11. 水の精霊の加護
■ 1.11.1
「それでも、もうちょっと優しく助け出してくれても良いじゃない?」
その透き通るような肌を持った絶世の美女は、相変わらず俺の首に腕を回したまま、耳元で再び囁いた。
状況からして、彼女がウンディーネだろう。
水の大精霊だ。水の近くならば、どこにでも現れる。
今、俺達の足元数百mの場所には大エルナ山脈を貫いて流れる大河、エルニメン川が存在する。
「少々乱暴になってしまったことは認めます。しかしあれくらいやって城ごと壊さなければ、貴女を捕らえていた何重もの障壁を壊すことは出来なかった。今ある魔王軍の戦力で、あの城の防御を正面から突破するのは不可能でした。」
まあ、一つだけ可能性が無いことは無かったのだけれどな。
その案は、魔王が渋い顔、というか相当嫌そうな顔をしたので早々に引っ込めた。
俺も暑苦しいゲイの筋肉ダルマと一緒に行動したいなどとは思わなかったし、あの筋肉ダルマにこっそりと敵の城に近付くなんて芸当が期待出来る筈なども無かった。
「水の大精霊であれば、水による攻撃でダメージを受けるとも思えませんでしたので、大丈夫だと思ったのですが?」
「水はねえ。私は地の精霊じゃ無いのよ。一緒にやって来た岩だの泥だので酷い目に遭ったわ。」
「泥水も水の内だと思ったのですが。」
「・・・あなたが呼吸しているこの空気に、砂埃だの煙だのが混ざったら、どう?」
なるほど。確かにその通りだわ。
「理解しました。大変失礼致しました。」
「いいわよ。酷い目に遭ったのはたしかだけど、もっと酷い目に遭っていたところから解放してくれたのだしね。お礼を言うわ。」
「恐縮です。」
「さて、と。じゃあ私は行くわ。用があればまた呼んでちょうだいな。状況的に、魔王軍の方に肩入れしたい気分よ。」
「恐れ入ります。ではまたそのうちに。」
「ん。」
肩にのしかかっていた重さがふっと消えた。
なるほど、彼女の台詞からすると、どうやら大精霊というのは本来、魔族や人族と言った特定の種族に付くことは無いのだろう。
風化水地の四大精霊なのだ。
この世界の全ての水を司り、全ての種族に平等に水を与える。ただ今回は、人族は少々オイタが過ぎた、という所か。
いずれにしてもこれで、人族に囚われていた水の大精霊を解放したことで、魔族側も存分に水の魔法が使えるようになることだろう。
眼下では、ウンディーネによって制御された濁流がそれ以上エルニメン川から溢れることは無く、河岸段丘一杯を埋める激流となって川下に向かっている。
ここはもう大丈夫だろう。
「・・・したのじゃ? 先ほどから黙り込んで。」
ふと気付くと、俺の前に座ったルヴォレアヌがこちらを振り向いて俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。
どうやら彼女には水の精霊の声は聞こえなかったらしい。
「ウンディーネと話をしていました。」
「ほう。で、奴はなんと?」
「ありがとう、と。酷い目に遭わされたので、我々の側に肩入れしてくれるそうですよ。」
「それは重畳。マリカが喜ぶじゃろう。魔王軍は水の精霊の加護を得たか。」
ああなるほど。そういう事になるのか。
「ここはもう大丈夫そうですね。城に戻りましょう。ダムさん、レイリアさん、お願いします。」
セレベット川とエルニメン川の合流地点を中心に、高度1000m程度で翼を並べて大きく旋回を続けていた2匹の竜に俺は声をかけた。
「諒解よ。」
「はーい。お家に帰るわねー。途中人族が沢山居るから、ちょっと高めに飛ぶわよー。」
そう。
囚われていたウンディーネを助け出し、魔族側でも存分に水魔法が使えるような状況を取り戻せたとは言え、魔王国の大半が未だ人族に占領されたままという状況の方は変わったわけでは無いのだ。
返事が終わると共に、まずはダムさんが急角度で高度を上げ始め、そのすぐ後ろをレイリアさんが追う。
赤黒二匹の竜は翼を並べて、やっと高空に差し始めた朝日に鱗を煌めかせ、1万m近い高度を音速に近い速度で魔王城に向けて進路を取った。
■ 1.11.2
土石流が流れ去り、未だ泥水がチョロチョロと流れるアルフィドレア峡谷で、ヘシュケ=デフアブアン城が存在した位置より少し下流。
岩がゴトリと動き、斜面を転がり落ちていった。
「ぷはー! いやあ、ホンマ死ぬか思たわ。あの兄ちゃん全然加減しよらへんな、全く。リリア、ピルキー、居てるやろ? 早う出て来。」
まるでギャグ漫画の様に地中から土砂を撥ね除けて現れた、黒いローブを着たその女は、ヘシュケ=デフアブアン城の守備隊、神聖アラカサン帝国騎士団第四十八師団第四混成大隊の副長であるエキアオラだった。
彼女の呼びかけにより、少し離れた場所で同じ様に堆積した土砂の中から、同じ様な格好をした女が二人姿を現した。
「いやー、あたしも本気で死ぬかと思ったわ。」
ボリュームのある赤いロングヘアの女が、肩に付いた土を払いながら天を仰ぐ。
「あの程度で死ぬ様ではお話になりませんね。」
少し背の低い、黒髪黒眼鏡の女が憎まれ口を返した。
「おお、おったおった。怪我無いか? どっか痛いとことか無いか? ママが痛いの痛いの飛んでいけーしたるで?」
整った顔立ちをニカッと笑わせて、エキアオラがふざけた。
もちろん彼女も、この同僚の二人が死んでしまうなどと毛ほども思っていなかったのであろう。
「誰がママよ。キモい。」
赤いロングヘアがエキアオラを睨む。
「余計なお世話です。あの程度で怪我などありません。」
黒髪黒眼鏡が、エキアオラのことをゴミでも見る様な眼で眺める。
「あうーん。娘が二人とも反抗期になってもうてん。ママどないしたらええのん?」
エキアオラが胸の前で拳を合わせると、クネクネと身を捩る。
「馬鹿なことやっていないで早く行きましょう。帝国軍に再合流するのでしょう?」
「せやな。行こか。デルベン砦までの間の生き残りは行きの駄賃や。全部殲滅しながら行くで。リリア、気配探知。ピルキー、探知阻害。ウチは対魔法防御しとくわ。」
いきなり真面目な顔になったエキアオラが二人に指示を出す。
同時に三人の身体がふわりと宙に浮く。
空中でその姿がかき消す様に見えなくなる。
「なあリリアん。」
「リリアん言うな。なんですか。」
「お腹空いてん。どっか食堂あったら教えてえな。」
「ある訳ないでしょうが。気が散ります。もう話しかけないで下さい。」
「あうーん。娘がいけずするう。ママどないしたらええのん?」
「抱きつかないで下さい! ピルキー、この馬鹿何とかしてください!」
「えー。めんどくさい。」
誰も居ないはずの空間から賑やかなじゃれ合いの声が聞こえ、その声は土石流によってあらゆるものが破壊されたアルフィドレア峡谷を徐々に下っていった。
■ 1.11.3
魔王城に辿り着いた俺達を中庭で待ち受けていたのは侍女のミヤさんだった。
「軍師様、ご案じ申し上げておりました。」
どっこいしょとブラックドラゴンの背から降りる俺に手を貸しながらミヤさんが言う。
「大丈夫ですよ。ドラゴンに高位のアークメイジにダークプリーストが一緒だったのですから。これ以上無いほどに安全です。」
「私は魔王陛下より直々に、この身に代えても軍師様をお守りするよう仰せ付かっております。」
ああ、なるほど。
今回の作戦にメイドさんは必要なかったことと、いざというときの為にドラゴンに掛ける負担を最小限にするためにミヤさんの同行を断っていたのだけれど、どうやら無用の心配を掛けてしまったようだ。
まあ、これが俺の初陣だったのだから、当然と言えば当然か。
次からは可能な限りミヤさんを同行させることにしよう。そうでなければ多分、魔王陛下の勅命を受けた彼女の立場も悪くなるだろう。
「心配を掛けてしまったようで済みません。本当に危ないことは何もありませんでしたよ。次回からは可能な限りミヤを同行することにします。」
ずっと俺を乗せて飛んでくれたブラックドラゴンの巨大な頭を両手で挟んでワシワシとしながらミヤさんを安心させる。
ダムさんは気持ちよさそうに眼を細めて、喉から低い唸り声を出している。
この世のあらゆるものを弾くとされるドラゴンの鱗越しでも、このワシワシは気持ち良いのだろうか?
「お気遣い痛み入ります。」
そう言ってミヤさんが僅かに微笑んだ。
グハァ。
金髪碧眼のクール系美人メイドがふっと微笑んだ笑顔の破壊力をモロに喰らったぁ!
今、心臓がズキューン! とか音を立てたのがはっきり聞こえた!
ヤバイ。これだけで御飯三杯はイケる。今夜は色々と捗りそうだ。
ミヤさんに見とれてボーッとしている俺の右手を、ダムさんがカプリと咥える。
「痛っってえ!」
ドラゴンの甘噛みってナニ? ていうか、甘噛みされても牙が当たってムッチャ痛いんですけど!?
「私を撫でながら他の女のことを見てるからですよー。ふーんだ。」
ツーンと言い放ったダムさんの最後の「ふーんだ」が、巨大なドラゴンがやるとブフォォオー! という強烈な鼻息になって、その直撃を喰らった俺は中庭の端まで吹き飛ばされた。
服に付いた土を払いながら立ち上がる俺を見てルヴォレアヌがケタケタと笑っている。
レイリアさんは物珍しそうに伸ばした首をこちらに曲げて俺をじぃっと見ているし、マリカさんも袈裟の袖を口に当てて笑っている。
吹き飛ばされた俺も、思わず笑ってしまった。
楽しい、と思った。
「さて、魔王陛下にご報告に上がらぬとの。」
ひとしきり笑ったルヴォレアヌが少し真面目な顔をして言った。
その通りだ。
ルヴォレアヌとマリカさんと俺の三人は、魔王城の中庭から回廊を抜け、王の間に至った。
未だに材質の分からない、継ぎ目さえ無い光沢のある漆黒の床が続く向こう、玉座の上に魔王陛下の姿があった。
今日も豪奢な椅子に気怠げな格好で頬杖を突いてこちらを見ている。
玉座のすぐ下まで三人並んで進み、膝を突く。
「ただいま戻りました。無事、ウンディーネを解放致しました。帝国の手に落ちたヘシュケ=デフアブアン城が消滅、同じくデルベン砦壊滅、デルベン砦に駐留していた帝国兵推定3000を殲滅。デルベン砦に集積されていた物資も全て消失させました。こちらの損害はありません。魔王軍はウンディーネの加護を得ました。」
膝を突いた姿勢のままで、顔を上げてルヴォレアヌが魔王陛下に戦果を報告する。
魔王陛下は頷く。
「期待以上の戦果だ。大義であった。」
魔王陛下がこちらを見下ろして言った。
相変わらずの威圧感だが、初日に感じた様な恐怖はもう感じない。
「追って褒美を取らせよう。下がって良い。」
俺達は再び頭を下げると、立ち上がり王の間を後にした。
■ 1.11.4
夜。
皆自室に下がり、俺も自室で何をすることも無くベッドに横になってめまぐるしかった一日を思い返していた。
ゲームとは違う実戦。
ただその実戦も、実際に軍を動かした訳ではなく、地形を使った計略のみで結果を得た。
軍が動き、力と力がぶつかり合う戦闘がなかったからか、やはりまだ俺には現実感の乏しい戦いとしてしか認識出来ていなかった。
今日だけで、数千という人間の命をこの手で奪っておきながら、だ。
それは、俺の頭がこの世界のことをグレートサモナーオンラインの続きとして認識しているからかも知れなかった。
ぐるぐるととりとめのないことを考えていると、不意にドアがノックされた。
「どうぞ。」
普通ならどこからともなく現れるミヤさんがドアを開けてくれるのだが、と思いつつ、ドアまで歩き、自分でドアを開けた。
夜もそろそろ遅い時間なので、多分ミヤさんも休んでいるのだろう。
ドアを開けると、そこに立っていたのは魔王陛下だった。
「呑むか。」
そう言って魔王陛下は、手に持った金色の液体が波打つボトルをかざした。
「畏れ多いことです。」
魔王陛下を部屋の中に迎え入れながら俺は言った。
畏れ多いと言いつつも、夜分わざわざ部屋を訪ねてきた魔王陛下を特に理由無く追い返すのは、失礼極まりない話だ。
「気にするな。ここは王の間ではない。」
そう言うと魔王陛下は、手に持っていたグラス二つをテーブルの上に置き、ボトルから液体をグラスに注ぎ込んだ。
魔王陛下は椅子にどっかりと腰を下ろし、俺もその向かいの椅子に座る。
グラスを手に取った魔王陛下は、それを俺の方に突き出した。
「勝利に。」
「勝利に。」
グラスを合わせ、二人とも一気にグラスを煽り、空けた。
蜂蜜の甘い香りが鼻に抜ける。ミード酒だった。
今度は俺がボトルを手に取り、空になったグラス二つに酒を注ぐ。
「どうだった? 泣き言を言っていた割には、見事な戦果だったが。」
「畏れ入ります。しかし、軍を指揮して得た勝利ではありません。」
「ふん。戦いは、結果が全てだ。どんな小理屈を付けようとも、負ければそれまで。勝てば全て善し、だ。」
それは分かっている。
だが今日の戦果をもって、オレ様は軍師様でござい、と言うのは間違っている気がするんだ。
「まあ、悩め。軍を指揮する機会など、これから何度でもある。
「いや、まずそれを訊いておかねばならんな。これからも軍師を続けてくれるか?」
魔王陛下が言っている意味がよく分からなかった。
この世界に軍師として召喚されたのだ。それ以外にどうやって生きて行けと?
俺の表情の変化を読んだのだろう。魔王陛下が言葉を続ける。
「聞かされておらんか。これをやろう。魔導器の一種だ。」
そう言うと魔王陛下は、どこから取り出したのか奇妙なものをテーブルの上に置いた。
木製の台座の上に、血が滲んだような模様のある黒大理石の珠と、磨かれた真鍮で出来た皿が一枚固定してある。
「元の世界に戻りたいときは、寝る前にこの珠を皿の上に置いて寝ると良い。次に目覚めるときは、お前の生まれた元の世界だ。」
・・・戻れるのか?
普通、こういう召喚は一方通行なんじゃないのか?
そこで、元の世界に戻れると聞いても、それ程喜んでいる訳ではない自分の感情に気付いた。
そう。
魔法使いとともにドラゴンに乗り空を飛び、大地形を使って巨大な水計を仕掛け、城を一つ根こそぎ叩き潰し、そして数千人の命を奪った。
それが面白かった。
そして、いつかは大軍を動かしてみたいと思っている自分がいることに気付いた。
「こちらの世界に戻ってくるときは?」
「それは俺も知らん。今回どの様にしてこちらに来た? それと同じだろう。」
なるほど。
魔王陛下がテーブルの上に置いた魔導具を睨み付けるように見続けている俺を見ると、魔王陛下はふっと笑い、そして腰を上げた。
「悩め。そして願わくば、俺が再び軍師を必要としたとき、それに応えてくれれば有り難い。」
俺の左肩にトンと手を置き、そして魔王陛下は俺の横を通って部屋から出て行った。
流石魔王だぜ。
格好良すぎだろ畜生め。
拙作お読み戴きありがとうございます。
基本的に魔法は全て無詠唱です。
詠唱による補助が必要なのは、習い始めの初心者程度です。