93話 暗転
ファルゴ
「ふぅ。なんとかなったぜ」
フーマの従者に薄暗い便所に置いていかれた時はどうなる事かとも思ったが、無事に出す物を出せてスッキリした俺は便所から出て、安堵の溜息をついていた。
もともと農民の出の俺がこんなところにいるのは、フーマ達と共にエルフの里に行ったあたりから人生が狂い始めたのが原因なのだが、流されるままにこんなところまで来てしまった俺にも責任の一端はあるだろうし、誰かに文句を言ってもどうにもならない事はここ最近のエルフの里での生活で嫌という程に身に染みている。
「入って来た方の廊下からはかなりヤバい気配ぶつかり合っているし、とりあえずは反対方向に行ってみるか」
エルフの里で兵士に混じって訓練していれば、泣きたくなる様な目には何度も遭うし、「あ、死んだわコレ」みたいな状況も何度も体験している。
かつての俺だったら通路の奥から響いて来る振動に怯えて舌打ちをしていた事だろうが、こんな事はよくある事である。
「確かユーリアさんの話では、今日の調印式は30分ぐらいで一通り終わるって言ってたし、あと20分ぐらい待てば、暴れてる連中を誰かがどうにかしてくれるはず」
俺にはあまり関係の無い話だが、今日の調印式はラングレシア王国とスカーレット帝国にとってかなり重要なものの様で、そのためか仮に妨害する者が現れても無視して続行するつもりであるらしい。
「やれやれ。こんな事なら、魔族怖いなんて言ってないで大使館でのんびりしてるんだったな」
「キシシシシ。のんびり?」
「ウフフフフ。のんびりかしら?」
「ああ。のんびりのんびり…………はぁ」
周囲の気配には気を配って歩いていたつもりだが、曲がり角の先に不気味としか言い様がない双子がいた。
この双子のみだったら、軽く挨拶でもして素通りするところなのだが…。
「助け……て………」
見るからに魔族の女の子がこの双子に捕まっているし、どうやら俺は出会してはいけないところに出会してしまったらしい。
「ええっと。お前らはスカーレット帝国の魔族なのか?」
「キシシシシ。違う」
「ウフフフフ。違うわ」
「……そうか。ちなみに、こんなところで何をやってるんだ?」
「キシシシシ。撹乱?」
「ウフフフフ。撹乱かしら?」
「あぁ………そう」
やっぱり俺は出会してはいけないところに出会してしまったらしい。
おいおい。こんな人気の無い通路に誰かが通り過ぎるなんて事は無いだろうし、もしかして俺一人であのお嬢ちゃんを助けないとダメなのか?
「いや。無理だろ!」
俺は通路の中でこんな事もあろうかと用意していた煙玉を爆破させ、一目散にたった今通って来た道を引き返す。
あの魔族のお嬢ちゃんには悪いが、俺に出来る事は精々尻尾を巻いて逃げるぐらいだ。
敵の隙はついたし、後は勝手に助かってくれ……
「って、おい! 何で二人揃って俺を追いかけて来るんだよ!」
「キシシシシ。見られたら生かしておけない」
「ウフフフフ。見られたら殺すしかないわ」
「そうかい! 何か知らないけど、さっきのお嬢ちゃんが助かって良かったよ!!」
俺はそう言いながら、薄暗い通路をひた走る。
ただ、この先で馬鹿みたいに派手な戦闘をしている誰かが助けてくれる事を願って。
◇◆◇
風舞
一先ず襲いかかって来た敵を倒して障害を取り除いたものの、ポラムを包む闇が晴れる事はなく、転移魔法陣ぎわの戦いは尚も続いている。
転移したらポラムの街を闇で包むと言った敵は倒したし、転移しても問題なさそうな気もするが、周りに俺達を身張っている敵がいたらこの街が崩壊してしまう。
「なぁ、舞の力でどうにか出来ないのか?」
「出来ないわ。私に出来るのは闇というイレギュラーを世界の本来の姿に戻す事なのだけれど、流石にこの規模になると闇の力が強すぎるのよね」
「舞でも無理なのか…」
「風舞くんを治すのは本人の自浄作用を元にすれば良かったけれど、流石に世界を直接修復するのは骨が折れるわ」
「となると……フレンダさん」
『やれやれ。フーマは相変わらず私がいないと何も出来ないのですね』
「はいはい。で、フレンダさんがいないとあんよも出来ない俺はどうすれば良いんですか?」
『一先ずはこの都市の統治者と接触し、状況を説明しなさい。ここは我が国の侵攻に対する最前線基地ですし、ある程度の戦力はあるはずです』
「って言っても、この闇は対処出来ないでしょう? 会いに行くだけ無駄なんじゃないですか?」
「いやいや。これでもうちの人達も中々やりますよ」
「でもなぁ、俺達が戦ってても何の援護も無かったし、あんまし期待できないよなぁ」
「それは貴方達が先に戦い始めて、すぐに片付けたからでしょう? というか、ガキのくせにあんまり粋がんなよ雑魚が」
「………あ、あれ?」
なんとなくフレンダさんと話しているつもりで適当に会話をしていたら、何故か俺の後ろから物凄い殺気を感じる。
俺の正面にいる舞が口パクで「DOGEZA」って言ってるし、ここは早急に謝らなければ!
「クソ雑魚なめくじのくせに調子に乗ってすみませんでした! 雑魚は雑魚らしく地面に這いつくばってますので、何卒ご容赦を!」
「はぁ。勇者だからってこっちが下手に出てたら粋がりやがって。私、最前線基地の所長。お前、配属されて数ヶ月の新兵。アンダスタン?」
「はい! あ、靴に汚れが付いていますね! よろしければお舐め致しますか?」
「汚ねぇ死ね」
「すみません!」
なんだよなんだよ。
初めて会った時は茶髪メガネの大人しそうなハーフエルフのお姉さんだと思っていたのに、めちゃくちゃ怖いじゃんよ。
怖い人なら、最初から怖い人らしくしておいてくれよ!
「それでアリスさん。現状は把握出来ているのかしら?」
「概ねはな。転移魔法陣の方は敵の様子見も兼ねてワザと硬直させてるが、始末しようと思えばいつでも出来る。だが、問題はあの天幕だ。鬱陶しいったらありゃしねぇ」
「あれは触れるだけでステータスの弱体化や、悪ければ身動きすらも出来なくなる代物よ。貴女達で対処は出来そうかしら?」
「さぁな」
「さぁなって、それじゃあ俺達が困るんですけど」
「あぁ?」
「すみませんすみません! でも、俺達はスカーレット帝国に行きたいので、出来ればこちらはお任せしたいのですが…」
「行きたきゃ勝手にしろよ。それとも、お前達でどうにか出来んのか? 出来ねぇからここでクソみたいな顔でクソみたいにへばりついてるんだろ? クソが」
「はい。すみません」
アリスさん。
始めて会った時と全然違うじゃん。
今なら実は別人でしたって言われても信じるぞ。
「そういう事なら、私達はスカーレット帝国に向かうわ」
「ああ。好きにしろ」
アリスさんはそう言うと建物の上を跳びながらどこかへ走り去って行く。
とりあえず許可はもらえたし、スカーレット帝国に行っても良いのか?
「ええっと、フレンダさん。これで良いんですかね?」
『おい。今すぐにあの女を追いなさい。私のフーマを排泄物呼ばわりした報いを受けさせてやりましょう』
やけに静かだとは思っていたが、そんな事を考えていたのか。
今からこんな調子で、講和条約を結んでも大丈夫なのか?
「いやいや。そんな暇はありませんから。貴女のお姉さんがピンチかもしれませんよ?」
「そうね。今は時間が惜しいし、さっさとスカーレット帝国に向かいましょう。アインさんもそれで良いわね?」
「はい。問題ありません」
「あれ? いつの間に戻って来たんですか?」
「クソが話しかけないでください。臭いが移ります」
「フレンダさん。あいつ、いじめっ子みたいな事を言ってますよ」
『ふふ。子供の喧嘩は微笑ましいですね』
「あれ? 父母会のおばさんみたいに、過剰に俺を擁護してくれないんですか?」
『誰がおばさんですか』
フレンダさんから見ると、アインさんと俺はどちらも子供という扱いなのか。
もしかすると、フレンダさんにとってエルセーヌの部下は纏めて娘のお友達という括りに入っているのかもしれない。
「ん? アインさんが戻って来たって事は、双子の片割れは倒せたんですか?」
「……いいえ。あと少しのところまで追い詰めたのですが、レイザードと同じ様に霧になって消えてしまいました」
「やっぱりそうなのね。そうなると、ツヴァイちゃんが食べてしまった方も本物だったのか怪しいのだけれど…」
「ど、どうしましょう? どうすれば良いですか?」
「人一人を丸々食べられるだけの奇々怪界な胃袋を持っているのなら、おそらく大丈夫よ」
「あぁ……こんな事なら、面倒になって雑に食べて始末するんじゃありませんでした」
「胃薬、飲みますか?」
「……一応もらっておきます」
何故か胃薬を持っていたシルビアからツヴァイさんがそれを受け取り、小さな瓶ごと丸呑みにしてしまう。
胃薬を瓶ごと飲む人には、胃薬に効き目なんて無いんじゃないのか?
「ていうか、シルビアは胃薬なんて持ち歩いていたのか」
「はい。フーマ様の従者としてし、当然です」
『フーマはよく胃痛を訴えていますものね』
「流石に胃袋に空いた穴を胃薬では治せないと思うんですけど…」
「ほら、風舞くん。そんな事よりも、いつまでも這いつくばっていないで、私達を帝都まで連れて行ってちょうだい。貶されたままでは、風舞くんも立つ瀬がないでしょう?」
「ふふ。私はそんなフーマ様でも応援していますよ」
「……分かりましたよ。ちゃんとやりますよ」
さてと、転移魔法が阻害されているとは言え、複雑な顔をしているシルビアのためにも、格好良いところを見せますかね。
◇◆◇
ローズ
調印式の行程も筒がなく進み、残すは互いに国の代表として書面に名を刻み、この条約が成立した事を宣誓するのみとなった。
何やら先程から外が騒がしく戦闘の音がここまで響いているが、この程度の妨害など予め想定していた範囲内に過ぎないし、何も恐れることはない。
今の妾は魔王として、ただ己の責務を淡々とこなすのみである。
「まさかこんなにも早く、この条約が成就するとは思いませんでした」
「これもお主の協力があってこそじゃ。諸侯を抑えるのは大変だったじゃろう?」
「ええ。ですが、それはお互い様でしょう。これも全ては人族の、そして魔族のためです」
「そうじゃな。その通りじゃ」
そうして妾とセレスティーナが共に名を記そうとしたその時であった。
轟音と共に謁見の間の扉が破壊され、侵入者にして叛逆者が姿を現す。
「人族と魔族のためだと? どの口が言っている」
「お主を招いた覚えは無いぞ。のう、レイザード?」
レイザードの後ろには、大きな傷を負いながらも未だ戦意を消してはいないアメネアやペトラやメリーリスがいるが、思うように身体が動かないのか、レイザードを睨むのみで直接的な動きには出れずにいる。
いいや。むしろここまで良くやったと褒めてやるべきじゃな。
「老人は物忘れが多いから困る。言っただろう? 俺は戦争を仕掛けに来た」
「戦争ですか。たったお一人で、我が盟友スカーレット帝国に戦争を仕掛けるとは、随分と自信がおありの様ですね」
「これはこれはラングレシア王国が姫君、セレスティーナ様。この様なところでお目にかかれて光栄です」
「今は我が国とスカーレット帝国にとって極めて重要な式典の最中です。私への謁見を望むのでしたら、後ほど申請をお願い致します」
「ふん。小娘が」
「ねぇねぇ。ミレン…いや、今はローズか。あいつ、敵でしょ? 私がやっても良い?」
ここまでじっと式典を見守っていたエルフの里からの使者であるターニャが拳を握り、妾に問いかける。
「いいや。その必要はない」
式典に参列していた我が国の序列上位の者は既に動いていた。
ある者は鋭い爪を向け、ある者は魔法を構え、ある者はギフトの力をレイザードに向ける。
彼らとてレイザードに煮湯を飲まされた事は未だ鮮明な記憶であり、この場にてレイザードの存在を許す者は誰一人として存在しない。
それにも関わらず。
それにも関わらずレイザードは愚か者を嘲る様に嗤った。
「ハハハハハ!! お前達はやはりどうしようもない愚者だな! 俺がローズに立ち向かうことを教えてやったと言うのに、相も変わらずに従順に尻尾を振りやがって」
「黙れ。逆賊が口を開くな」
「セイラム。何故お前はここにいるんだ? そこのアメネアの様に俺に立ち向かうでもなく、王都の防衛に加わるでもなく、こんなところでローズのお守りか? 将軍であるにも関わらず、フレンダの指揮を愚直にこなすしか脳が無いのは変わらずか」
「黙れ!」
「そう騒ぐなよ。ローズ。俺は言ったよな? 宣戦布告をすると」
「………」
「無視か。俺の様な下民とは言葉も交わしたくないとは恐れいる。だが、そんな事はどうでも良い。既に状況は動いている」
「キシシシシ。準備できたよ」
「ウフフフフ。準備できたわ」
「ああ。さぁ、愚かな王とそれを盲信する愚物どもよ! 俺こそがレイザード・ベルロード! 新たなる大魔帝としてこの世界に君臨するその姿を恐れ、敬い、感嘆しろ!!」
レイザードのその声と共に、廊下から大量の闇が押し寄せ、謁見の間へと入り込む。
「オホホホ。甘いですわ!」
「甘いのはお前達だ。この俺が結界魔法への対策をしていないわけが無いだろう?」
颯爽と現れたエリスが謁見の間の入口を結界で塞ぐが、玉座の後ろにあった窓が割られ、大量の闇が押し寄せる。
咄嗟にエリスとその配下が妾達を結界で守ってはくれたが、これでは…
「せいぜいその中で永遠に閉じこもっている事だな」
妾達は結界ごと闇に飲まれ、身動きが一切取れない。
……これは、どうしたものじゃろうな。




