしくは南米やアフリカの先住民の住まいなのではないだろうか。
母は、日焼けした肌と、黒い髪の毛、黒い瞳を持った、美しい女性だった。
鏡が無いので確かめられないが、おそらく、僕も同じように、黒い髪と黒い瞳の赤子なのだろうと思う。
木材で作られた質素な部屋の中には家電製品も無く、家具や調度品は石や木材で作られた簡素なものばかりだった。
部屋では常に炎が焚かれていた。
その炎が強くなったり弱くなったりする周期が、おそらく1日の始まりと終わりであるように感じられる。
そして、これは最も重要なことであるが、僕の周りの世界は、少しずつ不快では無くなっていった。
今の僕にはこの小屋の全てが見通せた。
ゆらぐ炎がパチパチと燃える音は、とても心地いい。
部屋の空気は常に暖かく、母の匂いは安らぎを与えてくれる。
いつしか、母以外の女性も何人か、代わる代わる、僕の様子を見に来たり乳を吸わせに来てくれた。
僕の傍には、基本的にいつも母が居てくれたが、母がたまに部屋を離れるときは、おそらく親戚かどこかの女性たちが代わりにこの部屋にやって来た。
最初は彼女たちの乳を吸うことに、多少の戸惑いもあった。
しかし、大きな愛情をもって彼女たちは僕に接してくれていた
そして、私は空腹には勝てなかった。
母がいないとき、私は彼女たちの、誰かの乳を飲ませてもらわなければ、不快に飲み込まれてしまうのである。
本当の親子の愛情と呼べるものは、母である一人の女性にしか感じられないはずなのに、僕はいつしか、乳を飲ませてくれる彼女たちにも、同じように愛情を感じるようになっていった。
同じように、はじめて、おむつの布を母以外の人間に変えられたときは恥ずかしかった。
しかし、それも、何度か繰り返すうちにどうでもいいことのように感じられた。
母と彼女たち以外の人間は、一人の年寄りのお爺さんがたまにこの部屋にやって来るだけだった。
彼は、おそらく僕の父親では無いように思えた。
高齢の男性でも生殖能力があるだろうことは予想できたが、なぜだろうか、僕は漠然とそのお爺さんを父親だとは思わなかった。
お爺さんはたまにやって来ては、僕の様子を見て、頷いて帰って行った。
彼は鋭い眼光の奥で、何かに納得したり納得していなかったりしているような、そんな様子だった。
世界は希望に溢れているような気がした。
僕はまだ、この地の言葉は喋れなかったし、ハイハイも出来ない赤子だった。
しかし、母は常に愛情をもって僕に接してくれた。
僕が笑ってみせると、彼女は目の横に大きな皺を作って笑い返してくれた。
僕の幸せが彼女の幸せであるかのように、彼女の幸せが僕の幸せであるかのように、感じられた。




