107話 靄の奥の素顔
風舞
転移魔法は瞬間移動、テレポーテーションを可能とする魔法である。
俺は転移魔法の他にも空間と空間を繋げる事の出来る空間魔法も扱えるが、転移魔法と空間魔法はどちらも一般的には扱いづらいという共通点はあれども、魔力の流し方やパターンはまったく異なると言っても過言ではない。
フレンダさんやローズは転移魔法を扱える人物は空間魔法にも才能があると言っていたが、両方を扱える俺からしてみれば、転移魔法を扱う才能があるものならば空間魔法をも扱うほどの魔法の才能を持っていると表現した方が適切であるように感じる。
つまりそんなプチ自慢と共に俺が何を言いたいかと言えば、空間魔法と転移魔法はまったくの別物だという事だ。
そうして考えてみると、転移魔法はかなり異質な魔法である。
物理学的に転移魔法を考えてみるとまず最初に思い当たる疑問なのだが、転移先の物質は一体どこに行くのだろうか。
例えば俺がとあるポイントに転移しようとした場合、そのポイントには当然ながら大気が存在する。
思いっきり腕を振った時にも空気を感じられるように大気もしっかりとした密度を持った物体である。
物体は早く動けば動くほどに空気の圧力を大きく受けるが、転移魔法のスピードは無限だ。
そんな無限の空気の力を毎回受けているとは考えられない。
瞬間移動に関して研究している学者は瞬間移動をした瞬間にその先の分子と肉体の分子が結合して大爆発を起こすいう説を提唱している人物もいるぐらいだし、転移先にある物質はそのままそこに存在しているのではなく、俺が転移をする直前にその座標から消滅するか、俺が転移する直前に俺のもといた場所にあった物体と座標を入れ替えていると考えるのが妥当だ。
転移魔法とはかくも複雑奇怪な魔法なのである。
「つまり、何を言いたいのですか?」
フレンダさんが黒い影を飛ばし舞に回復魔法を飛ばしつつ、俺の説明を聞いて首を傾げる。
黒い影はもう何度もフレンダさんに吹き飛ばされ、舞に斬り刻まれているのだが、まるで実体のない霧の様に何度も起き上がってきていた。
「魔法というのは使用者そのものの能力ではなく、どこかにこういう事がしたいですってお願いして、その結果を目の前に出力してもらっていると考えたいって事です。転移魔法は炎を出したり水を出したりするのと比べると色々と複雑だから、世界に結果を出力するのに時間がかかる。つまり、転移後の硬直があるんだと思います」
「それがあの不死身の怪物を倒すのとどの様な関係があるのですか?」
「最近吸血鬼のギフト紛いの能力を使ってみて分かったんですけど、この世界の不思議能力は質量保存の法則を無視すると激しく体力や精神を消耗し、元からあるものを使うと消耗が少なく済むんです。フレンダさんもその赤い槍を使い捨てにせずに何度も使っているのはそういった理由ですよね?」
「ええ。確かにその通りです」
「その点を留意してあの化け物を見てみると、あいつが使っているのは何だと思いますか?」
「影……いいえ、闇でしょうか」
「はい。創世神話にも元々闇があってそこに神様が光を創り出したって流れのお話はよくありますが、一般的にはこの世界の何も存在しない空間は闇であるとされています。つまり…」
「あの怪物は世界の根源である闇を無限に使用できるという事ですか?」
「そういう事です」
「それであの怪物には勝てないというわけですか」
「そういう事です」
「まさかここまで長々と説明をしておいて結論がそれとは、呆れるのを通り越して怒りが湧いてきますね。先にフーマから片付けておきましょうか」
そう言ったフレンダさんの槍の一本がゆっくりとこちらを向く。
ちょ、ちょっと。
敵はあっちで舞と切り結んでいる真っ黒い化け物の方ですよ!?
「ま、待ってください! 勝てないとは言いましたけど、どうしようもないないとは言ってません!」
「ならば疾く素早く行動に移しなさい! 夜以外にフーマの戯言を聞くなどウンザリです!」
「ちょっと風舞くん!? 夜の戯言って何の話かしら!?」
「聞いてたのかよ…」
俺はそう言いながらも黒い影を舞から離れた位置に転移させ、横目でものすごい顔で睨んでくる舞の横に並んで片手剣を構える。
「良かった。これでどうにかなる」
「何の事かしら? 話を逸らそうったってそうはいかないわよ?」
「転移させた直後、あいつの周りの黒い靄が消えた。転移魔法ならあいつを元の姿に戻す事が出来る」
「私も見ていたからそれは分かるけれど、それでどうなると言うのかしら? 転移直後の実体を斬りつけても、すぐに黒い靄になって肉体を修復されたらどうしようもないわよ?」
「魔物には一撃で殺せる弱点があるだろ? それを叩く」
あの黒い影は転移魔法直後の靄が生えた瞬間、額に黒い角の生えた悪魔の姿をしていた。
ならば魔物に共通した弱点があの体の中にあっても何ら不思議ではない。
「なるほど。あの体のどこのあるのか分からない魔石を破壊しろという事ね。言葉にすると簡単そうだけれど、なかなか難しい事を言ってくれるじゃない」
「出来るか?」
「どうかしらね。風舞くん次第よ」
「俺次第?」
「とりあえずドラちゃんとトウカさんを連れて来てちょうだい。正直私一人だと手数が足りないわ」
「了解。それじゃあ少しだけ任せたぞ」
「私をあまり待たせるとまたおかしな力に目覚めてしまうかもしれないから、なるべく早くお願いするわね」
「あいよ。それじゃあ任せたぞ」
「任されたわ!」
そうして俺は舞と軽く拳を合わせ、トウカさんとフレイヤさんを連れて来るためにその場から離脱する。
魔物のコアである魔石を叩けば魔物を倒せる事に違いは無いのだが、あらゆる可能性を想定をするのならあいつの魔石がこの島にはない可能性も考慮に入れなくてはならない。
「しかし、あいつの顔どこかで見たことある気がするんだよなぁ」
俺は先ほど一瞬だけ見えた黒い影の素顔と記憶の中の最悪の人物を照らし合わせつつ、増援を呼ぶために足を動かすのであった。
◇◆◇
ビクトリア
「まったく。何故この私がこのような事をしなくてはならないのだ」
フーマさんのお知り合いの女性に眠らされた私が目を覚ますと、目の前には不機嫌そうな顔でブツブツと何かを呟くキキョウさんの姿がありました。
フレンさんの指示でフーマさんのお知り合い達に接触し、この島の方達を避難させる様にアンという少女を誘導しましたが、フレンさんの予想通り私はその場で気絶させられてしまったために、ここでキキョウさんに起こしてもらう手はずとなっていたのです。
「現在の作戦の進行度合いは?」
「Bの13だ。あの女の予想通り、悪魔は一枚岩ではなかった」
「そうですか………。念のため確認しますが、あの女性達には気付かれていませんね?」
「当然だ。気絶していたお前を海賊の船から下ろしてここに運んでくるまで、誰にも気付かれていない」
「それではフレンさんの言っていた連絡役の方はどうですか?」
「そっちはまだだ。というより、それを見つけるのがお前の仕事だろうが」
フーマさんと一度落ち着いて話をする機会を私に与えるという条件で、フレンさんから出された指示はスカーレット湾の流通の遮断を目論む悪魔の特定とその計画の阻止です。
フレンさんの推測だと近頃フーマさんが討伐した悪魔や今回この島に集まって来た悪魔は、悪魔の本隊がスカーレット湾で展開する予定だった計画を勝手に持ち出した単独犯との事でしたが、どうやら彼女の推測は正しかったようです。
「Bの13となると離反した悪魔の討伐は終わって、本隊からの刺客の相手をしているというわけですか」
「そうだ。だからお前はさっさと本隊の連絡役の居場所を掴んで私に殺させろ」
「しかしいるのかも分からない連絡役を見つけるのは、相当な難易度ですよ?」
「フレンの予想通り自警団に混じっておかしな奴が紛れ込んでいた。そいつに話を聞けば良いだろ?」
「そいつとはどこにいるのですか?」
「そこだ」
キキョウさんに指摘されて始めて、部屋の隅に見知らぬローブ姿の人物が立っていた事に気付きます。
あばら屋同然のこの家屋なら空いている壁から出入りし放題ですが、たった今この場に現れたというのではなく、私が目を覚ましてからずっとそこにいたようです。
さて、まずは軽く様子見から始めましょうか。
「初めまして。私はビクトリアと申します」
「……………」
「貴方様がディープブルーの実権を握っていると聞き及び、いくつかお話をお聞かせください」
「……………」
目の前のローブ姿の人物は顔がフードで隠れているために表情は分かりませんが、私の力によれば目の前の人物は私達に不満を抱いているようです。
おそらくキキョウさんが無理を言って連れて来た事による感情でしょうが、一言も発してくれないと彼の考えを引き出さなくてはならないのでいくらか面倒ですね。
さて、何かしら返答があれば良いのですが。
「おそらく貴方様には勇者を含むあらゆる肩書きを見せびらかしたところで何の意味もなさないでしょうから自己紹介は抜きにして話を進めますが、今すぐにこの一件から手を引いてください」
「我々にはそれをするメリットがない。そもそもこの件に我々は関与していない」
「自警団をハルガから遠ざけたのは貴方様ではないとおっしゃるのですか?」
「いいや。確かにそれは俺の指示だが、今回の悪魔の行動には一切関与していない」
これで今回の一件が悪魔が起点となっている事の確証が持てました。
そしてその場合、フレンさんが想定した悪魔の目的はスカーレット湾の交易機能の破壊だという仮説がいよいよ現実味を帯びてくるわけですが、彼がハルガから自警団を遠ざけた事を含んで考えると、彼は交易機能の破壊かそれによってもたらされる利益を望んでいます。
情報が不足しているために彼の望むところの詳細は掴めませんが、見えないメリットには見えないデメリットをぶつけるとしましょう。
「なるほど。しかし自警団を遠ざけてくださり、こちらとしては有難い限りです」
「何を言っている」
「監視の目が薄くなった今なら我々の組織が自由に動けるという事ですよ。流石に全ての港湾都市と連携を取るのは厳しいですが、東西で一つずつ残しておけばいくらでも交易は広げられます。むしろ今回の一件でハルガ自治区ではなくラングレシア王家の直轄地となれば、以前よりもスムーズに商売を広げられるというものです」
「騙りだな」
「そうお考えになるのも無理はありません。しかし、ジェラルド氏とラングレシア王家が手を組めば強ち不可能な話ではないのではありませんか?」
「ジェラルドが動くわけがない」
「ジェラルド氏はフーマ様に大きな借りがございます。それでもあり得ないと?」
ジェラルドとは、フーマさんと私が黒髭海賊団に転がり込む前に乗っていた客船の主人です。
大陸有数のジェラルド財閥の総帥でありランバルディア大陸の西側の人族の諸国には多大な影響力を持っているという彼ですが、フーマさんが樽詰めにされていた事から想像するに、フーマ様との関係は皆無ではないと思います。
仮に何の関係が無かったとしても、この目の前のローブ姿の人物を動かせるのなら真偽はどちらでも構いません。
「なるほど。つまり俺が自らハルガに停泊している船を破壊する必要があると言いたいわけか」
「私はこの島から貴方様が退いてくださればそれで結構です」
「……………仕方ないか」
「それでは…」
「ああ。この島からは手を引こう。既に結末は決まったようなものだしな」
そうして上手く不確定分子をこの島から追い出せそうだったその時でした。
「あらあらあら。まさかこれほどうちの縄張りを土足で踏み荒らしておいて、ただで帰れると思ってはるん?」
「なんだ。見ているだけじゃなかったのか?」
「しばらくはそうするつもりやったけれど、これはそうもいかへんやろう?」
ボタンさんが崩れた天井から私たちのいる部屋へと入り、キキョウさんと話をしながら私達の前に現れます。
そういえばキキョウさんとボタンさんはお知り合いでしたか。
「な、何故ここにお前が……」
「あらあら。それはうちの台詞なんやけどなぁ」
ボタンさんを見ていきなり慌て始めたローブ姿の男性に目を奪われていたら、キキョウさんに首根っこを掴まれてその場から運び出されてしまいました。
「あのお二人、知り合いなのですか?」
「さぁな。それより、連絡役の居場所は分かったのか?」
「おそらく連絡役は存在しないと思います。フレンさんの結界に引っかかないのもそういう事なのでしょう」
「何も分からなかった言い訳だったら、このままお前を投げ飛ばすぞ」
「構いませんよ。しっかりと見定めた上での言葉です」
ローブ姿の彼がこの島から手を引くと言った時に、他の事に意識を向けている様子はありませんでしたし、彼は悪魔の本隊への連絡役を知らないか、そもそも連絡役がいないと断言できます。
そもそも今回の対話はフレンさんの推測の精度を上げるための実地調査にすぎませんし、私がどう動こうとあの化け物の立てた計画を動かす事はおそらく出来ません。
今も上手く戦闘を続けながら、計画を次の段階に移すタイミングを見計らっているようですが、どこまで先を見通しているのか私には想像も出来ません。
「ちっ。どいつもこいつも知ったような顔ばかりだ」
「キキョウさんは何故フレンさんと協力しているのですか?」
「知らん。ただ、自分のやりたい事を好きにやるのが悪魔流だ。必要ならオバハン獣人だって人間だって悪魔だって殺す」
「フーマさんやフレンさんは味方というわけではないと?」
「今は味方だ。だが、一度裏切ったら最後まで。それが私の悪だ」
「なるほど。キキョウさんらしい素敵なお応えです」
「ふん。おかしな奴だ」
そう言いながらも少しだけ照れた様子のキキョウさんの不器用ながらも実直な生き方に妙に感銘を受けてしまいます。
愛に生きる私と似た生き方ではありますが、私の目には彼女の眼差しはいささか眩しく感じます。
とはいえ今更彼女のようには生きられませんし、自分らしく小さな蜘蛛のようにただあの方を捕らえる巣を作ると致しましょう。
あぁ、フーマ様。
私の全てをお捧げします。
次回、9日予定です




