100話 立ち上がる二人
風舞
アン達と合流した次の日、やはり眠りの浅かった俺は空が白み始めた頃に目を覚まして甲板に出ていた。
地理の授業で海水は熱しにくく冷めにくいと習った知識を活かすならば朝方は陸上の方が寒いはずなのだが、夏服のままであるためか海の上でも十分に寒い。
「もう秋だな」
俺はそんな事を呟きながら冷たい空気を吸って眠気を吐き出し、今やキルストの被害者達とパブロ少年達専用になった船長室へ向かう。
まだまだ朝早くだし全員寝ている時間だろうが、今日から忙しくなるだろうし今のうちに軽く様子だけでも見ておくとしよう。
「ちょ、ちょっと! ですから着替えは自分でやってください!」
「あらぁ、手伝ってはくれないのかしら?」
「お世話は任せてくださいって言ってた」
「あ、あの……あまり迷惑をかけちゃ……」
「パブロパブロ! 私の下着どこ!?」
船長室の扉を開ける前から騒々しい声が部屋の外にまで聞こえてくる。
なんだこれ、いつの間にここはパブロ少年の愛の巣になったんだ?
「パブロが純粋な子供だって分かってからずっとあんな感じ。しょっちゅう暗い顔もするけど、普通の生活に戻ろうとそれなりに努力しているみたい」
「エルミラさん。随分と早起きなんですね」
「これだけ騒がしければ目も覚める」
寝癖一つないくらいに身支度をしっかりとしているエルミラさんが船長室の扉に視線を向けながらそう話す。
キルストの屋敷に一人で行った時はかなり不安定な精神状態だったはずだが、見たところ今はそれなりに落ち着きを取り戻しているらしい。
もしかして、エルミラさんもパブロ少年のハーレムの一員なのか?
「何?」
「いや、なんでもないです」
「そういえば礼がまだだった。キルストの屋敷から私を連れ戻してくれてありがとうございました」
「いえ。別に俺は何もしてないですからお気になさらず」
「私の家族の仇、キルストだったの。それがああなってて、これからどうすれば良いのか分からなくなっちゃった」
「…………聞いてないんですけど」
「暗い顔で目の前をうろつかれる方が面倒でしょ? 私は悲劇のヒロインぶるつもりはないの。パブロと乳繰り合ってるあいつらとは違う」
「さっきは頑張って普通の生活に戻ろうとしているって褒めてたじゃないですか」
「私だったらすぐに立ち直って次にやるべき事を始めてる。あいつらの不幸と私の不幸を比べるつもりはないけれど、私は自分の人生を人に預けたりはしない」
「そうっすか。それじゃあ適当に頑張ってくださいね」
「ちょっと待って」
「何か?」
自分の人生を人に預けたりはしないって言ったばかりなのに、随分と話したがるんだな。
それにしてもこんなに喋る人だったとは、少しだけ意外だ。
何となく近寄りがたい雰囲気の人かと思っていたのだが、コミュ障というわけではないらしい。
「働き口探してるんだけど、貴方が勇者だって本当?」
「本当ですよ。ステータスカードは無くしたんで持ってませんけど、ちゃんと勇者です」
「それなら、私を雇ってくれない?」
「今は従者の募集はしてないんですけど」
「この船に子供と女がいたら邪魔でしょ?」
「つまり、面倒を見てくれると?」
「そう。こう見えてレベルはそれなりだからさ」
エルミラさんはそう言うと懐からステータスカードを取り出して手渡す。
ふむふむ。レベル54とは中々やりますね。
「どう? まあまあやるでしょ?」
「まぁ、俺のレベルは3桁ですけどね」
「うるさい。身勝手に人助けをするのは構わないけれど、最後まで面倒見ろって言ってるの。さぁ、私を雇う気になった?」
「………ちょっと考えさせてください」
「それは構わないけれど、今日の昼までには結論を出して」
「分かりましたよ。ちょっと皆と相談してくるので、少し待ってください」
エルミラさんの提案は正直なところ嬉しくはあるのだが、何となく素直に頷けない俺がいる。
自分でもその理由は分からないのだが、これは俺一人の問題ではないだろうし、少しだけ時間をとって考えを纏めた方が良いはずだ。
「ん〜。うちは広いから住むには困らないだろうけど、俺はほとんど無職だしなぁ…」
「あ、フーマ様。随分と早起きなんだね」
「ちょっと考え事があってな」
「考え事?」
「昨日話したキルストのところのお姉さん達がいるだろ? その人達を一先ずうちに避難させようかと思ってるんだけど…」
「確かにここにいるよりは安全だろけど……一体何を悩んでいるの?」
アンが再び甲板に向かう俺に付き添いながら、一緒に首を傾げてくれる。
あの女性達を俺の庇護下に入れるというのは従者であるアンやシルビアにも深く関わってくる事だろうし、アンの意見はしっかりと聞かせてもらうとしよう。
「俺はこれからも困っている人を見つけたら助けたくなると思う。でも、それが百人や千人じゃ効かなくなったらどうなる。俺はその全ての面倒を見る事が出来るのか?」
「まぁ、無理だろうね」
「やっぱり?」
「だって私達のお給料を払うだけでもあくせくしているフーマ様にそんな器用なこと出来るわけ無いよ」
「いつもご迷惑をおかけしています」
「いえいえ。それでこれからも困っている人を助けたいって話なら、フーマ様はそうしたら良いと思うよ。ううん、むしろフーマ様はそうするべきだね」
「でもそれじゃあ…」
「もう、そんな事は気にしなくて良いんだよ。私やシルちゃんが何のためにいると思っているの? たかだか難民の千人や万人、その後の生活を提供するなんて余裕だよ余裕。だからフーマ様はただこう言えば良いの。アン、俺に力を貸してくれってね」
「俺のワガママに付き合わせも良いのか?」
「私はそのワガママに救われてこうしてここにいるんだもん。むしろそのワガママのお手伝いを出来るなんて光栄だよ」
「アン…」
「お礼なんていらないよ。フーマ様はいつも私を可愛がってくれるけれど、こう見えても私は最高の勇者様の従者なんだから、舐めないでよね!」
「そうだったな。アン、俺に力を貸してくれ」
「うん。お任せください…優しくてちょっぴり頼りないけれどとっても素敵なご主人様」
未だかつてここまでアンの姿が大きく見えた事はあっただろうか。
俺の従者は少し見ないうちにまた成長していたんだな。
「ありがとうアン。おかげで俺は自分のやるべき事に集中出来そうだ」
「えへへ。お礼はいいって言ったけれど、やっぱりフーマ様に感謝されるのは良いものだね。どういたしまして! フーマ様!」
アンが俺の従者で本当に良かった。
そんな事を俺がしみじみと思っている間に既に動き始めていたアンの働きは、もう見事としか言いようが無かった。
まずはパブロ少年やキルストの被害者の女性たちからこれまでの経歴を聞き出し、それぞれの適性を正確に見極めた上で向いている職業の提案をするところから始まり……
「なるほどなるほど。それならパブロくんの絵を活かしてアトリエを開くと良いかな。お金の計算が得意な貴女が売値を決めて、元薬師の貴女が絵の具を用意する。それで貴女と貴女はお店の手伝いだね。大丈夫、みんな美人さんだから、商売には持って来いだよ!」
今度は居住地としてラングレシア王国王都の一画をお姫様との交渉で提供したかと思えば……
「はい。ですので彼女達は被害者であり、王女殿下の愛すべきラングレシア国民であると言えます。よって難民街の一角を彼女達にお貸しくだされば…」
最終的には玉の輿を狙っていたエルミラさんを、ミレイユさんに一筆いただいた冒険者ギルド宛の紹介状を持たせてソレイドに放り出してまで見せた。
「ここから巻き返してやろうって根性はすごいけれど、フーマ様にとり入ろうたってそうはいかないよ!」
俺のやった事と言えば、アンや皆を連れてあっちこっち転移したぐらいである。
俺がここ数日悩んでも答えの出せなかった問題をこんなに早く解決するとは、流石としか言いようがない。
しかしそれだけすんなり解決した諸問題の中にも、少しだけ俺の気になる事があった。
それは王都にキルストの被害者達を送り届けた時のパブロ少年の台詞である。
「フーマさん。ビクトリアさんをどうかよろしくお願いします。あの人はもしかすると悪い人かもしれないけれど、僕はあの人に生きていて欲しいんです」
パブロ少年はビクトリアさんを常に気にかけていた。
それは非情な考え方をするならばビクトリアさんがパブロ少年がそう思うように仕向けたというだけの話なのだが、ビクトリアさんの考えがどこにあるにせよ、パブロ少年がビクトリアさんを心配する気持ちは尊重するべきだと思う。
きっとそれこそが俺が自分の行動にケジメをつけることに繋がるはずだ。
「フーマ様? まだ難しい顔しているけれど、悩みごと?」
「いや、大丈夫だ。何があってもアンは俺が守るからな」
「あぁ、フーマ様はカッコいいなぁ」
「ど、どうも…」
「フーマ様のまねっこ。どう? これ、中々恥ずかしいでしょ?」
「ああ。天使が舞い降りたのかと思った」
「はいはい。それじゃあ天使様がついているんだから、久し振りにカッコいいところ見せてよね!」
アンはそう言うと俺の背中を押し、トウカさんと共にミッドタウンの調査へと向かう俺を見送ってくれる。
さて、それじゃあそろそろ思う通りにやらせてもらうとしますかね。
◇◆◇
フレンダ
風舞と別れた次の日。
私は黒髭海賊団の船から連れて来たビクトリアと成り行きで共に行動をする事となったキキョウと共に、この島で海賊に次ぐ権力を持っていたキルストの私有地を回っていた。
「おい。本当にこんなところに悪魔がいるのか?」
「正確には悪魔の手がかりです。数日前にフーマが討伐した悪魔、モラクスのリストに若い人間という項目がありました」
「あいつか。少し離れている間に随分と偉くなったものだな」
「モラクスを知っているのですか?」
「何度か会った事がある。やつは我々悪魔の祝福にも何度か取引を持ちかけてきた事があった」
「他に海賊と共謀しそうな悪魔に心当たりは無いのですか?」
「他の悪魔になんか興味あるわけないだろ? そもそも覚えがあったらお前とこうしていないでぶっ殺しに行ってる」
「それでは悪魔の祝福について教えてください」
「オバハン獣人に禁止されているから無理だ。聞きたいならボタンに聞け」
今のキキョウが大人しくボタンの言うことを聞いているとは思えないし、禁止されているというのは従魔契約による罰則を受けるという意味なのだろう。
悪魔が一枚岩ではないことの確認とはなったが、それ以上の情報は掴めずじまいか。
「それより、そんな人間何に使うんだ?」
「これ以上この女に場をかき回されたくないだけです」
「それなら殺せば良いだろ?」
「まだ必要な情報を引き出していません」
「お前、そういう事は得意なんじゃないのか?」
「邪魔になる様なら私が殺します。それで良いですか?」
「何で怒ってるんだ?」
「怒ってません!」
「お、怒ってるだろ……」
「ふん。無駄話は良いですから先を急ぎますよ」
昨日から何をするにもフーマの間抜け顔が浮かんで自分の思うように行動できない。
確かにキキョウの言うように魔法でも使ってビクトリアを拷問すれば済む話なのだが、まだこの女には使い道があるとか自分の中で言い訳をして、最適なルートを通れずにいるのだ。
結界に閉じ込めたまま気絶させているために邪魔はならないのだが、自分でも気になってしまって仕方がない。
「………止まってください。この下から血の臭いがします」
「変態野郎のクソみたいな屋敷だ。どうせ悪趣味なオブジェでもあるんだろ? 行くならお前だけで行けよ」
「はぁ、仕方ありませんね」
今は少しでも情報が欲しいところだし、キキョウの言う権力者の悪趣味なオブジェでも何でも調べないわけにはいかない。
しかし地下室の扉を開ける前からこれほどの血の臭いとは、いったいどれだけの人を閉じ込めていたのだろうか。
「うっ…。これは酷いな」
「悪魔でも血の臭いはダメなのですか?」
「私はこう見えても綺麗好きなんだ。無駄話は良いから早く行って来い」
「そうですね。手短に済ませるとしましょう」
そう言うなり私は梯子を使わずに地下室の中へと飛び込み、血の臭いの充満する部屋の中に光を灯す。
部屋は全部で4部屋あり、入り口から見て左右に二部屋ずつ並んでいた。
「まさしく殺人鬼の住処といった雰囲気ですね」
「………あぁ………あぁぁぁ………」
私の声に反応したのか、右奥の部屋から呻き声に似た何かが聞こえる。
どうやらこの環境の中で生存者がいたらしい。
あまり覗きたくはない雰囲気だが、確認しない訳にもいかない。
そんな事を考えながら私は足を進め、右奥の部屋の鉄扉を開いた。
「あぁ……あぁぁ………」
「なるほど。そういう事ですか」
部屋の中には獣人の妙齢の女性が繋がれていたが、気にするべきはそこではない。
この場で私が一番気にするべきはあの胸に埋め込まれた魔石だ。
「そこの獣人。未だ人の意識は残っていますか?」
「あぁ……うぃぃ………」
かつてこれと似たような実験を行なっていた組織を潰した事がある。
曰く魔物の核と言える魔石を体内に取り込めば更なる力が手に入るとの事だったが、人が魔石を取り込めばその拒絶には耐えられずに死ぬか、仮に何の障害もなく取り込めた場合は体の中で魔石を無毒化するというのが結論だ。
極稀に魔石の拒絶反応と生命力が均衡する事があるとの事だが、その場合に待っているのは更なる力ではなく、緩やかな地獄のみである。
「魔石を取り込めば人格を焼かれいずれ魔物の様に意味もなく人を襲い始めます。おそらく貴女の場合は時折表層に自我が浮かび上がりますが、そこより先はありません」
「…………ころして」
「……分かりました」
魔石を取り込んだ人はいかなる処置をしようとも助かる事はない。
それがかつて実験台にされた多くの人を救おうと30年にも及ぶ研究から私が導いた最低な結末だ。
「あり………がとう………」
「私に礼を言われる資格などありません」
私はそう言いながら腕の中で息を引き取った女性をそっと寝かせ、キルストの地下室からめぼしいものを回収して地上に上がる。
少しだけ日の光に眩みもしたが、別にそのぐらい大した話でもなかった。
「行きますよ。次の仕事です」
「下で何かあったのか?」
「少し、昔の事を思い出しただけです」
どんなに力をつけようとも救えない命は必ずある。
だからあの時、絶望を知った私はこれ以上愛するものを失わない様にと自ら動くことを決意し、非情であっても敵となりうるものには全て先手を打つことに決めた。
別に光が眩しいとか、闇に生きるとかそういう話ではない。
大切なものを守るために必要なだけ破壊し必要なだけ殺す。
至極単純で、つまらない話だ。
「それで、この後はどう動くんだ?」
「今日中に仕掛けは全て終わらせます。この私が数百年間常勝無敗であった時代の戦い方を見せてやりましょう」
「ようやく面白くなってきたな」
もしかするとフーマに嫌われてしまうかもしれないが、全ては命あっての物種だ。
フーマならメイド服を着て謝れば許してくれそうな気もするが、そんな穏やかな悩みに頭を捻らせるのは全てが終わった後にゆっくりとやるとしよう。
そうして、血に濡れた私はまたフーマと共に暮らす日々を夢見て足を早めるのであった。
次回、27日予定です




