7. 無能者
■ 1.7.1
薄暗い魔王城の王の間に、俺の間抜けな絶叫が響き渡った後。
「いきなり召喚されて、軍師殿はまだ少々混乱しておられる様だ。ミヤ。」
「はい。こちらに。」
今まで絶対に誰も居なかった筈の俺の左側の柱の脇に、金髪を頭の後ろでまとめた、黒いメイド服の女の人が一人突然現れた。
「そちを軍師殿付きとする。委細頼む。」
「畏まりました。」
黒く滑らかな床に、カツカツと靴の踵の音を響かせて金髪メイドさんがこっちにやって来た。
「軍師様。お世話を仰せつかりましたミヤと申します。ご案内致します。」
薄暗いこの広間でもそれと分かる、柔らかそうな明るい色の金髪に、アイスブルーの瞳。
その冷たい色の眼が、何の感情もなくこちらを見下ろしている。
金髪碧眼メイドさんに冷たく見下ろされて、クゥーーーッ!
・・・と、普段なら思うところなのだが、生憎今の俺のナイーブハートにそこまでの余裕は無い。
「あ・・・ハい。」
さらに冷え切った視線で、俺にさっさと立ち上がる様に無言で威圧してくる金髪碧眼黒メイド服に、思わず声が裏返った。
立ち上がり、ミヤと呼ばれていたメイドさんの後を付いていく。
ミヤさんの後ろ姿を追いながら、頭の中は相変わらず大パニックで思考がぐるぐると々所を回りっぱなしだ。
魔王城はやっぱり全体的に明かりが暗くて、どこもかしこも黒光りする黒曜石の様なもので出来てるんだ、はあぁ、すげえなあ。
いや待て待て。ゲームの世界に異世界転移とか、常識で考えてあり得ないだろ。
多分もうすぐ、机に突っ伏してキーボードに涎を垂らした状態で目が覚めるんだ。そう言えばここのところ仕事がきつくて疲れも溜まってたしなあ。
だけどこのリアリティ、壁や床の質感、何よりも自分の思考が夢の中の意味不明なものとは違ってハッキリとしてる。これは夢ではあり得ない。
などなど。
思考が同じ所を何十回も回って、そろそろ溶けてバターになりそうになった頃、ミヤさんは、長い廊下沿いの他と区別の付かないドアの一つを押し開けて、部屋の中に入った。
後に続いて俺も部屋に入る。
部屋の中はやはり黒っぽい色を基調とした作りになっていたが、落ち着いた赤い色のソファや、重厚な作りの机と椅子、暗い金色と茶色で模様の描かれた壁紙、続き部屋には清潔そうな白いシーツの掛かったベッドと、黒以外の色がそこには存在した。
そして何よりも、王の広間からこっちずっと感じていた非現実感を打ち破る様に、確かに人が生活していく環境がその部屋には整えられていた。
「この部屋をご自由にお使い下さい。いつでも私がお近くに控えておりますので、御用の時はお呼び下さい。」
そう言いながらミヤさんが手で何かをすると、部屋が明るくなった。
「本日はもう遅い時間でもあり、また軍師様におかれましては、召喚にお応え戴きお疲れと存じます。このままお休み戴く方が良いと、陛下から仰せつかっております。こちらが寝衣です。」
自分の意志とは関係なく話がどんどん進んでいく。
いや、寝るだけの事なんだけどね。
待て待て待て。
これは、ミヤさんの勧めに従ってベッドに入ると、次に目覚めるのはキーボードの上というパターンだ。
折角の異世界転移の夢、楽しまない手は無いぞ。
「えーと、ミヤさん? ちょっとまだ色々混乱していて。もし良けれ・・・」
「ミヤです。」
「ば色々と・・・はい?」
「ミヤ、と呼び捨てになさって下さい。私などに『さん』をお付けにならぬ様お願い致します。」
「いや、でもほら、初対面の女の人をいきなり呼び捨てとか。」
「軍師様と私とでは身分が違い過ぎます。呼び捨てになさって戴かなくては、私が困ります。」
「いやでもね、ミヤさん・・・」
「『ミヤ』です。」
ミヤさんがずいと近寄ってくる。
「そうは言って・・・」
「『ミヤ』です。」
身を乗り出し眼を覗き込む様にさらに近寄る。
怖い怖い怖い。
「ハイ。」
どっちが身分が上なんだっけ!?
「分かりましたよ・・・ミヤ。教えて欲しいことがあります。」
「出来ればその言葉遣いもおやめになって戴きたいのですが。」
「これは、私の癖です。こういう喋り方なのだと、諦めて下さい。」
「そうですか。分かりました。」
社会人になって、丁寧な喋り方をすれば無用なトラブルを避けられることを学んだ。
それ以来、相手が後輩であったとしても、横柄な態度と喋り方をしない様に心がけてきた。
それが理由で舐められることも希にあるのだけれど、上役に生意気な奴だと睨まれるよりも、後輩に舐められる方がまだトラブルが少ない事を経験上知っている。
一緒に仕事をしているうちに、まともな頭を持った奴なら、後輩の舐めた態度も大概収まるし。
ああ哀しき社畜人生。
閑話休題。
「まず、この世界のことを教えて下さい。ここは魔王国で、魔王陛下はバイルーク様で合っていますか?」
「はい。その通りです。」
「現在、人間の国と戦争中。敵国は神聖アラカサン帝国ですか?」
「はい。その通りです。」
「他にも人間の国はありますか? やはり敵対していますか? 他に魔族の国は?」
最初は俺の質問に最小限の言葉で答えるだけ、といった感じだったミヤさんだったが、徐々に興が乗ってきたのか、喋る台詞が長くなり、そして俺が訊いた事に対して周辺情報まで教えてくれる様になってきた。
こちらを突き刺す氷の槍の様な、冷たいアイスブルーの瞳は相変わらずだったが、それでも話をしていく内に徐々に雰囲気から角が取れてきた様な気がした。
アルカニアと呼ばれるこの大陸には、大小20ほどの国家が存在しているらしい。
その内、今俺がいる魔王国以外は全て人族の国である様だ。
魔王国は大陸のほぼ北端に有り、北と西側は海に面している。
魔王国の北の端の方は氷に閉ざされた土地だという事で、どうやらこの星の北極に近い土地らしい。
・・・北極だよね? たぶん。
ファンタジーな世界だから、世界が円盤状の平面で、北の方がただ寒いだけ、という可能性もあるけれど。
魔王国の東側はエルジャレア王国に面しているが、その間には大エルナ山脈の中でも最も急峻な山並みが横たわっており、氷河と万年雪に閉ざされたほぼ人の行き来出来ない国境となっている。
この為エルジャレア王国との行き来は殆ど無く、また軍事的な衝突も発生していない。
軍事的衝突が発生し得ない地理的関係であるからか、エルジャレア王国は魔王国、ひいては魔族に対して敵対していない。友好国、という訳でもないらしいが。
南側は、かの神聖アラカサン帝国に国境を接している。
大エルナ山脈もこの辺りになると高度を下げ、高度1000m前後の高原地帯や、大エルナ山脈の中央部を抜けて流れるエルニメン川沿いの、エルニメン地峡を中心に幾つかの街道が存在する様だった。
もっとも、街道は存在しこそすれども、人族至上主義であるアラカサン教を国教として信奉する神聖アラカサン帝国は、魔族、亜人族排斥主義を掲げており、とりわけ魔族を完全に敵視している為、全ての街道には往来を監視する砦や関所が設けられており、実質的に国境は封鎖されているに等しい様だった。
その様な、宗教でアタマがかなりイカレている国に唯一の通行可能な国境線を封鎖されている状態では、他国との貿易など望むべくもないかと思いきや、魔王国にはその西側に広がる大海というものが存在した。
また、魔族の中には有翼族や、竜種、亜竜種を使役する者達もいるため、空も魔族の移動が可能な空間だった。
もっともお隣のアタマのおかしい神聖国家も、神聖竜騎士団、神聖鷲獅子騎士団という航空戦力を幾らかは持っているため、特に1000m以下の低空しか飛ぶことの出来ない者が多い有翼族は、やはり神聖アラカサン帝国領を通過することが出来ないらしいのだが。
海には、陸上よりも遥かに多くの魔物が住んでいるらしい。まあ、なんとなく想像出来る。
沿岸部で行われる漁業においても、海棲の魔物に襲われる被害が頻繁に発生するらしいのだが、大型船で大洋に乗り出すと、確実にと言って良いほど大型の海棲魔物に襲われるとのことだった。
だが、個体の戦闘力に優れ、またその様な魔物を調教することを得意とする魔族は、例え船が大型海棲魔物に襲われようとも、人族とは違ってそれを撃退する、或いは手懐けてしまう手段を持っている。
この為、海と空は魔族の独壇場となっており、お隣の狂信国家とその周囲の腰巾着国家を飛び越え、例えば同じアルカニア大陸でも南側の、魔王国とも神聖ナントカ帝国とも距離が大きく離れている国々や、大洋を挟んで反対側のスヴォルトロフ大陸の国々からは、魔族の提供する海運・空輸能力は重宝され、歓迎されているとのことだった。
どうやら、全人類 vs 魔族、なんていう大決戦状態になっている訳ではないらしい。
魔族を執拗に付け狙うのは、主に宗教的な理由で「ニンゲン様イチバ~ン! ヒャッハー!」とかやってるイカレた国だけで、消極的、或いは積極的に魔族と友好関係を結んでいる国家も多い様だった。
ちょっと安心した。
と言う様な、この世界の基礎知識を色々と教わっているだけで随分遅い時間になってしまった様だった。
うら若き美しい女性を、余り夜遅くまで男の部屋に留め置くのも申し訳ない話だ。
俺は一区切り付いたところでミヤさんにお休みを言い、寝間着に着替えてベッドに入った。
徐々に混濁していく意識の中で、どうせ目が覚めたらキーボードの上、とか思いながら、俺は自分の部屋にあるものよりも遥かに柔らかで暖かいベッドの上で眠りに落ちた。
■ 1.7.2
見知らぬ天井。
例え脳内であったとしても、まさかリアルでこの台詞を呟く日がやって来るとは思っていなかった。
寝起きで現実に頭がついて行っていなかったが、頭の中で一人でボケツッコミしている内に周りの状況が認識出来てきた。
状況が認識出来る様になると同時に、冷静になった。。
昨夜寝るときには、起きたらキーボードの上だろうと思っていたのだが、起きてもやはり魔王城の中らしい。
ネット上で見かける小説情報などで、最近異世界転生、あるいは転移ものが流行っているというのは流石に俺でも知っている。
それが自分の身の上に降りかかってくるなどとは、もちろん想像した事さえ無かったが。
そう言えば、明日は月曜日で仕事なんだけれどどうしよう、という心配が頭をよぎったが、まあいいかと納得してしまった。
それほど執着のある仕事じゃ無い。本当に異世界ライフが体験出来るなら、切り捨てても構わない。
慌てて大パニックになっても仕方の無い状況だと思うのだが、妙に落ち着いている自分がなんとなく可笑しくて、思わず皮肉な嗤いを浮かべてしまった。
そう。慌てても碌な事にはならないだろう。
まずは落ち着いて状況の認識と把握を行わなければ。
しかしそこにいきなり混乱を発生するものが割り込んでくる。
「お目覚めですか。こちらが湯浴みのお湯と、お召し物です。お食事はお部屋でなさいますか?」
黒に近い焦げ茶に、落ち着いた金色の模様が描かれている天井をベッドに横たわったまま見上げて物思いにふける俺の視野に、突如金髪碧眼の美女が現れた。
これまでの人生ではあり得なかったシチュエーションに、思わず跳ね起きる。
声を掛けた訳でも無いのに、俺の目が覚めたらすぐにミヤさんがベッドの脇に立っていて、着替えと、あろうことか湯の張られた大きめのタライの様なものが、ミヤさんの足元に置いてある。
そう言えばこの人昨夜魔王から、俺の付き人を命じられていたのだったっけ。
こんなクールな金髪美人が付き人なんて、なんて幸せな・・・いやいやそれ以前に、この人は俺の目が覚めるのをどうやって知ったんだ?
「お済みになったら、お呼び下さい。」
ゴチャゴチャと色々な事を考えながらベッドから降りたものの、流石に女性が居る前で着替えるのに気が引けた俺が固まっていると、どうやら察してくれたらしいミヤさんが寝室から退出する。
湯は使わず服だけを着替えて、終わりましたよ、と声を掛けると、今度は食事の載ったワゴンを押すミヤさんが現れ、サイドテーブルに食事を並べ始めた。
俺が食事を摂り始めると、ミヤさんは壁際に貼り付いてこちらを見ている。
誰かに監視されながら食事をするって、とっても落ち着かないんですけど。
驚いた事に食事は、パンにハムと卵と果物をナイフとフォークで食べるという、拍子抜けするほど馴染み深いものだった。そして、味も良かった。
魔王国なので、何か正体不明の食材が山盛りになった、ワイルドかつダークでミステリアスな朝食かと思っていたが、なんとなく拍子抜けだ。
朝食のあと、付いてくるようにとミヤさんに言われて、魔王城の長い廊下を歩く。
部屋の窓から外が明るい事は確認していたが、城の廊下はやはり暗く、所々に淡いLED灯の様なものが灯っている。いかにも魔王城、というべきなのか。
ミヤさんに案内されていった先は、これもまた薄暗い、小学校の教室くらいの大きさの部屋だった。
部屋の真ん中に机が置いてあり、その向こうに一人の老女が腰掛けていた。
「軍師殿。善う参られた。儂は宮廷魔術師のルヴォレアヌじゃ。ルヴィーちゃんと呼ぶがええ。」
「・・・・・」
机の前に座った俺との間に流れる、微妙な沈黙。
「軍師殿には早う戦場に立ってもらわねばならぬのでのう。それまでの一切を魔王陛下からお任せ戴いて居る。」
どうやらルヴィーちゃんの件はスルーされる事になったらしい。
「まずは軍師殿、お主の名前をお聞かせ願おうかの。」
「倉持竜一です。えっと、倉持が家族の名前で、竜一が私の名前です。」
「承知致した。属性など知っておられたら教えて戴けるかのう?」
「属性?」
ここで「十歳以下の女の子が好きですっ!」とか、「眼鏡掛けてる女の人サイコー!」とか答えるのは、多分間違っているのだろう。
いや俺違うからね?
「主属性として、混沌、秩序あるいは中性。従属性としては風火水地、まれに光と闇。ご自分の属性じゃが、ご存じないか?」
俺と同じ日本人でそんな事を知っている奴が居たら、教えて欲しい。
俺は眼の前に座る老女の眼を見ながら、ゆっくりと首を横に振った。
「では、使える魔法にはどの様なものが?」
以下同文。
まあ、希に氷結の魔法とか、毒霧の魔法とか使える奴が居るのは知っているが。
宴会の時に盛り上がった場を一瞬で凍らせる奴とか、卒倒レベルの酷い口臭や体臭の奴とか。
俺はそんな魔法を使った記憶はない。多分無い。
「左様か。軍師として召喚されたので有り得ぬとは思うが、或いは剣術や槍術が使えたりもせぬかのう?」
包丁より大きな刃物は触った事もないし、槍は自分が持って生まれた・・・げふん。何でもない。
俺は再び首を横に振る。
「ふむ。失礼じゃが、調べさせてもろうた方が早いのう。ちいとお待ちくだされや。」
そう言って老婆はゆっくりと椅子から立ち上がり、部屋の隅に置いてあるキャビネットの扉の中から何やら取りだした。
いかにもマジックアイテムでござい、という見てくれのそれは、柔らかな布に包まれた拳大の水晶球だった。
「軍師殿。この珠を、掌の上に載せて軽う握ってくだされ。そうじゃ。魔力を流し込むので、驚いて珠を落としたりせぬ様にして下されや? 結構値の張る商売道具じゃて。」
そう言ってルヴォレアヌは、珠を握る俺の右手をさらに外側から両手で包み込んだ。
すぐに水晶珠が柔らかい光を発して光り始めた。
「ふむん。属性・・・無し。従属性、無し。魔法、無し。特技、無し・・・何じゃと? お主、魔力も持っておらぬのか?」
自称ルヴィーたんが驚いた様に声を上げる。
確かに取り立てて人に自慢出来る特技や、何かずっと打ち込んできた様な事は何もなかったけれど、立て続けにここまで無い無い言われるのは、流石にちょっと哀しいものがある。
ま、俺なんてどうせそんなモンだけどね。
「何と。これは珍しい。何の属性も特技も無い、魔法も使えず魔力も持っておらぬ。『無能者』じゃ、お主は。」
それ程長い人生を生きてきた訳でも無いが、しかし他人から面と向かって真面目に無能者呼ばわりされたのは、初めてだ。
・・・割と本気で傷付いた。
拙作お読み戴きありがとうございます。
主人公は眼鏡属性を否定していましたが、私は好きです。(キリッ