74話 潜入開始
風舞
ハルガ港で一悶着ありつつも無事にボタンさんと合流できた俺は、シルビアやトウカさん達を迎えに行った後、10分ほどで再びボタンさんの隠れ家へと戻って来ていた。
アンとシルビアが席を外していたために戻って来るまでに少し時間がかかった気もするが、その間舞とボタンさんは仲良くお話していたみたいだし、待たせてしまった事をそこまで気にする必要はなさそうである。
「それじゃ、早速話を始めるか」
「そうやね。……と、その前に今お茶を淹れるから待っててなぁ」
ボタンさんがそう言ってパタパタと部屋の奥へと向かって行く。
そんなボタンさんを見送りつつさっきよりも尻尾がモフモフになっていないか? なんて疑問に首を傾げていると、適当にソファーに座っていた俺に舞が話しかけてきた。
「風舞くん。少し良いかしら」
「うん? まぁ、良いけど」
そうして俺は訳も分からないままに舞に手を引かれて廊下に出る。
普段は人目をはばからない舞がこうして場所を選ぶなんて珍しい気がする。
「おそらく、今回の一件は私にとっても風舞くんにとってもかなり厳しい戦いになるはずよ。だからその前に、風舞くんに話しておきたい事があるの」
「あ、ああ」
「ふふ。そう背筋を強張らせずとも何もとって食ってしまうとかは考えていないわ」
「そ、それなら良かった」
俺を壁ドンして顎クイしている舞にとって食ってしまうつもりは無いと言われてもちっとも信じられないが、舞にならとって食われても良いかもしれないなんて思う俺もいたりする。
グルーブニル砦の作戦の前に色々と片付いたら一夜を共にしようと約束をしていたが、こうして次のドタバタがそうはさせてくれなさそうだし、ここでサクッと済ませてしまうのも……。
「わ、私にそこまでするつもりは無いわよ?」
「ふぉうでふふぁ…」
『流石は脳が下半身にあると名高いフーマですね。見下げ果てた下世話さです』
フレンダさんの言葉が舞に頬を潰されてタコみたいな顔になっている俺の心にしみる。
まぁ、ベッドチキンの舞が扉の一つ向こうに皆がいる場所でアレコレしようとか言い出す訳がないよな。
「私の始めては風舞くんとの冬の思い出を話した後に蕩ける様にと決まっているの。だから何も片付いていないこんなところでは出来ないわ」
「ふぁい。すみふぁふぇん」
「よろしい」
舞はそう言うと俺の頬から手を離し、再び顎クイをしながら話を続ける。
舞はあれなのか?
顎クイしないと真面目な話が出来ない病気にでもかかったのか?
「それでね。きっと風舞くんは今回かなり苦しい思いをすると思うの」
「そんな縁起でもない…」
「残念ながら事実よ。風舞くんは苦しい思いをするわ」
「そうですか…」
「だから今のうちに、私にして欲しい事を言ってちょうだい。流石に全ては叶えられないけれど、出来る限りは風舞くんの要望に……」
「なるほど。それでこの体勢なのか」
『どういう事ですか?』
「舞なりの照れ隠しですね。舞は恥ずかしい思いをするのなら、自分から一歩踏み込んでやろうって強気な性格なんです」
「そ、そういう事は言わなくても良いの。そ、それでするの? しないの?」
「する」
「んっ…」
……………。
そうして曰く厳しい戦いになるという今回の作戦の前にたっぷりと英気を養った俺は、自身に満ち溢れた男の顔で話し合いの場へと戻って来た。
顔を真っ赤にした舞とやけにキメ顔の俺を見てアンが深いため息をついていた気もするが、きっと俺の勘違いだろう。
なんて事を考えながら従者の視線に内心冷や汗をかきつつも、そろそろ頭を切り替えて今回の件とやらの説明を受けようと思っていたのだが……
「さぁ、話を始めよう……か……?」
話の前に軽く喉を潤しておこうと思ってボタンさんの淹れてくれたお茶を飲んだ後、急に意識が遠くなるのを感じた。
気を失う寸前、舞が「ごめんなさい」と言っていた気がしたが、あれは一体………
◇◆
「ふ、フーマ!?」
「な、なんですか?」
気を失う直前に辛うじて残っていた意識でどうにか白い世界にやって来たら、真っ赤なソファーに腰掛けたフレンダさんにビックリされた。
どうやら俺が舞とよろしくやっている間に席を外しておいてくれたらしいが、別にそこまでびっくりせんでも…。
「お、おいフーマ。まさか本当にマイにとって食われたのですか?」
「はい?」
「そうでなければ何故ここに…?」
「あぁ、そういう事ですか」
どうしてフレンダさんがこんなに慌てているのかと思ったが、ここに来るはずがない俺が急に来たからか。
俺が白い世界に来るには気を失うか眠るかしないとダメだし、俺の体に何かがあったのかと思ったのだろう。
「ちょ、ちょっと……この体は精神体みたいなものなんで触診は意味ないですって」
「あぁ、そうでしたね。取り乱してすみませんでした」
「やれやれ。隙あらば若者の体を弄ろうとするなん……ぶごっ!?」
「ふん! 心配した私がバカでした」
俺の腹を思いっきり蹴り上げたフレンダさんが長い御御足を下ろし、腕を組んでため息をつく。
やれやれ、俺の小粋なジョークぐらい笑って許してくれても良いのに。
「それで、一体何があったのですか?」
「それが俺にも何がなんだか。舞といちゃいちゃした後部屋に戻ってお茶を飲んで話を始めようとしたらすぐに気が遠く…」
「十中八九そのお茶とやらが原因ではありませんか」
「そういえば気を失う直前に舞がごめんなさいとか言っていた気が…」
「なるほど。首謀者はボタンで共犯がマイですか」
「……やっぱりそうですかね?」
「他に考えられません」
「やっぱりかぁ…」
俺も薄々そんな気はしていたのだが、どうやら俺は舞とボタンさんの何らかの作戦に嵌められたらしい。
なんとなく舞の様子がおかしいとは思っていたが、まさかこうなる事が分かった上での行動だと思うと少し悲しくなってしまう。
いや、舞はボタンさんの策に仕方なく従い、せめてもの励ましとしてあんな事をしてくれたのか?
「やれやれ。愛される男は辛いぜ」
「まったく……楽観的なのは良い事かもしれませんが、少しは自分の身を案じてはいかがですか?」
「え? ただのイタズラじゃないんですか?」
「ボタンがただのイタズラで薬を盛りますか?」
「盛ると思いますよ?」
「……すみません。言っておいて私もそんな気がしました」
ボタンさんは事後ドッキリのために裸で人の寝ているベッドに入ってくるぐらいだし、イタズラのために睡眠薬を盛るぐらいの事は簡単にすると思う。
そんなボタンさんに慣れてきた俺はてっきり今回もイタズラだと思っていたのだが…。
「とはいえ、今回に限ってはイタズラではないでしょうね」
「そうですか?」
「これから作戦会議というタイミングでフーマを眠らせる理由がありません」
「まぁ、確かに」
「しかしフーマを眠らせる理由も私には分からないのですが……」
「それは起きた時に分かるから良いとして、今のうちに俺のギフトについてお話ししましょう」
「いきなり薬を盛られたというのに、随分と前向きではありませんか」
「ボタンさんのやった事ですからね。多分何かしら理由があるんだと思いますよ」
「フーマがそう言うのなら構いませんが…」
フレンダさんが不安そうな顔をしながら赤いソファへとゆっくり腰掛ける。
初めて彼女に会った時からは想像できないぐらい、最近は俺の事を心配してくれる様になったなぁ。
「おい。またろくでもない事を考えていませんか?」
「ギフトの力を使えばフレンダさんを巨乳に出来るかもって考えてました」
「よし。今すぐに訓練を始めましょう」
先ほどまでの不安そうな顔とはうって変わって急にやる気になるフレンダさん。
フレンダさんの貧乳を巨乳にするだなんてこの世の紳士諸君に袋叩きにされそうな事は、仮に出来たとしてもやるつもりはないが、フレンダさんのやる気を削ぐ必要もないし、今は黙っておこう。
さて、次に目が覚めた時は果たしてどうなっているのかね。
◇◆◇
舞
樽詰めにされた風舞くんが商船に運び込まれるのを見送った後、金髪のカツラを被って目の色が変わるという体に悪そうな目薬をさした私は、シルビアちゃんと共にディープブルーの詰所にやって来ていた。
私と風舞くんがつい先程までここの牢屋に入れられていた事はボタンさんにも想定外だったらしいが、それでも私とシルビアちゃんがここに来なくてはならないぐらいには、このディープブルーという自警団は今回の件に深く関与しているらしい。
「なるほど。つまりお前達は海の向こうに渡る金を稼ぐために、数日の間うちで住み込みで働きたいというわけだ」
「ええ。最近はどこも物騒らしいし、やるなら人の役に立つ仕事が良いと思ったのよ」
「はん。ガキの絵本の勇者様みたいな事を言うんだな」
私とシルビアちゃんの面接を担当する金髪に眼帯という如何にも海賊らしい格好をしたカーリー・レイという女性が、私の親指ぐらいの太さの葉巻を吸いながらジロリと鋭い視線を向けてくる。
私とシルビアちゃんがこの自警団に来たのは、このカーリー・レイがこの街の一部の市場に出回っている悪魔の祝福の流通の一端を担っているという情報の裏を取るためなのだが、私の第一印象を言うとすればこの女性はかなり怪しい気がする。
だって、自警団のボスなのに、葉巻を吸って黒いレザーパンツに黒いビキニに制服の青い薄手のジャケットってどうなのよ。
これがもしも日本だったら皆の暮らしを守る婦警さんが谷間とおへそを丸出しにしてそこらを歩いているものよ?
え、エッチすぎるわ。
「まぁ、良い。お前達の素性がどうであれ、使えるのなら使ってやるし使えないのなら切り捨てるまでだ。うちに入りたいというからには、それなりに腕に自信はあるんだろう?」
「腕ですか?」
「戦えるのかという事よ」
「あぁ、なるほど。陸の魔物でしたら幼生のドラゴン、海の魔物でしたら大型のイカの魔物を討伐した経験があります」
「うちが相手にするのは魔物ではなく人なんだが、自信があるならそれで良い」
カーリー・レイはそう言うと机の上に乗せていた足を下ろして立ち上がり、私とシルビアちゃんに青いスカーフを投げつけて部屋の外に去って行く。
これは採用という事で良いのかしら?
「それではマイム様、シルビア様、簡単な研修がありますのでどうぞこちらへ」
「え、ええ」
先程からその存在には気がついていたのだが、マネキンの様にピクリとも動かずに部屋の隅に立っていた燕尾服の金髪の女性がカーリー・レイの去って行った扉の前に私達を招き寄せる。
ポジション的にはカーリー・レイの秘書的な立ち位置のエルフさんだと思う。
エルフの里以外でエルフを見るのは初めてだけれど、もしかして別大陸に由来を持つエルフさんなのかしら。
「何か?」
「いいえ、なんでもないわ」
それはともかく。
今のところ出会ったこのディープブルーのメンバーはいずれも曲者揃いだったが、ソレイドでも危うく街一つを潰しかけた悪魔の叡智の大規模な流通に関わっている人物がこの自警団に所属している可能性は、ボタンさんが言うにはかなり高いらしい。
今回は風舞くんの力に頼る事は出来ないし、かなり集中して任務に望んだ方が良さそうね。
「マイム様。それでは参りましょう」
「そうね。今日からしばらく頼りにさせてもらうわ」
「はい。お任せください」
それにしても、こうしてシルビアちゃんと一緒に行動するのはかなり珍しい気がするわ。
私もそれなりに頼もしい勇者だって事をシルビアちゃんに見せるためにも、今回は真面目にやるとしましょうか。
私はそんな事を考えながら、スカーフの身につけ方が分からず首を傾げるシルビアちゃんと共に、燕尾服の女性の後に続くのであった。
次回、18日予定です




