121話 一手
「待った」
幼かったかつて。
私がチェスのポーンの駒に触れようとしたら、叔母様は私にそう言った。
「待てフレンダ」
叔母様の目は黒い眼帯で片方を覆っているもののいつも鋭く、私を見つめるこの目もどこか遠くを見つめているような気がする。
「何でしょう」
「虚数というものを知っているか?」
「はい。虚数とは実数ではない数のことです」
「そうだ。では、お前は虚数を理解しているか?」
「…はい」
「本当に? お前は本当に虚数を具体的にリアリティのあるものとして理解しているのか?」
「申し訳ございません。発言を取り消します」
「なに、謝ることはない」
叔母様がそう言いながら膝の上のお姉様の頭を撫でる。
お姉様は鬱陶しそうにそっぽを向いてはいるが、叔母上様から逃れることは出来ないのか、渋々といった様子でされるがままになっている。
「虚数は物の個数を数えるのには使わない。電磁気学や量子力学など、学問上で必要なパラメータに用いられる事が多い。日頃ただ生きているだけでは知覚すら出来ない者がほとんどだろう」
「はい」
「だが、虚数を理解出来ない者に学がないからと断ずることは出来ない。何故か分かるか?」
「…いえ」
「ふむ。では、お前はこの世界を理解しているか?」
「………質問の意図が分かりません」
「よいよい。叔母上様の話に意図などないわい」
お姉様が無気力な顔でそう言うが、叔母様はなおもお姉様を撫でながら話を続ける。
「この世界は万象が互いに作用し、万物は常に変化している。それに名前をつけ、法則を見出し、定理を決める事で人々は日々を生きているが、儂からすれば分からないものを分かった気になっているだけだ」
「それで十分じゃろう? その果実の名など知らずとも食えば味がするし、経験が次の収穫へと繋がる。叔母上様は考えずとも、知らずとも良いことを知れと言うのか?」
「いいやローズ。およそ多くの者に万物を理解せよとは酷な話だ。果実になぞらえるならば、食せば万物を識れる実があったとして、それを食った者はまず死ぬ。というよりも存在が許されぬ」
「それで?」
「…ローズ。話を聞くことは良いことだが、話の先を急かすのは可愛げがない」
「妾は可愛げなど要らぬ」
「そうは言うが、お前は近い将来、男に可愛いと思われることに躍起になるぞ?」
「またいつもの未来予知かの? 妾は自分よりも弱い男は好かぬのじゃ。そんな未来など来んわ」
「強さと可愛げは別軸の話だと思うが、まあ良い。さて、話を戻すぞフレンダ」
「はい」
私は居住まいを正し、叔母様の話に集中する。
叔母様の話はどれも理解するに難しいものばかりだが、叔母様が私よりも博識であることに間違いはないし、魔族最強と謂われるお姉様よりも武芸に秀でていることも知っている。
「儂は万物を理解出来る」
「……存在が許されぬのじゃろう?」
「この儂を許そうなど片腹痛い。許すかどうかは儂が決めることだ」
「……。すみません。理解出来かねます」
「要は自分の見ている世界を全てだとは思わぬことだ。世界はお前が思っているよりも遥かに大きく、今お前が想像した遥かに大きい世界よりも広い。盤面だけを見て分かった気になってはならない」
そう言うと叔母様は目を伏せ、手元のお茶を手に取った。
叔母様の話はやはり難解なものだったが、しっかりと心に留めておかねば。
私はそう思い、ポーンの駒を手に取り、そして盤の上に置いた。
「叔母様。チェックメイトです」
「………フレンダ。ちょっと待……」
「待ては一回までですよ叔母様」
そうして私は何度目になるか分からない、負けた叔母様がお姉様に泣きつく姿を目にするのであった。
◇◆◇
フレンダ
何故今、こんな過去を思い出したのだろうか。
私はそんな疑問を浮かべ、即座に余計な思考を捨てた。
「アン。マイの戦局は?」
「私には戦闘を追い切る事は出来ないけれど、マイ様の体力がジリジリ削られてる。加勢が必要かも」
アンには私の補佐としてマイやお姉様の【体力】の数値をモニタリングし、報告する役目を与えていたが、そのアンから見ても現状は悪いらしい。
フーマやお姉様の【体力】が確認出来ないのはアルシャによって隔離された世界に入ったためだろうが、魔道具の有効圏外のみならず、私とフーマの魂の繋がりすらも阻害されているとなると、ここで出来ることはかなり限られてくる。
「私が出ます」
「うん。他に動かせる特級戦力は無いし、それが最……適…だと思う」
普段であれば私はアンの返事を待つことなく、己の判断に従って動いていたことだろう。
舞によって戦場の悪魔は一掃されているし、この場には私と同じだけの判断と指揮が出来るアンに加えてラングレシアの姫までもいる。
指揮系統も私の軍であれば柔軟に対応出来るし、この世界の戦場において最も必要なのは量よりも質だ。
ただ、なんとなくあの時の叔母様の話が頭にふと浮かんだ。
「アン。何か気になる事があるのですか?」
「う、ううん。頑張ってねフレンダ様!」
「アン」
「………。確証はないし、論拠もないよ」
「構いません。話しなさい」
「…なんとなく、流れが良くない。マイ様が危ないのもそうだけれど、それだけじゃない気がする。腕落としが火の国と手を組んだって言ってたのに、火の国の勇者がいないのはおかしい。アルシャの行動が不自然なのは前から気になってたけど、私たちは不自然じゃなかった? ラングレシア王国とスカーレット帝国の条約がこのタイミングだったのはどうして? ガランバルギア魔王国には火の国の勇者がいた。なら、フレイダール魔王国は? 魔族の国家がこれだけ揺れ動いているのに、こうも動きがないのはどうして?」
「それが流れが良くないと感じる理由ですか」
「……うん。取り止めのない話でごめんなさい」
アンの疑問には答える事が出来る。
おそらく私の答えは事実に即しており、正しくはあるだろう。
ただ、アンもその程度の答えであれば分かっているはずだ。
アンの違和感は問題が難解であるが故のものではなく、見えない何かを感じとっているために生じているものなのだろう。
それを気にするなと言うことも諭すことも出来る。
しかし……
「アン。引き続き戦況の観測を。指揮は私が継続します」
「……フレンダ様?」
「杞憂であればそれで良いのです。私には動くだけの余地があり、現状マイの戦闘に付いて行ける者は私ぐらいでしょう。ただ、それは全てを見通すことの出来ない私の判断です」
「……」
「もう少し。もう少しだけ戦況を見守りましょう。あらゆる事態を見逃さぬように…」
◇◆◇
シルビア
エルセーヌの捜索が私達に与えられた任務である。
メンバーは私とトウカさんとエルセーヌの配下が数名に、フレイヤさんも一緒である。
戦力としては私達の主人に比べればかなり見劣りするが、それでも私たちはそれぞれ何かしらの一芸に特化している。
「マイ様が粗方の悪魔を討伐してくださったために動きやすくはありますが、やはりこの場は不安定ですね」
「世界樹の力はその様なことも出来るのですか?」
「はい。本来は世界樹の下にある生物を感じ声を聞く力なのですが、世界樹と同化している今、私を中心にある程度の生き物の息を感じることが可能です」
そういえばトウカさんのお母さんにあたるカグヤ様はエルフの里の全てを世界樹の中から感じ取っていたとフーマ様が話していた気がする。
今のトウカ様からは世界樹の香りがするし、トウカさんの力は信頼できる。
「それで、不安定だというのはどういうことっすか?」
「そうですね…ツヴァイ様は目には見えない小さな生き物のことをご存知ですか?」
「? カビなどは毒にも使いますが、そのことですか?」
「はい。概ねその認識で間違いありません。そしてその小さな生き物はそれぞれ好む場があり、それに応じて数も変わるのですが、その法則が歪んでいるように感じます」
「ふむ。つまり空間が歪んでるってことっすね?」
「おそらくは」
とすると私でも何か感じ取れるのでは?
そう思い、剛糸を張ろうとしたその時だった。
「ウフフフ。さて、私も動こうかしら」
曲がり角から右折してくる姿があった。
黒いスーツに、黒いヴェールそして黒い…
「目を伏せてください!!」
以前、私はこの悪魔の術にハマった事がある。
その悪魔は目を見るだけで自分の胃袋に相手を引き込む能力を持っていた。
「まぁ、そうよね。流石に二度同じ手にかかるのは愚かすぎるものね」
「ベルベット…」
この悪魔はかつてマイ様とローズ様が共に対峙し、そして敗北した強敵である。
腕落としと共に行動している彼女であれば出会してもおかしくはないが、それがこのタイミングとは思いもしなかった。
「獣人にエルフにドライアド…それに龍人かしら? 何やら珍しい匂いもするし、これは食べがいがありそうね」
そうして私達の遭遇戦が始まった。
◇◆◇
アルシャ曰くエルセーヌを見つけたのは偶然だったらしい。
たまたまジェイサットに諜報に入っていたエルセーヌに目をつけ、その得意な血に興味を持った。
既にその頃には悪魔を使い始めていたこともあり、悪魔の血を持つ彼女を見つけたことは幸運だったのだという。
「筋書きを嫌うお前が運に喜ぶのか」
「別に僕は運命を憎んではいない。ただ、それを思うままに動かしたいだけだ」
アルシャが俺の胸をさらに抉り、突き刺した剣でグリグリとなぶる。
流石にこれ以上の出血は見過ごせなくなってきた。
「筋書きを書く者が多ければ、その物語はどこかでぶつかる。例えあの女を見つけた事が誰かの筋書きであろうと、僕ならそれを飲み込んで書き直せる」
「絵空事だ。自分が誰かの筋書きに動かされていないと証明出来るのか?」
「お前の視座で語るなよ人間。仮に僕が別の何者かの筋書きに沿っていようと、そんなことは関係ない。常に己を高め、支配範囲を広めていくだけのことだ」
「随分と努力家だな」
「これを努力と評するならお前はそこまでの人間だ」
淫乱女神の話では神になるには気が遠くなるような研鑽は最低条件だという話だった。
傲慢に見えるアルシャとて、その例に漏れることはないらしい。
「擬似■■■に接続。仮定の条件を参照し、パスを構築」
「また同じ手を繰り返すのか? お前程度の力では、この僕の闇を上書くことはできない」
「……偽説八尺様」
純粋に力比べで勝てないのであれば、絡め手を使おう。
「待て。なんだそれは」
俺を覆うように立つ八尺ほどの女性を見てアルシャが顔をしかめる。
おそらく俺のギフトは世界の記録のようなものから、自分の望む力を参照しそれを現実とする事が出来る。
その記録の全てを下ろし扱うことは未だ不可能だが、自分の知る神話の神ですらも擬似的に真似ることは近頃の修行で出来る様になっていた。
であれば、これはどうだろうか。
それは八尺ほどの長身の女である。
それは赤い大きな帽子を被っている。
それはポポと奇妙な声で笑い、聞く者の認識に割り込む事が出来る。
そしてそれは少年を拐い、退治する方法は存在しない。
「ちっ! 怪し気な術を!!」
八尺様の伸ばした腕を切り裂くことが出来なかったアルシャが一度距離をとり、苦言を漏らす。
これを出した俺自身その原理は不明だが、俺のギフトは検索さえかければ俺の認識不足を補ってそれを現実とする。
「ガフっ!?」
アルシャが先にそうしたように俺の影を刃に変えて攻撃するが、俺が現代の怪異を顕現させた理由はその対処法の少なさ故だ。
「何故! 何故だ!!」
『何がおかしい?』
「その女はなんだ! 何故何の力も感じられない!!」
『そういう存在だからだろう? これはお前を拐い消し去るための存在だ』
「ふざけるな!! そんな意味の分からないものが存在してイイはずがない!」
アルシャが俺ではない何かに向かって激昂している。
俺に出来ることは概念を現すのみで、実際にそこに八尺様を召喚しているわけではない。
今回はアルシャという少年を拐い消し去るための存在として、少年を拐う都市伝説を利用した。
現代の都市伝説では世界に対しての辻褄合わせに膨大な力を使ったが、ギフトの使用による代償はこれが初めてではない。
「クソ! こんな、こんなことがあって……」
『ポポ……ポポポポポポ』
そうして古びたテレビのノイズに紛れるように、アルシャは姿を消した。
「……勝った…のか?」
アルシャにやられた傷に加えて自分のギフトに身を裂かれて全身ズタボロだが、先ほどまで感じていた膨大な力は感じられない。
アルシャがどこに消えたのかは不明だが、八尺様に拐われた彼が俺の前に姿を現すことはもうないだろう。
「……はぁ。これ、自分で解かないといけないのか」
俺はそう呟きながら、誰もいない闇の中で両手足の拘束具を見上げるのであった。
◇◆◇
ローズ
立つことすらもままならないエリスに肩を貸しながら古い城の中を探索していたら、急にエリスが妾から離れて笑みを浮かべた。
此奴がおかしいのは前からじゃが、いよいよ気が触れたか?
「なんじゃ。もう肩はかさんで良いのか?」
「オホホホ。私にかけられていた拘束が外れましたの。おそらくアルシャが討伐されましたわ」
先ほどまで死にそう死にそうと喚いていたのがこうも一瞬で顔色を変えるとなると気のせいではないだろうが、流石にこの突拍子のなさには面を食らう。
「お主が死にかけておったのは、お主に繋がれておった空間がクロード達に攻撃されておったためじゃったな」
「オホホ。そうですわね。おそらくご主人様がアルシャを討伐したことで、私とこの空間を繋ぐ管が切られたのだと思いますわ」
「ふむ。そうか」
「オホホホ。随分と渋い顔ですわね」
「うむ。いや、お主が無事に越したことはないんじゃがの」
「オホホ。もっと喜んで良いですわよ?」
「……アルシャが討伐されたのなら、アルシャによって創られたこの空間も崩壊するのではないか?」
「オホホホ。………そうですわね」
◇◆◇
ぐらりとであった。
世界が大きく揺れた気がした。
おそらくアルシャが消えたことでこの世界までもが消えようとしているのだろう。
「とでも思ったか?」
それはつい先ほど消えたはずの少年が発した声だった。
「偽説八尺……っ!?」
「まったく。いやはや油断した」
手足にかけられていた拘束が蛇のように動き、俺の全身をギチギチと締め上げる。
「一体どんな手を使ってこの僕を消したのかは分からないが、まぁそれもいずれ分かることか」
「……」
「何故僕が生きているのか。そう言いたそうな目だな」
闇の中から姿を現しながらアルシャがそう言う。
なんとなく予想はつくが、しかし…。
「お前の生み出した女は不死身だったようだが、たかが人間に出来ることが神である僕に不可能だとでも思ったか?」
「……まさか」
「ああ、そのまさかだ。僕が闇を扱うのではない。僕こそが闇であり、お前の前に見せていた先ほどまでの僕はそう見えるようにしていただけのことだ。無限の闇の一端を消し去っただけでこの僕に勝ったとでも思ったか? 人間」
◇◆◇
舞
戦局は最悪だった。
ギフトの力を限界まで引き出して妖刀星穿ちや鎧袖一触の呪いまでも使っているのに、アイダシズネと腕落としを討伐出来ない。
どころか、腕落としの剣は私の首筋を捉え、アイダシズネがその後ろから油断なく見下ろしている。
「いやはや。まさかここまでやるとは、おじさん驚きだよ」
「……別に……このぐらい余裕よ」
「へぇ、それは怖い。なら、本気を出される前にトドメを刺しておこうかな」
嘘だ。
既に本気は出しているし、これ以上使えそうな余力もほとんどない。
何故だ。
力は私の方が圧倒していた。
腕落としの手数は豊富でアイダシズネがその隙間を埋めてはいたが、私が負けるほどではなかった。
だというのに、そう。
これはまるで……。
「……運命に見放された?」
「ああ、そうだろうね。確かに君は強かった。おじさん達が勝ったのはそれこそ運が良かったからだ。一歩間違えれば、負けていたのはおじさん達の方だった」
腕落としはまるでそれが自分の役割だとでも言わんばかりに、私が負けた敗因をつらつらと語る。
曰く敵対しているのだからどちらかが勝つだの、風舞くんがここにいれば結果は変わっただの、まるでどこかで聞いた臭いセリフを詰め合わせているようだった。
「はぁ。もう良い。もう良いわ」
「そうだね。もうこれでお終いだ。君はここで僕に討たれ、僕たちがアルシャを討伐する」
「……何を勘違いしているのかしら? アルシャを斬るのはこの私よ」
「まったく。君の強さには恐れいるよ。これでは僕たちが勝った気がしない」
「だから、そうだと言っているのよ。私は負けていないし、そもそも貴方達は私に勝っていない」
私のギフトは【勝敗覇喰】。
勝ち敗けすらも喰らい尽くし、戦を自由に操る。
「やれやれ。悪党ごっこもたまには良いけれど、やっぱり型に収まるのは飽きが来るわね」
「君のギフトは僕たちが打ち破ったはずだ。勝敗すらも左右する君の一太刀を僕たちはしのぎ、確かに君の元まで届いた」
「それは私が悪党として真っ当に戦っていたからよ。確かに悪党としての私は貴方達に負けたけれども、私のギフトは勝敗を左右すると言ったでしょう? であれば、勝敗を左右する前提条件すらも覆すに決まっているじゃない」
「何を馬鹿なことを…」
「ええ。馬鹿げているからこそ私は自分に不利な条件を飲んで貴方達の相手をしてあげたのよ」
悪党としての流れに乗れば負けることは見えていた。
私のギフトは勝敗を自在に操るものだが、何も絶対的強者に対して必ず勝てるというわけではない。
決まりきっている勝敗を喰らい、不確定な戦に持ち込むことこそ、このギフトの真髄である。
「不利な条件? 何のことだ」
「だから、勝負の流れが悪い方を演じてあげたでしょう? だからこそ貴方はアイダシズネを救えたし、だからこそ悪党である私を追い詰めることができた」
「何を、何を言っている!」
勝負には流れが存在する。
将棋やチェスに不利な局面が存在するように、決まった枠組みの中で戦えばどちらかが有利でどちらかが不利になる。
先ほどまでは不利な条件の中での勝敗をギリギリのところまで押し上げたが、自分にかけた不利な条件を取っ払えば、戦の結果はまた違うものになる。
「出来ればこの盤を眺めている誰かには私はただのコマに過ぎないと思っていて欲しかったのだけれど、そうも言ってられないみたいだからここで盤をひっくり返すわ。私は戦神、土御門舞。さぁ、誰にも先を読めぬ戦で踊りましょう!!」
「ふ、ふざけるな!!」
そうして私の第二幕の戦が始まった。
◇◆◇
フレンダ
その報告をアンから聞くまで、私は自分の目を信じられなかった。
「すごい! すごいよ!! マイ様が押し返した!!」
明らかにマイは瀕死だった。
腕落としやアイダシズネを追い詰めてはいたものの、明らかにマイの方が重体で勝負は決していた。
だというのに。
『フハハハ! 身体が軽い!! 血がたぎるわ!!』
マイの動きは明らかに先ほどまでよりも疾く鋭く、そして強くなっている。
受けた傷が癒えたわけでも、腕落としやアイダシズネがマイと同じ傷を負ったわけではないのに、戦局が明らかに変わっていく。
「……これが流れ?」
これまで兵法を学び実践し、現在では戦局を見誤ることはほぼなくなった。
仮に戦局を見誤ったとしても、それは互いの力量を測り損ねているだけだった。
単純にマイの力量が私の想定以上だったと言えばそれまでだが、この結果がそれだけだとは、どうしても思えない。
「マイは始めからギフトを使って勝敗を左右していたが、それはあくまでもチェス盤の上の話でしかなかった?」
とすれば、チェス盤をひっくり返した今、舞は誰との勝負を喰らったのだろうか。
おそらく腕落としやアイダシズネはただの駒にすぎず、盤の上にあった状態でもマイとほぼ互角だった。
「…。アン、この場の指揮は任せます」
「え? でも、腕落としは…」
「はい。おそらくマイはこのままアイダシズネと腕落としに勝利するでしょう。ですが、その筋書きが崩されたとなれば、筋書きを組んだ何者かが介入して来るはずです」
「それって…」
「今はまだ分かりません。ですが、動くならばここしかありません」
腕落としとアイダシズネがマイに勝利するという筋書きが、マイという大きな戦力を削るためのアルシャの策であればまだ良い。
ただ、これが未だに盤上に姿を見せていない何者かの一手だとすると、その脅威の度合いは大きく違ったものになる。
「おそらくここが分水嶺。私は私という駒を投じ、戦局をこちらに引き込みます」




