【百合短編】ウィニペグの人狼 ―後編―
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ここで話が終わっていれば、ただの一つの悲しい美談で済んだのかもしれない。しかし、悲劇はさらに続く。
ジェイミーの埋葬からほどなくして、街から少し離れた河岸にレノードとニネットという祖父と孫ぐらい歳の離れた父娘が移り住んできた。
レノードは罠師であり、狩りの下調べの際、セント・ボニフェース教会付近の河岸でずいぶんと大きな人狼の足跡を発見し、驚きのあまり声を失う。また、その直後にハドソン湾でも巨躯の人狼の噂を耳にする。
何でもその人狼は、セント・ボニフェース近くの森に執着しているのだという。
レノードはその話に半信半疑であったが、クリスマスイヴに教会の鐘が鳴り響くと、近くの森からとても切ない哀調を帯びた一人の女人狼のものと思われる遠吠えが聞こえた。この遠吠えで、件の噂が本物だと確信する。
彼は試しに、その遠吠えを真似てみた。すると森の中から大柄な人狼が姿を表し、レノードを見据えてくる。暗くて姿形ははっきりとは見えないが、夕闇に光るその瞳は何を思うのか。
彼女は怒ったような唸り声を上げると、レノードに興味を失ったのかまた森の闇の中へと姿を消す。確信は確定へと変わった。
街の人々も、ほどなくして夜の街を巨躯の人狼がうろつくようになったことを知る。犬という犬が片っ端から殺され、酒場帰りの客も襲われたという噂も立つ。厳戒態勢が敷かれた街では銃で武装した者たちが警らし何度か追い詰めたものの、ことごとく逃げられた。
その人狼は銃の射程、罠、毒餌、あらゆる害への対処を学び、ウィニペグの人々と犬たちはその無敵の殺戮者に恐怖する日々を送る。
被害がじわじわと拡大する中、やんちゃ坊主たちが肝試しとして夜の街に繰り出す危険な行為に出た。はたして、彼らは運悪く噂の人狼と遭遇してしまう。子どもたちは恐怖で凍りついたが、彼女は少し目を合わせただけで、そのままどこかへと走り去ってしまった。
ウィニペグを恐怖に陥れている殺戮鬼も、このように子供にだけは絶対に危害を加えることはなかったのだ。
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話はニネットに移る。彼女は十六歳で、とても美しいと評判だった。しかし若さゆえの過ちというべきか、よりによってあの飲んだくれのポールに惚れ込んでしまう。ポールの取り柄といえばダンスとバイオリンで、彼女はこれの虜になってしまったのだ。
だが、当のポールはといえば誠実さという概念の真逆にいるような男で、ケベック州にすでに妻がいるという噂まである。
レノードはポールの本性を見抜き娘から遠ざけようとしたが、父には従順なニネットもポールのことだけは諦めてくれない。そんな折り、ポールはニネットに密かに駆け落ちの相談を持ちかける。
次の仕事から帰ってきたら実行に移そうという話になり、ポールは配送会社から三頭のエスキモー犬とソリを借りて、荷物を運ぶ仕事に向かう。往復一週間の旅で得た二十ドルを軍資金にするという算段だ。
ポールのもう一つの特技に犬追いがある。しかし、そのやり方は非情かつ冷酷で、まさに暴君のそれであった。
ウィスキーをだいぶ引っ掛けてからソリを川沿いに下流へと走らせて行く。途中、レノード父娘の小屋の前を通り過ぎ、ニネットが手を振って見送るが、それが彼女が見たポールの最後の姿となる。
その夜、犬たちだけが犬小屋の方へばらばらに帰ってきた。随分と深い傷を受けていたが、不思議と飢えてはいないようだ。
会社が不審に思い、飛脚を走らせソリの跡をたどると、氷上に放置された荷物と散らばったソリの破片、そしてずたずたになったポールの衣服が発見された。
報告を受けた会社員はその報告を信じようとしなかった。自分のところの犬が人を食い殺したとなれば会社の信用に関わるし、何より大事な財産である犬たちを殺処分しなければならない。
そこで罠師であるレノードを伴い、精密な調査をすることにした。
現場から五キロ離れた位置で、レノードは大きな人狼の足跡を見つけた。人狼の足跡は最初何かを慎重に確かめるような動きをしていたが、何らかの確信を得たようで一気にソリを追う動きに変わっている。
荷物は途中で紐を切って捨てて、ポールはとにかく逃げることにしたらしいことが痕跡から判明した。さらにその先の雪の中から一握りのナイフが見つかった。そして急に人狼の足跡が消え、ソリがさらに急加速している。
これは、人狼がソリに飛び乗ったことを示していた。犬たちはそれに怯えて、狂ったように走ったわけだ。ポールと人狼はソリから転げ落ち、ポールはそこで殺害されたと思われる。人狼の足跡は、その後森の方へと消えていた。
一方ソリは1キロ半も暴走した挙げ句、大木に衝突して大破。犬たちは引き綱を噛み千切り、ポールのもとに再度集まっている。そこで先ほどまで自分を酷使していた暴君を平らげ、会社に戻った……そう足跡が語っている。
犬たちは良くないことをしたが、殺人の疑いは晴れた。
壮絶な出来事を語る痕跡を観察したショックから立ち直ると、レノードは安堵してこう語る。
「あの人狼の仕業だ。あいつの牙が、大事な娘をろくでなしの毒牙から守ってくれたんだ。あいつは、子供には優しいからな」
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しかし、それは危険な殺人者が近くの森に潜んでいるということに他ならず、何の免罪符にもならない。
ただちに大規模な人狼狩りの体制が敷かれ、クリスマスの日に決行となった。ウィニペグの犬という犬が集められ、例の三匹のエスキモー犬や猟犬、農場犬などなど実に種々雑多な五十を超える数の犬と、それを扱う騎乗し銃で武装した男たちの一軍、そして野次馬の群れが出来上がる。
狩りは最初、セント・ボニフェースの東の森から開始された。虱潰しに森を捜索していくが、かの人狼は発見できず。しかし、電話で街の西にあるアシニボワンの森近くで人狼の足跡発見の報が知らされた。
一時間後、アシニボワンは足跡を追跡して走る犬たちとそれを追う人々でごったがえす。果たして噂の人狼はついに発見され、たちまち激しい一対大多数の激しい競争が始まる。
彼女はレノードがあの夜見た通りの巨躯で、目撃者の中には「ホーガンの酒場にいた『人狼』ではないか?」と指摘する者もいた。
五十を超える犬の群れなどに人狼は微塵も恐怖を感じなかったが、銃の恐ろしさは知っている。彼女は疾風のように森に逃れようとするが、騎馬隊に回り込まれ退路を断たれてしまう。
後退を余儀なくされ、銃弾が飛び交う中を川の窪地沿いに進路を変更し、鉄条網を抜けてしばし騎馬隊の追跡をやり過ごす。
銃弾が襲ってくるため窪地沿いでの逃走を継続するが、犬の群れが追い迫り人狼の周りはもはや犬だらけになっていた。
しかし、犬たちは一匹として彼女に飛びかからない。その中一頭の猟犬が俊足を頼みに並走を試みるが、あっというまに牙を腹に受けて追跡劇からリタイアする。
騎馬隊が大回りで追撃し、戦場は街へと移っていく。人狼は勝手知ったる街中を駆け、屠殺場へと向かう。街に入ると更に多くの人と犬が人狼の追い込みに加わるが、人が増え家が立ち並ぶ中では逆に発砲の頻度は減っていく。
人狼は悟る。もはや退路なし、と。ならばせめて背後を守ろうと、木造の橋下に滑り込む。人々は橋を躊躇なく破壊し、人狼を溝から追い出す。彼女の覚悟もついに決まったようで、壮絶な数の犬と銃器で武装した人々に向き直った。
夜の闇に紛れてウィニペグ中の犬を殺し続けてきた彼女が、白昼堂々ついに最終決戦を挑んだのだ。
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彼女の表情はまさに不敵であり、眼光から戦意は潰えていない。ブルドッグが先陣を切り、それに合わせるように犬たちが一気に襲い掛かる。
唸り声と咆哮と悲鳴の上がる中、人狼は無敵ともいうべき戦闘力で一斉攻撃を三波も退けた。先陣を切ったあの勇敢なブルドックも、真っ先に地面に倒れ戦闘不能という有様。
犬たちはすっかり戦意を喪失し、遠巻きに唸って威嚇するのみ。一方人狼は、それで終わりか? と言わんばかりに意気軒昂であった。
しかし感情が高ぶりすぎたが故か、彼女は致命的なミスを犯してしまう。逆に攻め込もうと三歩踏み込んだことで、射線が通ってしまったのだ。人々はこの絶好の機会を逃さず、人狼に三発のライフル弾が叩き込まれ、彼女はおびただしい血を流しながら雪上に倒れた。明らかに致命傷だ。
人々のリーダーである男が、彼女の死亡を確認しようと近づく。犬たちの咆哮が騒々しかったが、今際の際にかすかに「ジェイミー」と、か細い声で絞り出したのを聞く。ウィニペグを二年間恐怖に陥れた人狼の命の灯火は、ついに消えた。
彼女はホーガンの酒場にいた、あの『人狼』ではないかという話が再度流れ、ホーガンに確認してもらうことになった。体躯も成長し顔つきもより精悍になっているが、おそらくあの『人狼』だろう、と彼が請け負う。
人々がざわめく中、レノードが群衆の中から進み出る。
「ホーガンさん。無理を承知で頼むが、こいつをあんたのお嬢ちゃんの傍で眠らせてやってくれるわけにはいかないか? 生前随分仲が良かったと聞いている。娘の恩人なんだ」
脱帽し、深く頭を下げる。ホーガンはしばし逡巡した後、黙って首を横に振った。彼は『人狼』に対してさほど深い情緒を抱いてなかったし、何より犬を失った人々の報復が恐ろしかったのだ。
「そうか、まあ仕方ない。街の連中にとっては敵でしかないものな。ならばせめて、セント・ボニフェースの森に埋めさせてくれ。それぐらいはいいだろう?」
これには特に反対意見も出ず、レノードの手で彼女は森に埋葬されることになった。
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壮絶な生き様を送ったウィニペグの『人狼』。酒場から逃れた後、街に戻って殺戮に明け暮れなければもっと平穏に生きる道があったのかもしれない。しかし、彼女が選んだのは炎のように燃え盛り、そしてあっという間に燃え尽きるたった三年の生涯。
彼女がなぜセント・ボニフェースに固執し、そのような道を選んだのかを知る術はもはやない。これは彼女の復讐劇だったのだろうか? だが、復讐に一生を捧げるようなことをするのは人間だけである。
ならば彼女をこの地に縛り付けていたものは、きっとこの世で最も強く尊い感情であろう。
その後、毎年クリスマスイヴの鐘が鳴ると、セント・ボニフェース墓地近くの森から物悲しい人狼の咆哮が聞こえるという。それはまるでジェイミーに捧げられる、慕情と哀悼の鎮魂歌のようであった。
<制作秘話>
いつものやつです。
今回の話の元ネタは、シートン動物記「ウィニペグの狼」です。ある意味「狼王ロボ」より好きなエピソードで、初めてこの物語を読んだとき、「子供だけは絶対に襲わないという独自の騎士道を持つ殺戮者」という精神性に、いたく痺れたものでした。
百合物語にするにあたって、ジェイミー (原作ではジムという少年)との掛け合いを増やして絆を強調し、逆にやたら自己主張の激しいシートンの語りや足跡分析・戦闘シーンはだいぶカットしています。
百合作品として見た場合、アニメ版のように酒場逃走後の話をばっさりカットする選択肢もあったのですが、それでは私がなぜ「ウィニペグの狼」にこんなにも入れ込んでいるのか伝わらないと思い、ジェイミー死後の出来事もきちんと描くことにしました。
私は以前、「狼王ロボ」を百合小説化していますが (https://ncode.syosetu.com/n9044gb/)、そちらとは「人狼」の設定がだいぶ異なり、犬に噛まれれば普通に負傷するし、鉛玉で死んでしまうという「強いけど特殊でもない生物」として描いています。
また、今回も狼耳かガチ人狼かは描写を曖昧にしてありますので、お好きな方で情景をご想像ください。