86話 雄牛の悪魔
風舞
モラクスという悪魔はソロモンの72柱の悪魔が一柱であり、生贄にまつわるエピソードで知られている雄牛の悪魔である。
それならばとこの目の間に立ちはだかる悪魔にも生贄やら雄牛やらの符号があるのではないかと観察しているのだが、今のところはそれらしき物は何も見つけられていない。
「なぁ、お前って本当にモラクスなのか?」
「何故そのような事を聞くんだい?」
「だって牛っぽくないし、生贄要素もそこらに転がってる髑髏以外はあんまりないし、俺の知ってるモラクスっぽくない」
「君の知るモラクスが果たしてどのモラクスを指しているのかは分からないけれど、僕は正真正銘モラクスで間違いないよ。正確にはモラクスの座に就く悪魔だ」
「随分と色々教えてくれるんだな」
「悪魔というのは自分以外はどうでも良い存在だからね。ここで僕が君を殺すのならそれで良しだし、仮に君に殺された場合、その後の事なんて僕の知った事ではない」
「俺が逃げる事は考えていないのか?」
「その場合、この島を海中に埋めると言っておこう」
なんとも悪魔らしい答えが返ってきて笑えない。
俺が勇者でありここに住む黒の会のメンバーを見捨てられないと分かった上でのセリフなのだろう。
しかし俺が逃げた場合にこの島を海の底に沈めるとなると、俺が倒せないと分かった場合も海の底に沈めようとする可能性があるのか。
「逃げ回るだけじゃダメか」
「というより、逃げる必要がありませんね」
こちらを見上げるモラクスを見下ろしながら、片腕で壁に貼りついていた俺の横に、もの凄い勢いで救援に来てくれたフレンダさんがそう言いながら並ぶ。
フレンダさんが隣にいるだけでこんなにも心強いとは、向こう三日はナイチチの事をいじるのはやめておこう。
「あいつがここのボスらしいです」
「ここまで戦った上での情報は?」
「ククリナイフを持ってますね」
「そうですね」
「…………………」
「まさか、それだけですか?」
「それだけです」
「見れば分かる情報だけなのですか?」
「お待ちしておりました」
あまり無茶に攻め込んでフレンダさんが来る前に大怪我はしたくなかったのである。
だって転移魔法が使えなかったら既にやられるかもしれないぐらい強い相手なんですよ?
俺一人で出来る事なんて、無事に生き残るぐらいでしょうに。
「後でお説教です」
「……はい」
そうしてフレンダさんの優しいお説教が決定してしまった俺は花畑に降り立ち、片手剣をしっかりと握り直す。
モラクスはそんな俺を見ても穏やかな笑みを浮かべたまま、ククリナイフを構え直した。
薄気味悪い奴め。
「不気味な男ですね」
「悪魔なんてそんなもんですよ」
「言われてみれば、それもそうでしたね」
雑談の間にフレンダさんとの息を合わせ、全速力でモラクスに詰め寄ったフレンダさんの後に続く。
初手はフレンダさんの鮮やかな蹴りから始まり、俺はそれを躱したモラクスの前に転移魔法で先回りし、空間断裂を纏わせた片手剣を思いっきり振り落とす。
「これは…」
「おせぇ!!」
確かな手ごたえをモラクスの肉体から感じ取り、下で追撃の準備をするフレンダさんの背後に回る。
一方のフレンダさんは射線から俺が抜けるのを確認すると同時に、閃光迸る雷をモラクスの方向へ無詠唱で撃ち込んだ。
「………今の無茶苦茶ヤバイ雷魔法は何ですか?」
「ケラウノスです。フーマも使った事があるでしょう?」
「ありますけど、よく無詠唱で撃てますね」
「ふん。このぐらい造作もありません」
あ、フレンダさんがドヤ顔してる。
ケラウノスはかなり高レベルの雷魔法だったはずだし、今ぐらいはフレンダさんのドヤ顔も素直な気持ちで見上げるとしよう。
「ちなみになんですけど、手ごたえはどうですか?」
「並の魔族なら死体も残らないでしょうね」
「……悪魔は魔法耐性が高いんですけど」
「ま、まぁ? 一撃でダメなら二度撃ち込むまでです」
そう言ったフレンダさんが、無造作にケラウノスの連発を始める。
ちょ、ちょっと。
その魔法を連発出来るのには驚きましたけど、一回一回眩しいんですけど。
「……ふぅ。こんなものですかね。って、おいフーマ。何故私の活躍から目を逸らしているのです」
「だって無駄にピカピカして眩しいんですもん」
「ふん。張り合いがありませんね」
「俺と張り合わないで、敵と張り合ってください。ほら、まだお元気みたいですよ」
フレンダさんが派手に破壊した壁の奥からモラクスが這い上がり、真っ白い花畑へと戻って来る。
っておいおい。
全身の皮が焦げ剥けてんじゃん。
「なるほど。それがお前の本来の姿という訳ですか」
「まったく。変装をするのもタダではないのだけれどね」
「変装?」
「こうなっては人の皮など邪魔なだけか」
モラクスはそう言うと文字通り人の皮を脱ぎ捨て、中から二足歩行の雄牛が顔を見せる。
そう言えば、モラクスはミノタウルスとも遠い関係があると言う人もいるし、姿がそれっぽいのも分からなくはないか。
今のモラクスは、細マッチョなミノタウルスさんだ。
「やりましたねフレンさん。悪魔って、人型に近いほど強いらしいですよ」
「僕は人型にもなれるが、あえてなっていないだけだ」
「へぇ、あえてね」
「悪魔が人の形をとる最大のメリットは、脳の構造の複雑化だ。つまり、脳さえ人の形であれば外側は他の形でも一向に問題はない」
「伝承のモラクスは占星学に優れ、様々な学問に精通していたはずです。あまり外面に気を取られては、足を掬われますよ」
「気をつけます…」
「とはいえ、あの程度なら勝てないほど強大な存在でもありません。精々私の足を引っ張らない様について来なさい!」
そうして走り始めたフレンダさんの後を今度は走って追いかけ、二人掛かりでモラクスに攻撃を仕掛ける。
今回はフレンダさんとのソウルコネクトが無い分、ステータスの不足分はギフトの力で補っているのだが、何も筋道を考えずにギフトを使っては負荷が大きくて仕方ないし、ソウルコネクトをしている時の半吸血鬼状態の感覚を思い出しながらステータスの底上げをする必要があるはずだ。
フレンダさんと繋がる感覚を思い出しつつ、ローズの勇ましい姿を思い浮かべて血液の温度を上昇させていく。
「はぁぁっ!!」
「ちっ。このまままでは分が悪いか」
「策を弄する隙も与えずに削りきりますよ!」
「了解!」
フレンダさんの攻撃のテンポが上がったのに合わせてギフトの力を更に深くし、戦闘のレールから振り落とされない様に必死に食らいつく。
まだ視界から色は消えていないし、隣のフレンダさんの気配も感じ取れている。
このままならギフトに呑まれる事も無く押し切れる。
そう思ったその時だ。
「っ!?」
横で戦っていたはずのフレンダさんが急に膝をつき、攻撃の手を止めてしまう。
その瞬間にモラクスの瞳が禍々しく光った様に感じた俺は、モラクスのククリナイフに腕を裂かれながらも、フレンダさんを連れて後方に転移した。
「フレンさん! しっかりしてください!」
「う…うーま……」
「そうなってしまってはもう遅い。エルフというのは魔力の流れには敏感だけれど、その他の事にはおざなりだからね。戦闘中に風向きを意識して、彼女の口に毒を流させてもらった」
「……麻酔か」
「おや、麻酔を知っているとは意外と博識だね。流石は勇者といったところか」
「まぁな。麻酔というのはニューロン…神経細胞に作用する薬だ。少量なら意識の喪失で済むが、量が多いと呼吸すらできずに命を落とす事もある。例えばこんな風に……」
「相棒が息をしなくなったというのに、随分と非情だね」
「彼女の心は常に俺とあるからな」
「なるほど。君の正義感はねじ曲がっているとみた」
「悪魔には言われたくないセリフだな」
俺はそう言いながら息をしなくなったフレンダさんの肉体をアイテムボックスにしまい、再度片手剣を構え直してモラクスと対峙する。
モラクスが何らかの手で空気中に麻酔効果のあるガスを流している事は分かったが、当のモラクスに麻酔が効いていないところを見るに、戦う場所さへ気を付ければ倒れずに戦う事が出来るはずだ。
それに、そろそろ相棒の準備も終わるはずだし……。
『申し訳ありません。油断しました』
「後でお説教ですね』
『……甘んじて受けましょう』
さて、フレンダさんの準備も整ったし俺にとってはここからがいよいよ本番だ。
「まだステータスが伸びるのか。これは研究の甲斐がありそうだ」
「手品師に負けるほど、俺たちは弱かねぇよ」
『ええ。行きますよフーマ!』
「『ソウルコネクト!!』」
そうして尊敬する吸血鬼本人の力でグッと吸血鬼に近づいた俺は、モラクスに向かって牙を剥くのであった。
◇◆◇
ビクトリア
遠くから天を裂く様な音の聞こえる中、黒髭海賊団に皆さんと船まで戻って来た私は、こっそりと船から抜け出して居住区へと一人で引き返していました。
単なる人間の女でしかない私がフーマさんを攻略するには、普通の人では成し得ない様な偉業を並べて勇者である彼の横に並ばねばなりません。
「だからこれはその足がけ。悪魔と言えば恐ろしい魔物という事しか知りませんが、ここに住む人たちならその弱点も知っているはず」
幸い私には人の欲望の色を見通す力がありますし、適度に欲望を刺激して話を進めれば黒の会の皆さんでも上手く駒として動かせるはずです。
気をつけるとすれば正義感の強い彼の反感を買う作戦は実行しない様にする事ですが、そこのあたりはもう少し情報を仕入れてから調整すれば良いでしょう。
「さて、やはりまずは子供から…」
町や村の中で多くの情報を正確に把握しているのは村長や兵士などの大人の男性ですが、その子供も捨て置くには勿体ない量の情報を持っていますし、常識と擦り合わせて考察していけば、そのコミュニティの性質を把握する事はそこまで難しくありません。
まずはそうですね。
よそ者の私が目立ってしまう前に一人だけ皆から離れた位置にいる気弱そうな男に声をかけるとしましょう。
大人達は洞窟の奥からの戦闘音に気を惹かれていますし、今なら居住区に紛れ込むのも簡単なはずです。
「こんにちは僕。上手な絵だね。お姉さんにも見せてくれる?」
「お姉さんは誰?」
「ふふ。少しスケッチブックを借りるね」
「あ……」
男の子が持っていたスケッチブックを力よりも速さで奪い取り、一瞬覗いた男の子の絵と同じジャンルの絵を手早く描きあげます。
芸は人を助けると言いますが、特に娯楽や芸術に関してはどこでも使えるのが良いところですね。
「はい。どうぞ」
「え? これってマームさん!?」
「ふふ。お姉さんは絵を描くのが得意なの。ついさっきここを怖い顔をした男の人達が通ったでしょう? あの人達と旅をして絵を描くのがお姉さんのお仕事」
「へぇ……お姉さんは外の人なんだ」
外の人と口にした男の子の目が少しだけ揺れるのを確認しました。
どうやら、この居住区では島の外の存在に対してはあまり良い感情を持っていない様です。
そもそも黒の会は陸で居場所の無くなった人達が集まって出来た組織だと聞いていますし、大人達が外は良くないものだとこの子にも教育しているのでしょう。
「ねぇ、僕。お姉さんは、モラクス様にお願いがあって来たの」
「お願い?」
「うん。この島には凄く綺麗なお花畑があるでしょう? そこの絵を描かせてくださいって」
「ふーん。それじゃあモラクス様に聞いてあげようか?」
「僕はモラクス様とお話しした事あるの?」
「うん。モラクス様は僕達を夢の世界に連れて行ってくれるために、3日に1回ぐらい様子を見に来るの」
「へぇ。それなら、夢の世界の絵も描いてみたいなぁ」
「夢の世界に行けるのは、僕達みたいに夢の印がある人だけだから、お姉さんは無理だと思うよ」
「うーん。とりあえずモラクス様にお話を聞いてみるね。ありがとう、僕」
「ううん。さようなら、お姉さん」
そうして私は居住区から離れた位置へと向かい、少年の目がこちらを離れたのを確認してから居住区を監視できる位置を探して腰を落ち着けます。
フーマさんの話からモラクスという悪魔は生贄を生業とする事を聞いていましたが、閉鎖的な島で獲物に自分の物であるマークをつける意味はありません。
おそらくあの男の子の肩に刻まれた印は、ただのタトゥーではなく、魔法陣の様な何かしらの意味のあるものなのでしょう。
「魔法陣ならば傷を付ければどうにか出来ますが、この数を相手にするのは不可能ですし……」
フーマ様の考えによれば、モラクスは生贄を得る事で力が増す存在らしいです。
ならば数十人規模の生贄を使い物にならなくすれば良いとは思うのですが……。
「はぁ、男だけならともかく、女もいるとなると面倒ですね」
私はそんな事を呟きながらも愛するあのお方の為に、勇者様に追い付く策を練り続けるのでした。
次回6日予定です




