87話 泡沫の夢
舞
ポラムは対スカーレット帝国のために造られた城塞都市であり、そこに入るためには四つの検問を突破する必要があったりと珍しい決まりがあるのだが、ラングレシア王国が直接支配下に置いている都市であり、一般の人が立ち入る事はあまり無いためか、私がこの街に関して知っている事もそこまで多くはなかった。
現にこのポラムを収める市長が女性でハーフエルフだなんて事も知らなかったほどである。
「それでは次の方。どうぞ」
軍服の男性に声をかけられ、部屋の前で順番を待っていた私は風舞くんの後に続いて中に入る。
ここの扉は外に音を漏らさないためかかなり分厚いのだけれど、検問のためとはいえここまで頑丈な部屋にする必要はあったのかしら。
そんな事を考えながら部屋へと足を踏み入れた直後、何らかの精神干渉を受けて微かに視界が揺らめいた。
「これは?」
「……あ、あれ? もしかして効いていないのですか?」
「少し前に呪いに痛い目を見せられたから鍛えたのよ」
「え、ええっと。どうしましょう」
薄暗い部屋の中で簡素なデスクの奥に腰掛けた茶髪で眼鏡のエルフの女性が、手元の書類と私の顔を何度も見比べながら何やら慌て始める。
恐ろしい面接官がいるとは聞いていたのだけれど、要は幻術か何かで恐ろしい経験をさせて洗いざらい素性を吐かせようって事だったのね。
ボンテージ姿のハーフエルフのお姉さんを予想していたのに、ちょっぴり残念だったわ。
「私の前に来た男の子には貴女の術は効いたのかしら?」
「へ? あ、はい。一応効きはしましたけど、全然怖がっていませんでしたね。時々いるんですよ。怖いモノが何も無い人って」
「そう。なら、私も怖いモノが何も無い人という事で処理してちょうだい。どうせ私に精神的な干渉は殆ど効かないのだし、それでも問題は無いでしょう?」
「しかし何分こういった事は初めてでして……もしかして貴女もそういうギフトをお持ちなのですか?」
「いいえ。これは自前よ」
「そうですか……まぁ、姫殿下のお付きの勇者様なら大丈夫ですよね。あ、どうぞ先へお進みください。お連様もこの先にいますよ」
「それで良いのなら構わないけれど、こんなに適当でも良いのかしら?」
「どうせ中に入ったら兵士の皆さんがそこらを彷徨いていますし、悪い事をしたくなる様な娯楽もあんまり無いですからね。それに私は戦ってもあんまり強く無いので、泡沫の夢が効かないのなら、これ以上出来る事もありませんから」
「そう。なら、貴女の名声のためにも言動には気をつける事にするわ」
「はい。そうしてくださると助かります」
そうして私の面接は思ったよりも早く終わり、次の部屋で待っていたお姫様や風舞くん達と私は合流した。
お姫様達は私達とは違うルートで検問を受けていたみたいだけれど、ここで合流する様になっているのね。
「お待たせいたしました殿下」
「いいえ。精神の方に問題はありませんか?」
「はい。特に何も」
「舞は何の幻覚を見たんだ?」
「私には市長さんのギフトは効かなかったわ。無意識にレジストしてしまったみたいね」
「マジかいな」
「アリスのギフトはほぼ無条件に幻覚を見せるものなのですが、流石はツチミカド様ですね」
「ふっふっふ。私は常に現実を見据えている女ですので」
私を惑わせる事が出来るのは風舞くんぐらいのものよ!
って、あら? 何故か風舞くんに目を逸らされてしまったわ。
「風舞くん? どうかしたのかしら?」
「いや、別に…」
「そう? 幻覚の後遺症があるなら、私が治してあげても良いのよ?」
「本当に大丈夫です」
「なら良いのだけれど、辛かったら言って頂戴ね?」
「はい。どうもありがとうございます」
風舞くんが敬語になる時は何らかの自責の念がある時がほとんどなのだけれど、何か思い悩んでいる事でもあるのかしら。
少し心配だわ…。
◇◆◇
風舞
面接を終えてからクロードさんに聞いた事なのだが、アリスさんの幻覚は相手の記憶を媒介にしているらしく、その相手がこれまでに最も恐怖した相手が幻覚として現れるらしい。
大抵の一般人は幻覚として現れた何かに怯えてペラペラと素性を話し、その相手に恐怖を克服している人もいるにはいるが強いストレスを受けているために、アリスさんの巧妙な鎌かけに引っかかりやすくなるそうなのだが、俺が幻覚として見た相手は俺のよく知る人物だった。
というか、幻覚として出て来た人物の本物が、俺の横で心配そうに俺を見つめている。
「そ、そういえば。この後の予定って何でしたっけ?」
「そんな事も忘れたのか? この後は姫殿下とスカーレット帝国の使者で諸々の打ち合わせだ」
「その間、俺達は…」
「お前たちの仕事はもう終わりだ。この後は私達が戻って来るまで、ここで大人しくしているのだな」
「はぁ……そうですか」
ちくしょう。
俺の恐怖の象徴であり最愛の恋人でもある舞の視線に耐えかねて適当に話を振ったのに、シャリアスさんに呆れた顔をされただけで、話がすぐに終わってしまった。
「つ、次は誰が来るんだ?」
「多分、シルビアちゃんだと思うわ。シルビアちゃんは大丈夫かしら…」
「幻覚を見せるとは言ってもそこまで追い詰めるわけではありませんので、心配は要らないと思いますよ。アリスはその加減がかなり上手ですから」
「そうですか…」
そういえば俺の前に幻覚として現れた舞も終始笑顔だったな。
まぁ、途中から神降しを発動させて星穿ちを突き付けてきたけど…。
そんな事を考えながら心の中で舞に謝罪しつつシルビアが出て来るのを待っていると、シルビアもそこまで時間がかからずに面接部屋から出てきた。
「お疲れシルビア。大丈夫だったのか?」
「はい。以前、ソレイドで私を攫った冒険者の方が現れましたが、今の私はあの時とは違いますので」
「過去の恐怖に屈しないほどに自分の実力を信じられるとは、流石はタカネフウマの従者といったところか」
「恐れいります」
クロードさんに褒められたシルビアが誇らしそうにしているが、肝心のご主人様は本物への恐怖が強すぎて、幻覚なんかじゃあんまり刺激を感じられなかっただけなのだ。
だからシルビア、そんなに俺を尊敬した目で見ないでくれ。
「後はトウカさんとドラちゃんね…」
「あの二人なら、そこまで心配なさそうだな」
「トウカさんは大丈夫だろうけれど、ドラちゃんは少し心配だわ」
「そうなのか?」
「ええ。ドラちゃんはあまり自分の過去を話したがらないし、きっと私を心配させまいと凄惨な過去を話さないようにしているのよ」
という舞の心配も杞憂に終わり、フレイヤさんはシルビアの面接が終わって数秒後に俺達の元へと姿を現した。
なんでも従魔に対しての面接は必要無いらしく、見える位置に認可済みというタグを身につけておけばそれで十分らしい。
「さぁ、ドラちゃん。私の胸で泣いても良いのよ?」
「うるさい」
「ふっ。ここでは人の目が気になるということね。立派だわ」
フレイヤさんに軽くあしらわれた舞が何故か誇らしい顔をしているが、これで後はトウカさんを待つのみだし、ポラムに入る上では何の心配も要らないだろう。
「………って、随分と長いな」
「そうね。シルビアちゃんも五分程度だったし、そろそろ来ると思うのだけれど」
フレイヤさんが出て来てからかれころ30分は経っている気がするのだが、トウカさんに何かあったのだろうか。
なんて考え始めた頃になってようやくトウカさんが姿を現した。
「お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」
「何かあったのかしら?」
「ええ。少し…」
「少し?」
トウカさんが顔を赤くして、首を傾げる舞からそっと目を逸らす。
まさか…いや、まさかな。
あのトウカさんがまさか恐怖のあまり…
「ち、違いますからね!」
「別に何も言ってないです」
「目が言っていました。私のギフトも精神に作用する力があるので、市長様のギフトに少し影響が出てしまっただけです」
「そうですか。そういう事にしておきましょう。殿下、お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」
「いいえ。何事も無かった様で安心しました」
「そうですね。何事も無くて良かったです」
「フーマ様? 何か言いたい事でもあるのですか?」
「………別に」
これ以上からかったら顔を真っ赤にしたトウカさんが可哀想だし、ここら辺で勘弁しておくとしよう。
フレンダさんに会ったらこのことを絶対に話そっと。
「それでトウカさん。影響ってどんな影響があったのかしら?」
「はい。実は…」
その後、トウカさんの現実味のある面接エピソードを聞きながら、お姫様の後に続いて馬車へと乗り込んだ俺達は、ポラムの市長のお屋敷へとそのまま通され、事前に言われていた通りそこからは自由行動となった。
自由行動とは言えども、このお屋敷の中であてがわれた部屋からは極力出て来て欲しくないらしく、部屋の前には軍服の優しそうなお兄さんが護衛という名目で立っていたりもする。
「さて、これでポラムまでのお姫様の護衛も終わった訳だけれど、この後はエルセーヌの配下が来るまでは待ちなのかしら?」
「そうだな。帝都までは行こうと思えば転移魔法で一瞬だし、しばらくはのんびりしてようぜ」
「エルセーヌの配下はこの厳重な警備の中、どの様に入って来るのでしょうか」
「普通に申請をしてです。やろうと思えば出来ますが、申請すれば入れるのでしたらコソコソする必要もありませんので」
シルビアが疑問を口にすると共に、部屋の外へ立っていた兵士のお兄さんに何らかの書類を渡したアインさんが疑問に答えながら部屋の中へと入って来る。
あ、今回はツヴァイさんも一緒なのか。
「いやぁ、初めまして初めまして。私、ツヴァイって言います。趣味はお裁縫と読書です。どうぞよろしくお願いします」
「ど、どうも…」
「ねぇ風舞くん。別に彼女とは初対面じゃないわよね?」
「ああ。その筈だけど…」
「確かに少し前にジェイサットでお会いしていますが、こうしてお話させていただくのは初めてですからね。私は無愛想なアインと違ってお話大好きなので、気軽に話しかけてくださいね!」
「はぁ。分かりました…」
「ツヴァイ。エリス様に発言を許可されているとはいえ、話しすぎです。フーマ様に引かれていますよ」
「それはショックです! あ、お久しぶりですシルビア様! エリス様にシルビア様は…オホホホ。私の上司にあたる方なので決して粗相の無い様に…と言いつけられているんですよ! どうぞよろしくお願いします!」
「そうですか…こちらこそよろしくお願いします」
「嫌だなぁ。私はエリス様の従順な僕なので、エリス様の上司でもあるシルビア様にとっても私は従順な僕なんですよ? どうぞボロ雑巾の様に雑に扱ってください」
「そうですか。なら、そこの窓枠が少しだけ汚れているので掃除してください」
「え? 掃除ですか?」
「雑巾はお掃除に使う物ですよ?」
「え、ええっと。ボロ雑巾の様にっていうのは言葉の綾で、私にはフランクに接して欲しいって意味だったんですけど…」
「そうなのですか?」
「ツヴァイ。黙って掃除しなさい」
「………はい」
そうしてシルビアの天然っぷりに驚愕したツヴァイさんが「シルビア様パネェ」とか言いながら、窓枠の掃除を始める。
何というか、落ちまでの流れがかなり鮮やかな人だったな。
「さて、改めてお久しぶりですフーマ様。お元気でしたか?」
「まぁ、ボチボチですね。アインさんの方はどうでしたか?」
「私が調子を聞いたのは社交辞令ですので、ここぞとばかりに私のプライベートを詮索しないでください気持ち悪い」
「ねぇ、風舞くん。何かアインさんに失礼な事でもしたのかしら?」
「アインさんはエルセーヌ大好きお姉さんだから、エルセーヌが俺の従者なのが気に食わないんだと」
「アインは素直じゃ無いよねぇ。エリス様に新しいご主人様が出来たって聞いた時は実際に会えるのをすごく楽しみにしてたんですよ?」
「ツヴァイ。黙って手を動かしなさい」
「……はい」
そう言えばエルセーヌの配下は上下関係がかなりしっかりしてるんだよなぁ。
見るからにお調子者のツヴァイさんがアインさんの指示には絶対従ってるし。
「まぁ、その辺りのことはどうでも良いわ。それで、私達はいつになったら動けるのかしら?」
「今から78時間後に我が国の皇帝とラングレシア王国の姫君が会談を始めますので、それまではしばらく待機していただきます。現在の帝都は厳戒体制でレイザードの襲撃に備えていますので、シナリオに無い動きをするのはレイザードが姿を現してからにしてくれとフレンダ様から仰せ使っております」
「つまりはスカーレット帝国がレイザードに対して動く一歩目を邪魔しないでくれという事ね。レイザードが現れたら即座に分かるのかしら?」
「はい。エリス様から魔道具を預かっておりますので、問題ありません。エリス様から合図があり次第、帝都の上空へ転移していただき、そこからは私達の指示するルートで現場まで移動していただきます」
「なるほど。それじゃあ、78時間は暇って事ですかね?」
「………そうなります」
エルセーヌの忠実な配下であるアインさんは特にする事もない状況を暇とは言いたくないらしいが、今から3日ちょいの間は俺達にする事は無いらしい。
念のためにいつでも動ける様にはしておくが、今から張り詰めていても疲れてしまうし、大人しくのんびりしているとするかね。
俺はそんな事を考えながら、ツヴァイさんがせっせと掃除をする横でアインさんにゴミを見る様な目を向けられつつ、ベッドへと入るのであった。
次回、26日予定です




