108話 アンの契約
アン
フェイル・リフターは魔物を専門にする研究者である。
ラングレシア王国のお姫様に指名手配され、それをフーマ様達が捕らえて来たのだが、今は私が牢から連れ出した事で腕落としの思惑に沿う形で行動を共にしている。
そんな彼は今、私達が乗って来た魔力回転式自動車の中で静かに目を閉じ、状況が動くのをジッと待っていた。
「フェイル・リフター。悪魔の弱点を教えて」
「魔石だ。魔物である以上、それを抉られれば死ぬ」
「それは急所であって、弱点では無いでしょう?」
「であれば、人族に弱点はあるのか?」
「………はぁ。なら、質問を変えるよ。古い悪魔を討伐する方法を教えて」
「そうだな…。お前が連れていたキキョウと言ったか…。あれと契約を結ぶのはどうだ?」
「契約って従魔契約? あれはせいぜい魔力とか少しの体力を受け渡す程度のものじゃないの?」
「ふっ。それは若い悪魔が古い悪魔を真似て契約魔法を使っているにすぎん。成龍が全てを焼くブレスを吐くように、古い悪魔は契約を使いこなす」
「それなら、グリムラッゾにも勝てる?」
「さぁな。だが、あの悪魔が本来の力を発揮すれば、ベルベットと同等の力を発現することもあるやもしれん」
「そう…」
情報は手に入れた。
そしてやるべき事も見えている。
「ミレイユさん。悪魔の契約とはどんなものなんですか?」
「そうですね…。あまり広くは知られていませんが、契約者が差し出す対価に合った結果を悪魔は導き出すと言われています。例えばそれは魔力だったり寿命だったり肉体だったりと多岐に渡りますが………って、ダメですからね?」
「……とりあえずシャーロットさんを探しましょう」
「え? まさかシャーロットさんを無理矢理……ダメですよ! それもダメですからね!? って、聞いてますか!? ちょっと、アンさん!?」
ミレイユさんが何を勘違いしたのか慌てているが、私はシャーロットさんの安否を確認したいだけで、別に彼女をキキョウさんに差し出そうなどとは考えていない。
おそらく無事だとは思うが戦線に再度立てるかは別の話だし、現状の手札の確認は最優先事項である。
そんな事を考えながら痕跡を頼りにシャーロットさんを探していたら…
「大丈夫かキキョウたん!? どれ、私が痛いところを舐めて…」
「やめろこのバカ!!」
傷だらけのキキョウさんの看病をしながら変態行為をしている変態がいた。
この変態もつい先ほどまで気を失っていたのか浅からぬ傷を負ってはいるが、最低限の処置は終えたのか余計な行動にうつるぐらいには余裕があるらしい。
「シャーロットさん。キキョウさんから退いてください」
「そういう訳にはいかんな。私はキキョウたんの………ちっ。分かった」
シャーロットさんが現在の主人が私である事を思い出したのか、キキョウさんから離れて自分の回復に専念し始める。
ミレイユさんもシャーロットさんの回復を手伝い始めたし、キキョウさんと話を進めるには申し分ない環境だ。
「助かったぞアン」
「ううん。それより一つお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」
「お願い? お前は私の主人なんだから……おい。まさかそのつもりなのか?」
「そのつもりが何かは分かりませんが、今すぐに私と契約を結んでください」
「……本来の悪魔との契約がどういうものかは知っているんだな?」
「はい。もちろん対価も差し出します」
「………そうか。悪魔である以上、望まれれば契約は結ぶ。願いはなんだ?」
「強くなってください」
「………は? それではお前には何の得もないだろ?」
「ん? でも、私の護衛が強い分には私には得しかないですよね?」
「あのなぁ…。悪魔との契約は基本的に直接的な利益を望むものなんだ。それに必要な力と幾らかの報酬を対価としてもらうのが契約で、強くなってくれだと対価の求めようがない」
「なるほど……。じゃあ、私のこれから先に伸びるであろう身長を全て上げます」
「そんなもの、何の意味が…」
「そんなもの? ただでさえ周りにはスタイルが良い人が多くて、ご主人様が年上好きなのに、そんなもの?」
「わ、分かったからその顔をやめろ。私にもデメリットは無いから契約を結んでやっても良いけど、一回契約したら二度と破棄は出来ないぞ? それに第一、お前が差し出す対価で私がどのぐらい強くなるのかも分からない。それでも良いのか?」
「良いから早く契約してください」
「……はぁ。まぁ、契約で感情だとか肉体を差し出す奴もいるし、別に良いか…」
キキョウさんはそう言うと自分の胸に腕を突き刺し、胸を開いてその内にある黒く光る石を露出させた。
あまりにも突然の行動に私には理解できないが、これが契約に必要である事はおそらく間違いない。
「……スレイヴの名において■■■へ接続。対価を基に根元を解し、契約者が望みを叶える礎となれ」
「キキョウたん…??」
視界の隅でシャーロットさんが声を溢している。
しかしキキョウさんは彼女には目もくれず、私を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「これに触れれば契約は結ばれる」
「……」
私は言われるがまま、手を伸ばしキキョウさんの魔石に触れる。
変化はそれと同時だった。
ボタンさんに砕かれたはずのキキョウさんさんの黒い角が復元され、開いた胸も綺麗に元に戻る。
「……これで仮の契約は結ばれた」
「ん? 仮の?」
「ああ。本来の悪魔の契約はアンが払うには対価が重すぎるから、従魔契約を混ぜてアンのステータスの一部を借りる事にした」
「それってどういう…」
「要は普通の従魔契約の上位版みたいなものだな」
「……私は契約を結ぶに足らないと?」
「あのなぁ。お前は勘違いしているみたいだが、決してお前は弱くない。そんな奴が悪魔なんぞに対価を払うとか、頭がおかしいのか?」
「勝手に契約を変えたのはそれが理由? それであの悪魔には勝てるの?」
「さあな」
「……」
「悪魔からの一方的な契約は効果も弱いからな。従魔契約同様にアンのレベルが上がると同時に私の力が増すだろうけど、これでアンのフーマへの想いは大きくは削らないはずだ」
「フーマ様への想い?」
「そうだ。お前は身長を差し出すとは言っていたが、アレが奪うのはおそらくお前の想いだ。身長が大事なのはフーマがその方が好きだからなんだろう?」
「それはそうだけど…」
「お前の強さはアイツへの想いがありきだから、それを失くさせるわけにはいかない。身長への執着は失われるだろうけど、まずはこのぐらい妥当だろ」
「……そっか。気遣ってくれてありがとうございます」
「は? 何を勘違いしてるんだ? 私が強くなるには、一度で吸い尽くすよりもお前を成長させた方が効率的だと踏んだだけだ。人族の尺度で悪魔を覗くな」
「お礼とは言いたい側が言いたいから伝えるものなんですよ」
「よく分からんが、まぁ良い。とにかくこれで仮とは言えお前は私の主人だ。呼び捨てで良いし、好きに使ってくれて良いぞ!」
「それじゃあ、予定通りグリムラッゾを倒してください」
何はともあれキキョウさんがグリムラッゾを倒してくれるのなら何の問題もない。
後は彼女の吉報を待つのみである。
「お前主人。私従者」
「……キキョウ。グリムラッゾを倒して来て」
「おう! 行くぞ変態! リベンジマッチだ!」
「……っっ! ああ! 今行く!!」
そうして私の従魔となったアンと応急処置を終えたシャーロットさんが屋敷へと向かって行く。
当初の思惑とは少しズレる結果になったが、大きく道を外れたわけではないし、未だ主目的も射程圏内である。
「私達はどうしますか?」
「もちろん屋敷へ向かいますよ。私達では悪魔を相手に己の身を守ることは出来そうにありませんし、あの二人がギリギリ駆け付けられるぐらいの距離感で戦闘を眺めるとしましょう」
本来であれば戦場から離れる事が己の身を守る最適解なのだろうが、悪魔を相手に逃げ切る事など出来ないだろうし、私には追手を察知するだけの力はない。
決して退ける状況ではない以上、多少戦闘の邪魔になろうとも己の身を第一に考えて動くべきである。
そんな事を考えながらキキョウ達の後を追うために爪先を屋敷へ向けると、黙って経緯を眺めていたフェイル・リフターが声をかけてきた。
「特に理由がなければ、今後はカウンセリングを受ける事だな」
「……要らないよ。私は常に自分の手札を把握しているし、例えそれが悪魔の性質だとしても、私は自分の従者を必要以上には疑ったりしない」
「そうか」
「仮に愚かな選択だとしても、私がここにいるのはそういう不合理な感情によるものだから」
私はそう言って再度振り返り、想定よりも静かな戦場へと足を動かす。
こればかりは譲れない。
私の唯一の信条なのだから。
◇◆◇
キキョウ
アンは使える。
そう思ったのはいつの事だったか。
これまでは純粋な戦闘能力だけを判断基準においていたが、一度あの獣人に負けて従魔にされてからは思考が変わった。
この世界において魔物は人族魔物共通の敵であるにも関わらず、生まれながらにレベルによって成長を続ける人族や魔族に武力のみで敵うはずもない。
フレイヤとかいうドライアドの話では私達魔物にもレベルがあるそうだが、それは基本的に主人に合わせているあたり当てにはならず、私達が力を付けるには魔素を吸収する事が最もオーソドックな方法だと聞いた。
だが、魔素を得るために魔物を喰らおうにも雑魚ばかりでは効率が悪いし、あまり魔物は美味くもない。
「この世界を私のものに」
それが私の【悪】である以上、力を付けるために時間をかけすぎるわけにもいかないのである。
そんな時、そんな時にだ。
一人の獣人がいた。
その獣人に戦う力は無く、私からしてみれば息を吐くように容易に殺せるぐらいの雑魚でしかない。
にも関わらず、圧倒的な戦力差を持つ相手を戦闘能力以外の力で平伏させ、戦わずして相手を殺す。
正直、私は痺れた。
人間のように言うのなら惚れたと言っても良いかもしれない。
こいつの力があれば、どんな強者とでも渡り合える。
さらにレベルも低く、ギフトも未開花ときたのだ。
これから共に尸を積んでいけば、どんな化け物になるのか今から心が踊って仕方がない。
「だからお前は殺す」
「あぁ、やっときたのか。いやぁ、悪魔ってば無駄に手数が多いから凄く疲れるんだよね」
髭面の鬼がそう言いながらグリムラッゾの剣を受け止め、その背後からベルベットが魔法を放つ。
「おめおめと逃げてまた戻ってきたのか? スレイヴ」
「黙れ。今の私はキキョウだ。お前のように戦う事しか能の無い雑魚の奴隷だった頃の私ではない」
「そうだぞ! キキョウたんをそんなキモい名前で呼ぶなこの悪魔め!!」
ただ目の前の相手を殺すだけが戦闘ではない。
相手は悪魔だ。
その行動は悪を成すためだけにあり、グリムラッゾがここの使用人を生かしている事には理由がある。
「あぁ、そういう事か」
屋敷の中に点在する気配が一見無造作でありながら、一部はこちらに意識を向けている。
グリムラッゾへ向けて飛び込むシャーロットの行く道を塞いだのはそんな気配の一つだった。
「なっ!?」
「油断するなバカめ」
全身を無理な挙動で傷付けながら現れた人間の首を飛ばし、邪魔な胴体をそのまま蹴り飛ばす。
シャーロットはそんな私の行動か、はたまた突如現れた邪魔者に驚いたのか、僅かばかり逡巡の色を見せていた。
「そこの女騎士。お前の横に立つそれに背中を向けていても良いのか?」
「なんだと?」
「今の所行を見ただろう? そいつは容赦なく人を殺す悪魔だ。お前はその悪魔を信用出来るのか?」
「当然だ! こんなに可愛いキキョウたんを信じずして何を信じれば良い!」
こいつはバカで変態だが戦闘のセンスはそれなりだし、数回であればグリムラッゾの攻撃でもいなす事が出来るはずだ。
理由はともあれ使える人間ではあるし、腕落としとベルベットもそこに加わればしばらくは戦闘を保つ事が出来る。
「後はそうだな…」
アンと契約したことで私の悪魔としての力が僅かに開花している。
私の【悪】はこの世界を私のものにすること。
そのために必要な搾取が私の力。
「悪魔の重税」
◇◆◇
アン
「悪魔の重税」
キキョウがそう呟いた直後、鈍い痛みと共に全身から力が抜ける感覚があった。
「3割…」
ステータスカードで自分の体力を確認してみると、ちょうど3割の体力が削られている。
そしてそれに伴うように、キキョウの手には暗い紫色の光が握られていた。
「あれは一体…」
横にいたミレイユさんがそう言いながら目の前の光景に目を奪われる。
そのミレイユさんの顔にも僅かな痛みの色が浮かんでいるあたり、体力を奪われたのは私だけではないらしい。
そしてそれはあそこで戦っている面々も例外ではないらしく…
「バカめ! 隙だらけだ!!」
身体の異常に僅かばかり反応した彼らを飲み込む様にキキョウが凶悪な紫電を放つ。
射線上にはシャーロットさんや腕落としもいたが、それすらもお構いなしに放たれた攻撃はグリムラッゾを飲み込み、あたり一面を吹き飛ばしながら轟音を鳴らす。
「どうだ! 参ったか!! このバカめ!!」
そうして生まれた粉塵の中、私の従魔は高笑いを上げていた。
しかしながら慢心こそが大敵であるとはよく言ったもので…
「バカはお前だ」
グリムラッゾがキキョウの首を跳ねようと粉塵を押し除けながら一息に這い寄る。
本来であれば避ける事の出来ない完全なる油断の中での攻撃であったが、その油断に敏感な悪魔はグリムラッゾだけではなかった。
「ウフフフ。ざぁんねん」
黒いベールから覗くベルベットの瞳がグリムラッゾの瞳を捉え、それと同時にグリムラッゾが姿を消す。
私達も散々苦しめられた彼女の胃袋に収まった以上、グリムラッゾが生きながらえる事はないだろう。
「いやはや。相変わらずベルベットちゃんの能力はズルいねぇ」
「別にズルくなどないわ。それはグレイブも知っているでしょう?」
「それは確かに。ところでアンちゃん。これでお終いだろうし、おじさんはもう寝てても良いかい? なんだか急に体力を吸われたみたいで、どうにも調子が悪いんだよね」
腕落としがそう言いながら私の方に視線を飛ばしてくるが、それよりも今はキキョウのことだ。
「キキョウ。さっきのあれは何?」
「驚いただろ! あれが私の【悪】… 悪魔の重税だ!」
「それはどうでも良いよ。でも、次からそれを使う時は無関係な人を殺さない程度にして」
「ん? でも、死んだのはグリムラッゾに操られて死にかけてたやつだけだぞ? グリムラッゾはクソ野郎だから、普通の方法じゃ元には戻せないし…」
「そうかもね。ただ、私の従魔でいたいなら、次はないから」
「わ、わかった。気をつける」
キキョウには私の命を第一にしてもらっている以上あまり我儘は言えないし、彼女の価値観を無理に正そうとは思わない。
ただ、これはお互いの関係を維持するための機械的な契約で、それは私にとって大きな意味を持つものなのである。
「さて、けれども何はともあれお疲れ様。キキョウのおかげで次に進めそうだよ」
「そうか? それは良かったな!」
「シャーロットさんもありがとうございました。いきなりあんなのと戦わせてごめんなさい」
「まったくだ。ミレンたんには劣るとはいえ、いきなり魔王クラスとの戦闘になるとは思ってなかったぞ」
「そうですね。私もびっくりです」
そんな話をしながら緊張を解しつつ、ふとため息をつこうとしたその時、良いことを思いついたとでも言いたげな顔をしたキキョウがグリンとこちらに目を向けて、とんでもない事を言い始めた。
「そうだアン! 今からグリムラッゾに止めを刺しに行こう!」
「グリムラッゾはもう倒したんじゃないの?」
「いいや。多分まだ生きてるぞ! だよな?」
「……私は嫌よ」
「あぁ、なるほど」
ベルベットの能力は目を合わせた相手を自分が管理者である世界に閉じ込めるもので、現状グリムラッゾはベルベットの胃の中に閉じ込められているのみで未だ死んだわけではない。
「グリムラッゾの魔石は要らないからいいだろ? 経験値だけ稼がせろ!」
「スレイブのくせに煩いわね。面倒だから嫌よ」
「おい! 腕落とし! こいつを説得しろ! さもないとアンを殺す!!」
「いやいや。アンちゃんは君の主人なんじゃないの?」
「うわぁ〜。キキョウに殺される〜」
「ちょ、ちょっとちょっと! 未来ある女の子がそんなに簡単に首に傷を作っちゃダメだって!!」
「はぁ。グレイブがそれで良いなら構わないけれど、この調子だと払える対価がすぐに無くなるわよ?」
「分かってる。分かってるけどさぁ…」
そんなこんなでどこかげんなりした顔の腕落としをよそに私とキキョウはグリムラッゾに止めを刺しに行き、それなりの経験値とジェラルド商会の主導権を手に入れたのであった。




