3. スロォロン砦駐留帝国軍
■ 2.3.1
スロォロン砦前面に展開した帝国軍の陣から約1kmほど離れた辺りでひとかたまりになって停止していた魔王軍が動いた。
菱形の陣形を組んだ魔王軍は、鋭角となっている角を前後にし、帝国軍中央からやや左翼寄りに向けて疾走を開始する。
魔王「軍」とは言えその兵士数は、10万近い帝国軍のそれに較べると遥かに少ない。
その数僅か300余。
数字だけをみれば、その戦力差は冗談にもならないレベルで有り、帝国軍が第二列に置いている弓隊8000の一斉射撃を受ければ、それだけで壊滅してしまうような兵士数でしかなかった。
しかし10万の帝国軍は全く油断していなかった。
人族ばかりで構成されている帝国軍に対して、人族以外にも竜種や魔族、その他魔獣に分類されるような生物達によって構成される魔王軍は、各個体の戦闘能力が人族とは比べものにならない程、極めて高い。
例えばドラゴンや魔族1個体は、数百から数千の人族の兵に相当すると見なされている。ダークナイト1騎は、ホワイトナイト10騎、或いはパラディン5騎に相当すると考えられている。
その様な戦力比換算を行ってもまだ魔王軍300は数千、大きく見積もっても2~3万の帝国軍にしか相当しないが、帝国軍指揮官が恐れているのはその戦力密度であった。
例えば2万の人族の兵と、2万の人族の兵に相当する300の魔王軍が正面から衝突した場合。
人族の陣は人間2万人分の広がりをもつ。それに対して魔王軍の陣は、たった300人分程度の広がりしか持たない。
2万の兵力に相当する戦闘力を一点に集中できる魔王軍の攻撃力は恐怖でしか無い。
その軍が動いた。
真っ直ぐ突入してくる魔王軍部隊に対して、隙間無くタワーシールドを並べ、槍衾を突き出し、マジックシールドを張り、迎撃用の攻撃魔法を準備する。
ダークナイトを先頭に立てた魔王軍は、見る間に距離を詰めてくる。
500m、400m、300m・・・
蹄の立てる、腹の底に響くような音が地面を伝わってタワーシールドを震わせる。
真っ直ぐ自分が居る場所に向けて突っ込んでくる魔王軍を凝視して、タワーシールドの陰で兵士は身を固くする。
このまま突っ込んで来ると、とても生き延びられるとは思えない。
だが、シールドをしっかりと固定すれば、受け流せるかも知れない。
しっかりと構えていなければ、確実に、間違いなく死が待っている。
土煙を上げながら疾走し、もう眼の前まで来ている魔王軍を凝視しながら、兵士は渇いた喉でありもしない唾を飲み込む。
帝国軍陣地上空に巨大な火球が幾つも発生する。
一瞬で数十mもの大きさに膨れあがった火球は、突入してくる魔王軍に向けて弾き出され、まるで意志を持って進んでいるかのように向きを変えて魔王軍の正面に着弾した。
シールドが煌めき、火球を断ち割って受け流す。
或いは、シールドの表面を滑るように流れて、脇に逸れる。
魔王軍部隊は地響きを立てて真っ直ぐ、まるで帝国軍陣地に突き刺さるかのように突入する。
突然、魔王軍が進路を変えた。
あり得ない角度でほぼ直角に曲がった魔王軍は、菱形の陣形の腹を帝国軍にさらし、盾の隙間から無数の槍が突き出す帝国軍最前列と並行に走る。
まるで機関銃か速射砲のように魔王軍部隊から撃ち出される、燃え盛る火球、陽光に煌めく氷槍、紫電の雷光、無数の石礫。
帝国軍の魔法部隊が展開する前面シールドがそれらを弾き返すが、護らなければならない最前列は余りに横に長く、それに対して魔王軍の移動速度は余りに速い。
横向きに高速で動く魔王軍の動きに、マジックシールドの再展開が全く追い付いていない。
火球はタワーシールドに着弾し、構える兵士ごと盾を松明に変える。
氷槍はタワーシールドを弾き飛ばし、露わになった兵士の腹を抉り、胸を突き刺し、頭を吹き飛ばす。
雷光は横に並ぶタワーシールドを伝い、兵士達が身につける鎧を伝い、縦へ横へと広がって、触手のように蠢く紫の電光に捕らえた兵士達の身体を焦がし、焼いて、煙を噴き上げさせる。
石礫はあろうことか分厚いタワーシールドを貫き、最前線に居並ぶ兵士達の軽装鎧をも貫いて、次々と兵士達の命を刈り取る。
魔王軍の部隊はまるで、針鼠のように無数の大砲を側舷に突き出した戦闘艦が、川岸に無数の砲撃を加えながら移動するかの如く、帝国軍の最前列を破壊しながら横に進んでいった。
それに対し帝国軍はその巨大な陣の両翼を押し上げる。
最前列は、魔王軍に向かっている部分を中心として、少し歪な凹字型に変形し、その数でもって魔王軍部隊を飲み込み、磨り潰そうとして動く。
飛び出した両翼の数千の兵士達のど真ん中を、ほぼ熱線と化した炎の流れが横切り、兵士を焼き、地面を爆発させて空中に兵士達を巻き上げる。
脚が遅いため、最初に魔王軍が留まっていた位置から余り動いていない地竜が放ったドラゴンブレスであった。
部隊を横切るように放たれたその熱線は、その進行方向にあったあらゆるものを溶かし焦がし爆発させ空中に巻き上げそして破壊する。
帝国軍陣地の後方から飛び立ったグリフォンナイトが一気に高度を取り、数万の兵士達の上空を突っ切って、魔王軍部隊に向かって上空から迫る。
高度数百mから降下しながら突入するその速度は、地上を走る騎馬の速度とは比べものにならず、点のようであったグリフォンナイト数十騎は瞬く間に接近してくる。
魔王軍部隊は弓矢と爆炎魔法でこれを迎え撃つ。
空中を移動するグリフォンナイトを迎撃するのは非常に難しいが、数十mという効果範囲を持って爆発する爆炎魔法は、直撃せずとも至近弾で充分な被害をグリフォンナイトに与える。
50騎ほどが投入されたグリフォンナイト部隊であったが、魔王軍部隊に接近する前に既に半数近くが脱落しており、接近するほどに精度を上げる魔王軍の迎撃によってさらに数を減らす。
思いの外グリフォンナイトに大きな被害が出たことから、帝国軍は虎の子のドラゴンナイトの投入を決意した。
ドラゴンナイト、ウィザード或いはワイズマン、そしてホーリーナイトという、航空戦力、魔法戦力、地上戦力の各最高峰の部隊は、育成に長い時間を必要とする。
決戦兵器として大規模会戦に投入するのが本来の運用であり、この様な小競り合いに投入して万が一にも傷つけたくはない部隊だった。
しかしこのままでは、グリフォンナイト部隊の全滅、或いは歩兵部隊前段の消滅という大損害が発生することが明らかだった。
「ドラゴンナイトが上がるわよー。30騎位かしらねー。」
ダムさんの眼にはドラゴンナイト達が出動準備に入っているのが見える様だ。
有り難い。まるでレーダーのようだ。
上空から地上の獲物を狙う猛禽類やドラゴン達空棲の魔獣達の眼は、近代兵器のルックダウンレーダーと言って良い。
どんな小さなものも見逃さないし、広範囲を一度に索敵することが出来る。
そして分かったことがある。
どうやら現在このスロォロン砦周辺の軍勢を預かる指揮官は、かなりヘッポコな奴らしい。
虎の子のドラゴンナイトを出し惜しみしたいのは分かるが、ここは万が一の損害を考えて全戦力を一度に叩き付けるべきところだ。
そうで無ければ、いわゆる戦力の逐次投入の愚を犯すことになりかねないし、そもそもランチェスターの法則を考えても、大量のドラゴンナイトで一気に押し潰す方が被害がより小さくて済む。
それともドラゴンナイトは帝国軍にとって、出動コストが余程に掛かるお荷物部隊なのだろうか?
いずれにしても、出し惜しみしてくれるというのはこちらにとってありがたい話だ。
数を1/3程に減じたグリフォンナイト部隊が這々の体で上空に退避する。
グリフォンナイト、いくら何でもやられすぎじゃないか?
誰か対空迎撃が異常に上手い魔導士でも居るのだろうか?
魔王軍部隊を包囲しようと突出していた両翼は、特に魔王銀部隊の進行方向にある左翼が地竜の熱線攻撃の集中砲火を喰らっており、上から見ると相当アンバランスで収拾の付かないことになっている。
今なら最悪、突出した左翼の真ん中を抜くことも可能だろう。
魔王軍部隊はたったの300前後とは言え、それだけの火力と機動力を持たせてある。
「ドラゴンナイト出たわよー。」
ドラゴンナイト部隊が羽ばたき出動したのが俺に眼にも見えた。
レイリアさん達が上手く対応してくれることを祈ろう。
というか、これは何とかしなければならないな。
ダムさんに乗せてもらって上空から全体を見渡すのはとてもやりやすいのだけれど、指示を各部隊に伝える方法がない。
今回は一当たりするだけで特に複雑な指示は無く、これで何とかなっているけれど、今後間違いなく大きな問題になってくるだろう。
ドラゴンナイトが帝国軍の陣地を飛び越え、一瞬で魔王軍部隊の上空に迫る。
魔王軍部隊側からも、グリフォンナイトの時と同様に対空魔法攻撃を行っているが、流石魔法障壁を展開するドラゴンナイト、一騎も戦闘不能に陥ることなく魔王軍上空で突入の態勢を整えている。
有り難い。
この一瞬の間が、こちらに大きく有利に働く。
高度5000m程度で待機していた魔王軍のドラゴン達が、見事なデルタ編隊を組んで15頭5組、急降下で得た運動エネルギーに乗って高速度で帝国のドラゴンナイトに接近する。
魔王軍ドラゴン編隊に気付いた帝国軍のドラゴンナイト部隊はすぐさまその迎撃行動をとる。
魔王軍ドラゴン部隊15頭に対して、帝国軍ドラゴンナイト30騎。
が、速度が充分に乗っている上に上方を占位し、騎士という足枷を乗せていない魔王軍ドラゴン部隊の方が有利と見た。
地上の部隊には、帝国軍のドラゴンナイトが出てきた時点であらゆる行動を中止してすぐに戦線を離れるように伝えてある。
指示通り、地上部隊300騎が形成する菱形が全速で帝国軍の陣から離れていくのが見えて、ほっとする。
ベリンダさんが上手くまとめてくれているようだ。
ちなみに常にダークナイトと行動を共にしているベリンダさんだが、将軍である彼女だけは上級のデスナイトだ。
ドラゴン部隊はドラゴンナイトに向けてブレスを撒き散らしながら高速で通過した。
レイリアさんとシェリアさんに何度も念押ししてお願いしてあったのだが、上手く位置取りして、ドラゴンナイトの向こう側に帝国軍の陣地が来るようにしてブレスを吐いている。
ブレスによる被害を嫌ってブレスを避ければ、地上の部隊に甚大な被害が発生する。
味方の兵士を護ろうとブレスを受け止めれば、例えドラゴンナイトであろうと無傷で済む訳は無い。
ドラゴンナイト達がブレスで応戦しようとも、高速で通過する魔王軍のドラゴン部隊をブレスだけで打ち落とすことは不可能だろう。
ドラゴンナイト達は味方の兵士達を護ることを選択したようだった。
幾つものブレスがマジックシールドで弾かれるが、ブレスの威力の方が勝って直撃を喰らうドラゴンナイトもいる。
幾ら味方を護ろうとしようとも、全てのブレスを余すところ無く受け止めることなど出来ない。
流れ弾のように着弾したブレスが、地上の兵士達を焼き払い吹き飛ばす。
ドラゴンナイト達が足を止めて味方を護ることを選択したお陰で、魔王軍部隊は無事前線を離脱し、敵陣から急速に離れつつある。
帝国軍正面高度1500m辺りを高速で通過し、大きく旋回しながら大制動を掛けた魔王軍のドラゴン達が、帝国軍の陣地と向き合う形で地上部隊の上空でぴたりと止まる。
ドラゴン部隊の上空支援の元、魔王軍部隊は地上を掛け続け、約2kmの距離を取った。
充分だ。
帝国軍に打撃を与えることが目的ではなく、少数ではあっても有効な打撃力を持った魔王軍部隊がすぐ近くで狙っている、という事を帝国軍に知らしめることが今回の目的だ。
「ダムさん、ありがとうございます。一度お城に戻りましょう。」
幾らドラゴンとは言え、高度25000mでずっと飛び続けた彼女にも休憩は必要だろう。
地上部隊には、今日の行動の目的をしっかりと説明してある。
少し休憩で外すくらいの時間で、状況が大きく変化することはないだろう。
■ 2.3.2
昼を少し過ぎたくらいのタイミングで俺達は魔王城に到着した。
丁度良いので、魔王城で昼食を摂る。
いつも俺の世話をしてくれるミヤさんは、空が暗いうちから飛び立ち、成層圏に到達する超高高度飛行の疲れから、全く役に立たなかった。
どうやら彼女は、高いところや空を飛ぶことが苦手と云うよりも、真っ暗で何も見えない中で空を飛ぶのが苦手な様だ。
使い物にならなくなってしまったミヤさんの代わりに、他のメイド達が俺の食事を用意してくれたのだが、ミヤさんをヘロヘロになるまで「使い潰した」俺に、皆の態度は微妙に冷たかった。
俺が何かやったわけじゃないし、そもそも止めろって言ったのにミヤさんがどうしてもついてくるって言ったんだからね!?
実はほぼ全力で出撃している閑散とした魔王城の、王の間で魔王へ如何に現状を報告した。
「うむ。現在のところはほぼ計画通り、という事であるな。」
「はい。今現在、部隊は帝国軍の陣地から距離を取らせてありますので、睨み合いが続いている状態となっています。本日はこのまま衝突無く夜に突入し、野営の予定です。野営は夜襲対策のため、帝国軍から10kmほど距離を取る予定です。」
「結果が出るのは明日か。」
「はい。早ければ今日の夕刻には出始めるかと思いますが、明確に現れるのは明日になると思われます。」
「良い。そのまま継続せよ。」
「承知致しました。」
俺は頭を下げる。
どうするか。今の内に提案するか。
「魔王陛下。畏れながら。」
「何か。」
「ドラゴンに乗り上空に滞空するのは、戦況の全体を把握する為に非常に有利である事が分かりました。ただ、全体を把握し次々と手を打つにしても、指示を各部隊に伝える手段がありません。遠く離れた所から前線の部隊に指示を与えることが出来る様な魔導器か何かがありませんでしょうか?」
要するに通信機が欲しいと言っているのだ。
ルヴォレアヌ達、高位の魔導士や僧侶であればその様な魔法を持っているのかも知れないが、いかんせん俺は「無能者」だ。
例え教えて貰えたところで、その魔法を使うことは出来ない。
「ふむ。生憎と、城の宝物庫にその様なものは無い。もとより宝物庫の中身自体が殆ど無いのだがな。ヴァルドに相談してみよ。なんぞ知っておるやも知れぬ。」
「ヴァルド殿、ですか?」
「『伯爵』だ。奴は一流の錬金術師でもある。普段寝てばかりおるのだ。たまには叩き起こして働かせねばな。」
魔王陛下の伯爵への評価がかなり辛辣だが、腕の良い錬金術師というのは有り難い。
「畏まりました。有り難うございます。今回の作戦が終わった後、落ち着いたところで相談致します。」
「うむ。」
提案を快く認めてもらった所で、俺は王の間から下がった。
中庭にはすでに食料と水の補給が終わったダムさんが待機している。
そしてその脇にミヤさん。
「まだ辛いのでしょう? 無理しないで下さい。午前中と同じ様に高い高度を保ちますから、何かに襲われるような危険は殆どありません。」
「有り難うございます。しかし、この身を賭してでも軍師様をお守りしろとの陛下の命です。違えるわけにはいきません。」
この人も大概ガンコだねえ。
まあ、午後は辺りが明るい中を上昇していくから、ミヤさんの精神的消耗もかなり少なくて済むのだろうけれど。
俺はため息を一つ付くとダムさんに向き直った。
「ダムさん、済みませんがまた宜しくお願いします。午前と同じ様に、高度25000程でスロォロン砦上空に占位願います。」
「はーい。お腹もいっぱいになったし、お姉さん頑張っちゃうわよー?」
いやあ、気の良い人で助かるよ。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ちなみに、ドラゴン達にデルタ編隊を組んで突入する事を教えたのは主人公です。
ドラゴンは個体主義なので、これまでの戦いの中でも編隊を組んで互いに互いをカバーし合うという戦い方をしてきていません。
「オレ様最強!」なドラゴンでも、敵のドラゴンナイト複数騎に囲まれればヤバイ事は、これまでの戦いの中で経験して理解しており、今回主人公の提案に基づいて編隊を組んでみた、というところです。