6. 魔王バイルーク
■ 1.6.1
あとは簡単な話だった。
極めて高い魔法耐性を有するはずの勇者ユニットが、なぜか不思議なことに魔王が行使したチャームをモロに喰らったらしく、ピンク色に染まったたユニット表示がいつまでも変わらない。
勇者は魔王城を飛び出して、今まで味方だったはずの神聖アラカサン帝国軍を手当たり次第に攻撃し始めた。
何ターン経とうと、勇者のチャームが切れることは無かった。
もちろんそんな好機を見逃す様なつもりは無く、勇者迎撃の傷を癒やしたユニットから順次、ここぞとばかりに戦場に送り出し、勇者の周りで大殺戮大会を繰り広げた。
勇者は強いユニットを見つけては選択的に襲いかかるので、その周りで殺戮を繰り広げる魔王軍は、安全且つ確実に敵の数を減らし、併せて自分のレベルを上げていった。
既に10万近い帝国兵を撃破しただろう。
このマップのタイムリミット60ターンに対して、40ターンが経過したところで、それまで魔王城に鎮座してサポート役に徹していた魔王を再び動かした。
魔王のレベルが少し上がって遠距離殲滅魔法を覚え始めると、直接殴り合って闘うよりも、遠距離から大量殺戮をした方が効率よくレベルを上げられるのだ。
既に殆ど敵ユニットが居なくなったエルヴォネラ平原を魔王とその僕が突き進む。
なぜか未だに魔王軍と同調して帝国軍を攻撃し続ける勇者を供に。
平原の南端、アラカサン帝国軍が侵攻してきた辺りでは、流石に敵ユニットの数も増える。
だが勇者という最強のユニットを味方に付けた魔王軍の敵では無い。
敵の群れの中に真っ直ぐ突き進む勇者。
勇者が切り開いた道をドラゴンのブレスや、メイジ、プリーストの魔法が広げていく。
広がった道を悠然と進んでいく魔王様。
希に脇から兵士や騎士が襲いかかってくるが、もうすでにレベルの上がってしまった魔王様の敵では無い。
魔王様御一行はそのままずんずん突き進み、とうとう敵の本陣、大将ユニットが占拠する古城跡に辿り着いた。
勇者が魔王城に侵入するときも、ほんの数ターンの攻防であっけなく城壁の守りを抜かれてしまった。
1ユニット毎の地力が遥かに高い魔王軍とともに勇者が城を攻めるとき、それがどれ程難攻不落の城であろうが、駐留する軍がどれ程守りを固めようが、城壁は砂糖菓子の様に簡単に砕け散り、城を守る兵士達はまるで幼児の集まりの様に一瞬で薙ぎ払われた。
勇者があらゆる物を薙ぎ払いながら古城の中を一直線に突き進む。
そして勇者は帝国軍の大将に肉薄する寸前で脇に退いた。
それはまるで、魔王に敵を撃てと言っている様だった。
「・・・魔王め。」
今では玉座も無く、粗い作りの木製のテーブルが置かれて、簡易的な会議室に変わっている王の間を巨躯をゆらして魔王が歩く。
その正面から魔王の姿を憎々しげに睨み付け、神聖アラカサン帝国軍魔族領奪還遠征軍団長が、食いしばった歯の間から絞り出す様に呟いた。
帝国軍の大勝の間合いまであと一歩、というところで魔王は立ち止まった。
「人族は何故我が魔王領を侵す? 答えよ。」
魔王が帝国軍大将に向けて問いを発した。
「お前達が我々人族の領域を狙うからだ。」
帝国軍大将は苦々しげに魔王の問いに答えた。
「偽りを申すな。大合令にて、大エルナ山脈以北は魔王領であると合意し、定められたのだ。以来二千年、我らは大エルナ山脈以南に軍を進めたことは一度たりとて無い。お前達人間が大エルナ山脈を越え我が領土を侵し、此度も此度とてエルニメン砦を奪い、それに飽き足らず更に我が領土深くに軍を進めた。なぜだ? より広い領土が欲しくば、東に肥沃な大地が、南に温暖な海が広がっておるだろう。何故そちらを目指さぬのか?」
魔王の問いに帝国軍大将は嗤った。
それはまるで大将の顔に突然腐敗物が張り付いたような、嫌な嗤いだった。
「知れたこと。魔族領を奪うため、魔族を殲滅せんが為だ。東はその後ゆっくりと開拓すれば良い。」
つまり、魔族を殺し、その土地を奪う事が目的で、人族は魔王領を侵略していると言っているのだった。
「左様か。」
感情の高ぶりも無く、気落ちも気負いも無い、魔王の静かな声が広間に響いた。
粘つくような嗤いを浮かべている帝国軍大将の顔面に、つと斜めに赤い線が走った。
見る間に赤い線は太くなり、血が溢れて大将の頬を伝った。
同時に赤い線を挟んで大将の顔がずれる。
ずるり、と一度滑り始めた顔の右上半分は徐々に速度を増し、そしてぐちゃりと湿った重い音を立てて、その顔の半分が磨き上げられた広間に落ちた。
同時に大将の身体もゆっくりと膝を折り、地面にうつ伏せになるようにして倒れた。
「是非も無し・・・か。」
そう言って魔王は帝国軍大将の死体に背を向けた。
■ 1.6.2
「勝利条件『15日以内での神聖アラカサン帝国軍の撤退』を達成しました。」
ダイアログが表示され、勝利したときに流れるファンファーレが響いた。
やはり想像したとおり、こちら側には勝利条件として表示されないが、相手側には敗北条件として提示される所謂「隠し勝利条件」が
存在したようだった。
敵がエルヴォネラ平原とその北端に存在する魔王城を攻略するための拠点として選んだこの廃古城に、魔王軍の総力を叩き付けた。
と、言えば格好良く聞こえるが、実のところチャームにかかりっ放しだった勇者が暴れて、それに便乗して攻め込んだというのが正しい。
強力な魔法防御を持つ筈の勇者に、まさかチャームがドハマリするとは思わなかった。
これは某国民的ファンタジーRPGで、人をカエルに変える魔法が最強の即死系殲滅魔法であることを発見して以来の大珍事だ。
撃破数などの対戦成績が次々と表示され、そしてエンディング画面が表示された。
ここまで対戦相手「神聖アラカサン帝国皇帝」君から、一言の挨拶も無ければチャットも無い。
異常な設定のマップで対戦を要求してきた時点で既に激しく失礼な奴だが、いくら何でも挨拶の一言も無しとは、コミュ障にも程がある。
嫌がらせにチャットを送ってやろう。
「お疲れ様でした。随分難易度の高い条件だったけど、どうにか勝ちをもらう事が出来ました。またよろしくお願いします。」
送信ボタンを押して、メッセージが送信され・・・ない。
メッセージはグレイになり、送信に失敗したことを示している。
相手がチャット拒否している場合などに発生するが、アイコンを見ている限りチャット拒否はしていない様だ。
不審に思って画面のあちこちをチェックしている内に、ゲームオーナーである相手側がゲームを「畳み」、俺はロビーに弾き出された。
「神聖アラカサン帝国皇帝」というハンドルで検索してみたが、既に完全にゲームから抜けているらしく、ロビーで名前がヒットすることは無かった。
とことん失礼な奴だった。
まあ、もう二度と対戦することもないだろう。
時計を見るともう土曜日の昼も近かった。
流石に徹夜明けの寝不足で、頭の奥に痺れた様な感覚がある。少し腹も減ってきた。昨日夜、帰りにコンビニで買ってきた弁当以来、ビール以外何も腹に入れていないのを思い出した。
異常な設定の対戦マップを勝利してクリア出来たことの満足感と、ゲーム中に何度も発生した、システムのあり得ない反応に対する釈然としない思いと、余りに失礼な対戦相手に対する諦めに似た憤懣とが混ざり合ったモヤモヤとした気持ちを胸に、取り敢えずベッドに倒れ込んだ。
■ 1.6.3
目が覚めると夜だった。
ベッドからもそもそと起き出した俺は、取り敢えず近くのコンビニエンスストアに行き、おにぎりとスナック菓子を買い込んできた。あとビールと。
弁当でなくおにぎりにしたのは、ゲームをしながらでも食べられるから。要するにサンドイッチ伯爵だね。
携帯の電子マネーで支払いを済ませる。毎日使っているコンビニなので、レジ打ちのお姉さんは、俺の使っている電子マネーを覚えている。
何も言わなくても、携帯を取り出しただけで、いつもの電子マネー支払いに切り替えてくれる。
コンビニ袋をブラブラさせながら、夜空を見上げる。
東の空高くに夏の大三角が見える。
田舎の空は、市街地を少し外れただけで夏の大三角くらいなら見える。
コンビニを出て火を付けた煙草をちょうど吸い終わる頃、アパートに着いた。
コンビニ袋を手に持ったまま机に近付き、パソコンの電源を入れる。
ブンッ、と少し変わった音がしてパソコンが立ち上がり始める。
暑くなってきたし、そろそろ放熱板やクーラーファンの掃除をした方が良いかも知れない。
起動画面が表示され、デスクトップが広がる。
ブラウザを立ち上げ、いつものブックマークを辿る。そしてログイン。
まだ土曜の夜だ。あと一日半も残ってる。
月曜の朝にはいつも通り仕事に行かなければならないことを考えると、このまま明日の夜までぶっ続けでやって、明日の夜早めに寝る方が良いだろう。
グレートサモナーオンラインのロビーが表示された。
よく見かける名前、見覚えのない名前、色々なハンドルが表示されている。
ふと思いついてプレイヤー検索をした。「神聖アラカサン帝国皇帝」。怖い物見たさ、とでも言うのかな。
ヒット数ゼロ。
いない様だ。少しほっとする。
おもむろにおにぎりのパッケージを開いて、世の中一般的には夕食の時間の、俺個人の身体的には朝食を食べ始める。
まさに、腹が減っては戦は出来ぬ、ってね。
食べている間に誰か知り合いから対戦を持ち掛けられたなら、それでいい。
4つ買った最後のおにぎりを半分ほど食べたところで、聞き慣れたチャイム音が鳴った。
すぐに対戦を申し込んできた相手の名前を確認する。
神聖アラカサン帝国皇帝サマ。
無視。
これはあれだ。
無茶な条件のマップを作っては対戦を持ち掛け、いつも断られている嫌われ者が、偶々昨日俺が対戦OKしてしまったので、また遊んで貰えると思って対戦を申し込んできた口だろう。
その手に乗るか。もうお前とはやらねえ。
するとまた、システムがおかしな動きを始める。
俺はマウスを触ってもいないのに、勝手に対戦がOKされる。
マップの説明が始まったところで、画面下のキャンセルボタンを押すが、やはり幾ら押してもキャンセルされない。
対戦相手の意思を無視して、強制的にゲームが始まる機能なんて無かったはずだ。
キャンセルボタンを連打しているのだが、キャンセルされず、画面が進んでマップ概略と戦力比、布陣概略の説明画面に進んでしまった。
どこかの山奥の湖と、湖に浮かぶ島という、やはりこれもまた見た事の無いマップだった。
そして俺の意志に反してさらに画面が進む。
一体どうなってるんだ。
勝利条件と敗北条件を表示する画面まで進んだところで、これもまた今まで見たことの無い小さなウィンドウが開く。
召喚しますか?
どういう意味の質問かよく分からないが、「神聖アラカサン帝国皇帝」から持ち掛けられた今朝のマップが、既に布陣済みのユニットだけしか使えない者だったので、次のゲームではモンスターを召喚して用いるかどうかを聞いてきているのだろうと思った。
これまで見た事の無い質問だったが、緊急アップデートか何かがあって実装された機能なのだろうか?
この対戦をどうにかしてキャンセルしようとしている俺には、ゲーム内での召喚の有無などどうでも良い事なのだが、もし万が一また強制的にゲームを始めさせられてしまったときの事を考えて、一応「OK」を押しておいた。
マウスカーソルは正しく反応し、「OK」ボタンが押し込まれた。
召喚します。
また見慣れないダイアログが開いたと思った次の瞬間、アパートの自室でPCの前に座っている筈の俺は、奇妙かつ強烈な落下感を感じて暗闇の中に落ちていった。
■ 1.6.4
一体どこへ向かってどれだけ落ちていっているのか分からない。
もう数分以上も落下し続けている気もするし、ただ単に恐慌に陥っている頭が時間を引き延ばして感じているだけで、実はまだほんの数秒なのかも知れない。
いずれにしても、これだけの距離を落下すれば、落下した先がどんな材質であれ、余り考えたくない未来が待っている様に思えて、俺の頭はどんどん恐慌状態を増していった。
やがて視野の中に下方から差す一条の光が見え、光の筋が2本、3本と急速に増えていき、無数に増えた光は互いに繋がり合って、俺の周りを包み込む強烈な光の空間となった。
不意に落下感が消え、下に向かって突き出した掌と、膝の下に固い地面を感じた。
俺を包んでいた光りが徐々に薄れていき、そして消えた。
光に眩んだ眼では、周りの状況が良く見えない。
それくらい薄暗い空間だった。
周りに何があるか分からないので、不用意に動かない方が良いだろう。
ひんやりと冷たい、石の様な冷たさながらも、表面がツルツルとした平滑な床。
周りの音の反響の感じから、それ程狭いところには思えない。
しかし暗い。
徐々に眼が慣れてきて、床に映る明かりから、どうやら自分が鏡の様に磨かれた真っ黒な床の上に這いつくばっているのだ、という事が分かった。
少しおぼろに光る、LED電球の様な薄紫がかった明かりが点々と存在する。
「ようこそ、軍師殿。歓迎致す。」
低く、力強い声が響き渡った。
その反響から、ここは硬い材質のもので出来た、大きなホールの様な空間らしい事が分かる。
暗さに大分慣れてきた眼で、声がした方を振り返った。
艶やかな漆黒の床が続く先、20mくらいの所から幅の広い階段があった。
角が金色に縁取られた、10段ほどの階段を上ったその先に、真紅の羅紗を張った黄金に輝く豪奢な椅子が見えた。
その椅子に気怠げに頬杖を突いた格好で斜めに座る、全身を黒い服に身を包んだ巨躯がこちらを見下ろしていた。
暗闇で明らかに赤く光っているその両眼に、本能的な恐怖を覚えた。
「こ、ここは・・・?」
まるで恐怖に魅入られたかの様に、その赤く光る眼から視線が離せない。
恐怖に引きつる喉から、俺はどうにかこうにか、かすれた声を絞り出した。
「知れた事。魔王国オグインバル城である。」
オグインバル城。
なんか最近、そんな名前をどこかで聞いた事がある様な気がする・・・というよりも、そんな聞き慣れない名前の城など、今朝のグレートサモナーオンラインでの対戦くらいしか思いつかない。
あの時の魔王城が、そう言えばそんな名前だった気がするが。
もしそうなら、今俺の前で玉座に座るのは魔王という事になる。
それならば、この心の底から湧き上がる様な絶対的な恐怖も理解出来るし、その様な生まれてこの方感じた事もない程の恐怖に囚われつつも、なぜかその姿から目が離せない、というのも分からないでもない。
余りの状況に固まりきっていた頭がやっと回り始め、周りの状況を見る余裕が少し生まれてきた。
城の名前は、魔王国オグインバル城。
で、眼の前の玉座に座るのは、魔王。多分、名前は魔王バイルーク。
恐る恐る眼を脇に向ける。居た。
玉座の右に腕を組んで控え、こちらを見てニッコリと笑っている筋肉ダルマ。ならばあれが、勇者アーサー。
反対側に居る、黒光りする中二病まっしぐらのおどろおどろしい甲冑が、多分将軍。
王妃も王女も見当たらないが、どこか奥に居るのだろう。マップの始まりに、魔王城から山砦に避難していたくらいだ。
もう一度自分が手を突いている黒い床を見る。確かに触っている感触がある。
視線を上げて、魔王を見る。やっぱり居る。消えてない。
「えええええええええええええ!!!???」
最近絶叫多いよな、俺。
拙作お読み戴きありがとうございます。
やっと異世界に転移しました。やっとスタート地点に立った、という感じですね。