4. 野営
■ 2.4.1
スロォロン砦上空15000m。
25000mだと、帝国軍が余りに小さくなってしまうので、15000mまで高度を下げてもらった。
これくらいの高度だと、俺の眼でも人の動きなどをどうにか確認することが出来る。
もちろんダムさんの視力には全く敵わないけれど。
午後はこちらから小競り合いを仕掛ける予定は無いし、帝国軍も2kmも離れた魔王軍に手を出そうとはしないだろう。
グリフォンナイトは午前中の戦いでかなり被害を出して後方に下がっている。
ドラゴンナイトも何騎か戦闘不能の状態に追い込まれている。虎の子のドラゴンナイトをこれ以上傷つけたくはないだろう。
だから高度を下げてもまず大丈夫だろうと判断した。
帝国軍の陣地にはあちこちに穴が目立つようになってきた。
午後になった今も、同僚の兵士に連れられたり、担架のようなものに乗せられたりして後方に下がっていく兵士の姿を確認することが出来る。
こちらの計略が嵌まったのか、それとも午前中の戦いで予想以上に大きな被害を出したのか。
「アズミ、スロォロン砦に運び込まれている樽の中身は、ちゃんと全部エールに変わっていますか?」
今日明日の二日間にわたって実施するこの作戦の要だ。
まあ、「作戦」なんて大袈裟な名前を付けるほどのものじゃないんだが。
「大丈夫。人間、喜んでる。」
そりゃそうだろうな。
水として汲み上げたはずのものが、砦に到着したときは全て大量のエールに変わっているのだ。
タダで配られる大量のエール。兵士達は大喜びだろう。
そして、昨夜から運び込まれているエールの効果がそろそろ出てくる頃だ。
だが、仕掛けるにはまだ早い。
仕掛けるのは、じっくりと毒が全身に回ってから、だ。
もちろん、エールに毒なんて入ってないよ? そんなのすぐバレるからね。
ウンディーネ印の高級エールだ。混じりっ気無しの良品だ。
帝国軍兵士達には、その味を存分に楽しんで戴きたいところだ。
「ダムさん、お疲れさまなのですが、このまま日没までお願いできますか? 万が一のことがありますので、気を抜けません。」
「はーい。全~然構わないわよー。」
ほんとにこの竜いいひとだ。
竜じゃなかったら惚れてしまいそうだよ。
そしてエルヴォネラ平原に日没がやって来る。
薄らと砂塵を含んだ大気の中に、真っ赤に燃える大きな太陽が沈んでいく。
上空15000mから眺めていると、太陽が西の地平線の向こうに沈んで行くに連れ、空を薄紫の闇が浸食し初め、地平線の陰となった地表が徐々に色の濃い影に塗りつぶされていくのがよく分かる。
「はい、ありがとうございます。ダムさん、取り敢えず皆のところに降りましょう。合流してから、今日の野営地に移動します。」
「はーい。お疲れさまー。降りるわねー。」
上空の俺達から見ても、太陽が完全に地平線の向こう側に見えなくなって、そして俺はダムさんに地上に降りるように頼んだ。
ほんわか間延びした返事とは対照的に、ダムさんは一気に翼を捻りロールすると、背面飛行から瞬時に垂直降下に切り替えた。
後ろからミヤさんがガッシリしがみついてくる。
ふふふ。役得役得。
どういう力が働いているのか、ダムさんの激しい機動の中、アズミは相変わらず安定して俺の右肩に座ったまま笑っている。
うん。妖精だもんな。それで全ての説明が付く。
敵に何らかのアクションを取られるのを嫌ったのか、15000mからパワーダイブで垂直降下したダムさんは、地上100m位で水平方向に大きく旋回しながら減速した。
充分に減速した後、まだ警戒を解いていない魔王軍部隊のすぐ脇に着地した。
相変わらずどっこいしょと無様にダムさんの背中から降りる俺。
夕闇が降りる中、15000mものパワーダイブにヘロヘロになっているミヤさんを抱きかかえるようにしてダムさんの背中から降ろす。
ミヤさん、軽い。流石女の子。
暗い空での高機動に恐怖してヘロヘロになるのも、思わず守ってあげたくなっちゃう感じで良いよね。ふふふ。
「皆さん、暑い中での作戦行動お疲れさまです。」
「軍師殿。指示されたとおりひと当たりしたが、あれで良かったか?」
大きな真っ黒い馬に騎乗したベリンダさんが近寄ってきた。おおう、流石デスナイト。なかなかの威圧感だ。
「完璧です。こちらに損害は?」
「皆無だ。あれしきで損害を出すほどヤワではない。当然のことだ。」
いや、向こうは最前列に甚大な被害を出して、グリフォンナイトにも大きな被害を出している。ドラゴンナイトにも軽微とは言え被害を出している。
それに対してこちらはたった300個体で被害無しというのは、とんでもない大戦果だと思うぞ。
「重畳です。流石皆さん精鋭揃いですね。
「お疲れのところ大変でしょうが、明日も同様の行動をします。暑い中での行動となりますので、今夜は水と食事をしっかり摂って、よく休んで下さい。
「野営地はここから後方10kmを予定しています。5km下がったところに松明を立て、ダミー野営地を作ります。さらに5km下がったところで野営します。もう少し暗くなってから移動しますので、それまで周囲を警戒しながら休んで下さい。
「昨夜予告したとおり、ドラゴン部隊の半数、昨夜当番でなかった方は今夜投石当番に当たって戴きます。野営地に移動して食事を摂った後の行動開始となります。」
俺が皆にこの後の行動の説明をしている間にも、アズミは部隊の中を飛び回って、ザバザバと水を出しまくっている。
ドラゴンや馬なども満足させるだけの量の水を途切れなく供給できるとは、流石水の妖精サマサマだ。
ちなみに、ウンディーネから恨みを買っている帝国軍には、もちろん水の妖精など付いていないし、水を生み出す水魔法の効率も相当低下しているとのことだ。
なので、スロォロン砦周辺の村々から水を掻き集めなければならない事態に陥っているのだ。
今回はそこに付け込ませてもらった形になる。
ま、結果が出るのは明日だ。
その後、辺りが完全に暗くなるのを待って移動を開始する。
魔王軍はほぼ全員が夜眼に優れる、或いは暗視能力があるので、暗闇の中での移動に全く問題は無い。
昼間の騎馬と同等以上の速度で5kmを移動し、30本ほどの松明を立て、さらに5km移動して本当の野営場所に辿り着く。
敵の夜襲を警戒しての処置だ。
魔道士達に高さ5mほどの土の壁を作ってもらい、本当の野営地がスロォロン砦方面から見えなくなるように三方を囲んだ。
本体が野営地に向けて移動している間に、ドラゴン3匹が一旦魔王城に戻って野営物資を調達して戻ってくる。
3匹で20トン近くの物資がある上、水は使い放題だ。
前線での野営とは思えない潤沢な物資は、部隊の疲労度を考えると有り難い限りだ。
ドラゴンなどの様にタフな連中ばかりではない。
魔導士や僧侶は疲労しやすく、そして疲労の蓄積は魔法の火力や効率に大きく響く。
食事が終わり、皆めいめいに休み始める。
テントを必要とする魔導士や僧侶達は、自前の空間収納からテントを引っ張り出して見る間に組み上げていく。
テントが要らない連中は、基本的に皆雑魚寝となる。
ドラゴンも人間も魔族も魔獣も、不死人さえも、隣り合って地面に横たわる。
アンデッドは本来食事も睡眠も必要は無いので、野営は殆ど付き合いのようなものだろうが。
その種族ごちゃ混ぜで寝転がる状態を最初に見たときは少し驚いたが、よく考えれば魔王軍らしい、そして種族の差など関係なく枕を並べるその姿は、微笑ましく心を和ませるものだった。
少なくとも、「ニンゲン様イチバン魔族シネヒャッハー!」とかやってる、魔族と言うだけの理由で無条件で殺戮を行う、頭がおかしいとしか思えないどこかの宗教に較べれば、遥かにまともな姿に俺には思えた。
もっとも、寝相の悪いドラゴンなどが居たりした日には、いろいろと悲惨なことになりそうな気もするが。
部隊の多くが身体を休め始めたその頃、6匹のドラゴンが野営地の壁の外に集結した。
本日のお勤めのお時間だ。
今夜も楽しく帝国軍陣地の人間達をピンに見立てたボーリングゲームを行って、彼等の安眠を妨害するのだ。
早い順番の2匹のドラゴンが、地を蹴って夜の空に向けて飛び立つ。
しばらく経ってから、俺も再びダムさんの背に乗って夜の空に上がっていく。
アズミはほぼ俺の付属物になっているので良いとして、ミヤさんは地上に置いていくことにした。
彼女がもっとも苦手とする夜の空だ。例え一緒に来たとしても、護衛として役に立つとは思えない。
今夜は昨夜から働きづめのダムさんではなく、他のドラゴンに代わってもらおうかと思っていたのだけれど、自分が出るとダムさんが強く主張したため、今夜もまたダムさんにお願いする事となった。
ドラゴンは非常にタフだと聞いてはいるが、しかしこれだけ連日連夜の出撃だと少し心配になってくる。
もちろんダムさんに「大丈夫なのか?」と聞けば、「大丈夫」という答えしか返ってこないのだが。
昨夜一晩中帝国軍陣地に投石を続け、今日は昼間に小競り合いもあった。
昨夜はスロォロン砦とは別の場所で待機していた帝国軍の航空部隊も、今日は多くが砦周辺に残っている。
昨夜の投石は高度20000m付近から行ったが、今夜はさらに高度を上げる必要があるだろう。
爆撃精度は大きく下がるが、そもそもが敵部隊に損害を与えることを目的としていないので、その点は大きな問題ではない。
要は、地上に巨石が落下する音と振動、何時自分の上に巨石が落ちてくるかも知れないと言う恐怖で、連中の安眠が妨害できればそれで良いのだ。
高度30000mでダムさんとアズミとともに待機する。
この高度になると、ありとあらゆるものは足元遥か下方に存在し、まるで自分が人工衛星軌道にでも乗っているかの様な気になる。
実際、高度50000mより上は宇宙とされる。地上を発して、宇宙までの距離の既に半分以上を過ぎているのだ。
午後9時過ぎ。巨石を幾つも抱えたグリーンドラゴンが西方から接近してきた。
作戦概要は既に説明してあり、昨夜の投石当番からの情報伝達も済んでいる。
空中で特に言葉を交わすことも無く、グリーンドラゴンは俺達の近くを高速で通り過ぎ、スロォロン砦目掛けて高高度爆撃を行った。
投石後、グリーンドラゴンは真っ直ぐ当方に抜けていき、予定では100kmほど先で大きく旋回して魔王城に戻ることになっている。
砦からドラゴンナイトがスクランブル出動することを考慮し、今日は高度30000mを高速で通過しながらの投石を指示してあるのだ。
この高度で時速1000km以上の速度で通過するのであれば、砦からドラゴンナイトが必死で上昇してもまず追い付かれることはない。
ドラゴンナイトが直援のためあらかじめ高空に待機するようであれば、俺達が爆撃部隊にそれを警告し、爆撃を中止することになっている。
俺達はその為にこの高度で待機しているのだ。
だが、今夜帝国軍がドラゴンナイトを直援に上げてくることはまず無いと、俺は見ている。
直援に上がった個体は、疲労と睡眠不足で翌日の戦闘に投入する事が出来ない。
対して、俺達の投石で発生する損害は、一晩で千人に満たないだろう。
十万もの兵力を擁する帝国軍は、たかだか歩兵千人にも達しない被害よりも、虎の子のドラゴンナイトが明日の戦闘に参加出来ないことを嫌うだろう。
この投石爆撃が明日の夜も続き、将来的に累積損害が看過できない数字になる事が予想されるようになると、もちろん何らかの対策を取ってくるだろう。
帝国軍も馬鹿じゃ無い。多分。
だが、連中に明日の夜はない。
だから、問題無い。
俺達が上空で待機している間、大体1時間に一回、数百km彼方の海岸で巨石を掻き集めてきたドラゴン達が、スロォロン砦に向けてその巨石をぶちまけていく。
高高度から水平爆撃の要領で投下された巨石は、そもそも爆撃精度が低下している上に、落下の最中に空気抵抗で軌道を変えられてしまい、帝国軍陣地の中に着弾する岩の数はそれ程多くない。
だがそれで問題無い。
何度も言うが、この投石は連中の睡眠時間を削り、体力を奪うことが本当の目的だ。
そして寝不足で体力を奪われた状態で戦線に立つことの意味を、連中は明日知ることになるだろう。
その後ドラゴン部隊による投石爆撃は一晩中続き、そして俺達は日付が変わる頃にパスファインダーの仕事を別のブルードラゴンに引継ぎ、地上に降りた。
俺の知る限りでは、予想通り帝国のドラゴンナイトが直援に上がってくることは無かった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
アンデッドって言っても、ゾンビやグールなどの腐り者系じゃないですよ?
レイスとかリッチーとか、空を飛べる奴でないと付いて来れませんからね?
横で寝てたら臭いし。
さすがに腐乱死体が横で寝てるのはいやでしょ。やっぱり。