63話 椅子
風舞
世界樹から戻って来た後、カグヤさんの執務室にターニャさんを放り込んだ俺は、涙目になりながらプルプルと震えるアンを連れて風呂場の前までやって来ていた。
可哀想に。震えるほど寒かったんだな。
「大丈夫だぞアン。今からあったかいお風呂に入れてやるからな」
「もういや……。フーマ様のばかぁ」
「オホホホ。シルビア様、ご主人様が少女に性的暴行を加える変態になりかけているので止めてくださいまし」
「うん。フーマ様、ここからは私がアンの面倒を見ますのでフーマ様は外で待っていてください」
「そうか? それじゃあアン。また後でな」
「うぅぅぅ」
別れ際にアンが両手をギュッと握りしめて上目遣いで俺を睨みながら唸っていたが、アレはなんだったのだろうか?
ものすごく可愛かったな。
「オホホホ。普段は理性的なアン様をあそこまで追い込めるのはご主人様ぐらいですわね」
「別に俺は何もしてなくないか?」
「オホホ。無自覚でアレとはいよいよアレですわね」
「アレってなんだよアレって」
「オホホホ。アレはアレですわ」
何故かエルセーヌに呆れた目で見られている気がするが、今日はアンとシルビアとついでにエルセーヌのために過ごすと決めていた俺は、アイテムボックスからティーセットを取り出して紅茶を淹れる。
この茶葉はかなり珍しい代物だが、可愛い従者達にリラックスしてもらえるなら十分に対価は得られるはずだ。
「オホホホ。良い香りですわね」
「ちなみにお茶菓子はアンの好きなブリュレだ」
「オホホ。早く食べたいですわ」
「アンが風呂から上がったらな」
なんて事をエルセーヌと話しながら待つことしばらく。
シルビアとその後ろに隠れているアンが風呂から出て畳の上へとやって来た。
「お待たせしました」
「ちょうど紅茶を淹れ終わったところだからこっちに来て座ってくれ。それとおやつはブリュレだぞ」
「ありがとうございます」
「………」
「ほら、アン」
「…フーマ様、ありがとう」
シルビアの後ろに隠れていたアンがシルビアに促されて俺からブリュレを受け取る。
今日のアンは小動物みたいだな。
「どういたしまして。この紅茶はリラックス作用があるらしいから、疲れている時にピッタリらしいぞ」
「オホホホ。ご主人様のせいで疲労マックスのアン様にピッタリですわね」
「どうした? エルセーヌも俺のために疲れて倒れるまで働きたいのか?」
「オホホ。遠慮しておきますわ」
そうして4人揃って紅茶を飲み始めたのだが、どうにも先ほどからアンにチラチラと視線を向けられていて落ち着かない。
俺に何か言いたい事でもあるのだろうか。
「オホホホ。どうやらアン様はフーマ様にかまっていただきたいみたいですわね」
「そうなのか?」
「そ、そんな事ないよ。もっとブリュレが食べたいだけだよ」
「一応まだストックはあるけど、昼飯前にそんなに食べて大丈夫か?」
「オホホ。仕方ありませんわね。ご主人様、少し下がってあぐらを組んでくださいまし」
「ん? こうか?」
囲炉裏から離れて座り直し、エルセーヌに言われた通りにあぐらを組む。
一体エルセーヌは何をするつもりなのだろうか。
「オホホホ。少し失礼しますわね」
「え? ちょ、ちょっと!?」
要求の意味が分からずに頭に疑問符を浮かべている間にエルセーヌが音もなくアンの背後に周り、そのままアンを抱き抱えて俺の方に放り投げる。
アンはあまりにも自然すぎるエルセーヌの動作に対応できなかったのか、何の抵抗も無いままに俺の目の前にポスリと落ちてきた。
というか、俺のあぐらの上にアンがピッタリと収まっていた。
「オホホホ。最も後輩である私ばかりがそこを使っては悪いですし、今日はアン様にも使わせて差し上げますわ」
「ご主人様の足をそこ呼ばわりするんじゃないよ」
「え、ええっと…流石に恥ずかしいんだけど…」
「オホホ。じきに慣れますわ」
「でも…」
「フーマ様が許してくださるなら良いんじゃない?」
「俺は別に構わないぞ」
「うぅ……それじゃあ少しだけ」
アンはそう言うと借りて来た猫の様に大人しく、俺の膝の上に座ってジッとしている。
近頃のエルセーヌや舞は遠慮なく俺の膝の上に頭を乗せたり座ったりするし、こうして恥ずかしそうにしているアンはなんだか新鮮だな。
そんな事を考えながら目の前のアンの耳をモフろうかモフるまいか考えていたその時、昨日の晩の様に勢いよく扉を開いて舞が現れた。
「土御門舞参上! あら? アンちゃんが風舞くんの膝の上に座っているなんて珍しいわね」
「あ、ごめんなさい。今退くね」
「まぁまぁ。もう少し風舞くんの温もりを堪能してちょうだい。見たところ、まだ風舞くんに座ったばかりなのでしょう?」
「えぇっと、それじゃあもうちょっと」
舞やトウカさん達が来た事で立ち上がろうとしたアンが再度俺に体重を預け、引き続き大人しくジッとしている。
どうやら俺のあぐらの上に座ることは別に嫌では無いらしい。
なんだろう。めっちゃ嬉しい。
「それで舞は何しに来たんだ?」
「外は寒いから、出前でもお願してゆっくり過ごそうと言いに来たのよ。ついさっきシェリーさん達にも声をかけたから、そのうち来ると思うわ」
「出前は何を頼むか決まってるのか?」
「とりあえずトウカさんグッズと、エルフの里の郷土料理を宮殿のシェフにお願いしておいたわ。他に欲しい物があれば適宜買い出しかしらね」
「なるほどな。あ、これどうぞ。アンのオススメのブリュレです」
「ありがとうございます。いただきますね」
「うん。どうぞ」
相変わらず大人しいアンが俺の横に座ったトウカさんにそう言って少しだけ顔を俯かせる。
どうやらトウカさんや舞達に自分のこの状態を見られるのは、少しだけ恥ずかしいらしい。
「それはそうと聞いてちょうだい風舞くん! トウカさんったら、私がお土産で買った6分の1スケール巫フィギュアを叩き壊したのよ!?」
「あれはマイ様が不埒な事に使おうとしたからでしょう? 購入するところまでは目を瞑りましたが、それ以上は許せません」
「何したんですか?」
「トウカの人形の下着を覗こうとした」
「ちなみにスケスケの紐パンを履いていたわ!」
「オホホホ。流石はトウカ様ですわね」
「へぇ…」
「違いますからね! 私の人形の話であって、私はその様な下着は身につけませんからね!」
「あら、ホントね」
「マイ様!!」
トウカさんの下着を覗いた舞がトウカさんに叱られ、フレイヤさんが呆れた表情でそれを眺めつつ、シルビアはそんな3人のためにせっせと紅茶を淹れる。
エルセーヌは相変わらず妖しい笑みを浮かべて静かに紅茶を飲んでいたが、それでも俺達の周囲はうるさい事この上なかった。
「フーマ様…」
「ん? どうした?」
そんな喧騒の中で俺の膝の上に座っていたアンが前を向いたまま声をかけてくる。
「私、もっと頑張って強くなるからね」
「……そうか」
「うん……」
アンが小さく頷き、そのまま上半身の力を抜いて俺に寄りかかる。
俺はそんなアンの小さな体を支えてやりながら、アンと共に騒がしい仲間達をゆっくりと眺めるのであった。
◇◆◇
風舞
エルフの里でトウカさんの里帰りと慰安旅行を行った次の日、俺達一行はエルフの里から南西に位置するレイズニウム公国が首都ソーディアにやって来ていた。
「おぉ! これが剣と道化の街ソーディアなのね! ……って感想を用意しておいたのに、あんまり人はいないのね」
「前来た時はもうちょっと賑わってたと思うんだけど、何だか閑散としてるな」
以前ボタンさんと来た時にはそこかしこで大道芸を披露する人や、剣闘大会に出場する人々や観光客で賑わっていたというのに、真っ昼間の大通りでありながら道行く人はかなり少ない。
「ここに立ってても仕方ないし、とりあえず公爵さんに謁見するための予約を入れに行くか」
「それもそうね。折角今日のために大道芸の練習をして来たのに、お客さんがいないんじゃ仕方ないもの」
「まさか公爵様の前で大道芸とやらを披露するつもりではありませんよね?」
「流石はトウカさんね。もちろんそのつもりよ!」
「いくら勇者様とは言えども、勝手に大道芸なんか始めたら流石に不敬なんじゃないかな」
「そこはアレよ。持ち前の可愛らしさで何とか乗り切るわ」
「無計画」
「むぅ。せっかく練習して来たのに…」
舞がそう言いながら腰にさげた星穿ちに手をかけ、おふざけモードから真剣なものへと表情を変える。
いつもの様に急に暴れ出すのかとも思ったが、どうやらそういうわけでは無いらしい。
「オホホホ。囲まれていますわね」
「みたいだな。転移魔法で街中に転移したから目をつけられたのか?」
「かもしれないわね。とにかく話を聞かない事にはどうにもならないし、手近な人に軽く斬撃でも…」
「ソーディアへようこそいらっしゃいました。公爵夫人がお待ちです」
「……つまらないわね」
危なかった。
もうちょっと公爵夫人の使者が出てくるのが遅かったら、暇を持て余した舞が有無を言わさずに襲いかかっていたかもしれない。
舞はやる時はやる女なのだ。
「オホホホ。従わなかった場合はどうなりますの?」
「不法侵入の罪で取り押さえさせていただきます」
「へぇ、面白そうね」
「どうどう。嬉しそうに牙を剥くんじゃありません。エルセーヌも余計なことは言わんでよろしい」
「むぅ。仕方ないわね」
「オホホホ。承知いたしましたわ」
「…それではどうぞこちらへ」
まったく。使者のお姉さんがちょっと困っちゃってんじゃん。
しかしこのお姉さん、舞とエルセーヌの殺気を受けてよく腰を抜かさずにいられるな。
流石は公爵夫人の使者をやっているだけのことはある。
「フーマ様。以前謁見した際は正装に着替えましたが、本日はよろしいのですか?」
「さっさと移動したいみたいだし、今回は良いんじゃないか?」
「そうですか…」
もしかしてシルビアは前回ソーディアに来た時に買った青いドレスを着たかったのだろうか。
後でいい感じの舞踏会でも無いかエルセーヌに調べさせておくか。
「ねぇ風舞くん。公爵夫人って、この前ボタンさんのところで働いていた人よね?」
「ああ。ボタンさんとは旧い友人らしいぞ」
「そう、一筋縄では行かなそうね」
「あの人はかなり悪戯好きだし、もしかすると何かトラップでも用意してるかもな」
「まだここに来てから5分も経ってないし、流石にそれは無いんじゃないの?」
「ふっふっふ。何が待ち受けていようとも望むところよ!」
いくら公爵夫人が悪戯好きとは言え、メインストリートがガラガラになる程の事態が起こっている現状では、流石にそこまで大層な余興は容易していないだろうと俺はたかを括っていた。
だと言うのに……
「レディースエンドジェントルメン! 大変長らくお待たせいたしました! ただいまより、我が国最強の剣闘士ゴルドー・ドーンVS今や我が国にまでその名を轟かせる転移魔法の申し子、勇者フーマ・タカネのエキシビションマッチを開始いたします!!」
「「「「うぉぉぉぉ!!!」」」」
「風舞くんなら必ず勝てるわ! 頑張ってちょうだい!!」
「オホホホ。相手はこの地下闘技場で負けなしの歴戦の猛者らしいですわね」
「流石にアウェーなだけあって、フーマ様の方が倍率が高いね」
「フーマ様。応援しています」
公爵夫人の使者について来たはずが、気付けば城の地下にある闘技場に立っていたし、気がつけば覆面を被る観客席の紳士淑女達に賭けの対象にされていたし、気がつけば何故か俺が戦う羽目になっていた。
「勇者だか何だか知らねぇが、ぶち殺してやる!!」
「………マジかいな」
何度も格上と戦って来た俺には分かる。
この目の前にいる身長が2メートル以上ありそうなおっさんは、下手したら舞と張り合うかそれ以上に強いかもしれない。
う〜ん。めっちゃ逃げたい!
次回、九日予定です




