25話 毛繕い
風舞
日が暮れてすぐの頃合、特にすることも無かった俺は一人で家に戻って風呂に入ってから雲龍へと足を運び、ボタンさんの作ってくれた夕飯をもくもくと食べていた。
ローズや舞の隙を見つけて何も言わずに城を出て来てしまったが、シルビアは俺が今晩ボタンさんと約束している事を知っているため、大事にはならないだろう……多分。
「あらあら、まさかマイはんまでアンはんの虜になるとは意外やなぁ」
「舞は色々と複雑な家庭環境で育ったみたいだし、母親の愛情とかに飢えてるのかもな」
「言われてみればマイはんにはその口があるかもしれへんなぁ」
フレイヤさん捜索の後、部屋に戻ったら舞とシルビアがアンの膝の上でとろけ顔をしていた。
捜索に行く前の舞の様子がいつもと違かったため少し心配だったが、あの惨状というか心安らぐ光景を見る限りは、俺の杞憂だったのだろう。
舞とシルビアとアンの仲が良いというのは、俺としてはかなり嬉しい事である。
「まぁ、最近はトウカさんとかシルビアとかアンと結構仲良くやってるみたいだし、あんまり心配はして無いんだけどな」
「あらあら。そうすると、フーマはんは一人で寂しいんやない?」
「俺には口うるさい吸血鬼とか、オホホハーフヴァンパイアとかがいるからそうでもないぞ」
『おいフーマ。普通に私が側に居て心強いとは言えないのですか? 相変わらず可愛げがありませんね』
「確かに、これならフーマはんも寂しないやろうなぁ」
ボタンさんは先程から食事中の俺の膝の上に自分の尻尾を乗せているため、リアルタイムで俺の記憶を読み込む事でフレンダさんの声を認識できている。
外は日が暮れてもまだまだ暑いのだが、空調の効いている店内ではボタンさんの尻尾が暖かくてふわふわでめちゃくちゃ心地良い。
それに時々隣に座っているボタンさんがお茶を注いだりと色々と世話を焼いてくれるため、かなり幸せだ。
「あらあら、それならもっとお世話してあげへんとなぁ」
『おいフーマ。なんだか先程から疎外感を感じるのですが、気のせいですか?』
ここ最近のフレンダさんは俺が話し相手になっていたし、俺と同じ視点で見聞きしていたから、俺が何の話をしているのか把握できないのがもどかしいのかもしれない。
姉妹揃って構ってもらえないと不安になるあたり、スカーレット帝国の吸血鬼さん達は人の温もりに飢えているのだろう。
「それじゃあ寂しん嬢のフレンダさんに質問なんですけど、エルセーヌさんは無事ですかね?」
『別に私は寂しん…嬢? ではありませんが、エリスなら何の心配もありませんよ。あの娘は生き延びる事に関しては無駄に優秀ですから』
「でもあのおっさん、かなり強そうでしたよ?」
「確かに、身体の捌き方にはかなりの経験が滲み出てるなぁ」
『エリスの生存能力は正直、異常と言っても過言ではありません。おそらく、全盛期のお姉様でも逃げる事に本気になったエリスを仕留め切る事は出来ないでしょうね』
「マジかいな。この前の高校生モードの時でもローズはかなり強かったのに、全盛期のローズでも仕留め切れないって、ヤバイっすね」
「いくらローズはんが直接戦闘に特化してはるとは言うても、感知能力もそれなりやと思うんやけど…」
『ですから、エリスの隠密能力はそれを上回るという事ですよ。私でも時々エリスの居場所を捕捉できない事もあったのですから』
「ほへぇ。あいつ、なんだかんだ凄いやつだったんだな」
ラングレシア王国のお姫様もエルセーヌさんの実力を認めているみたいだったし、エルセーヌさんは裏社会ではかなりの猛者として名を広めているのかもしれない。
裏社会で名前が広まっている諜報員というのもどうかと思うが、それを差し引いても十分な能力を持っているのだろう。
「それにしても、いくらエルセーヌはんが優秀言うても心配なものは心配やねぇ」
「ああ。俺も舞みたいに契約魔法からエルセーヌさんの位置を探し出せたら良いんだけど、俺とエルセーヌさんの契約はエルセーヌさんにやってもらったからなぁ」
『首輪を締める事は出来ていましたし、フーマによる契約ではなくても位置を調べる事ぐらいなら出来るのではないですか?』
「俺もそう思って何回かエルセーヌさんの位置を探ろうとしてみたんですけど、方向すら分からないんですよね」
「フーマはんは転移魔法に慣れすぎてはるから、エルセーヌはんの首輪の操作も離れた距離を線で繋ぐんやなくて完全に点と点、遠隔で操作してはるんやろなぁ」
「あぁ、確かに首輪を締める時はワイヤレス端末を操作する感覚でやってたかも」
『これでは今更フーマが契約魔法を覚えたところでエリスがこの場にいなくては位置を把握できる様にはならなさそうですね』
なんとかしてエルセーヌさんの位置を調べられないかと思っていたのだが、エルセーヌさんとの契約を更新しなくてはいけないのでは、今の俺に出来る事は何もなさそうである。
エルセーヌさんを送った位置に今から転移する事は出来るのだが、万が一にもエルセーヌさんがあのおっさんと今も同じ場所で戦い続けていたりすると、俺が人質に取られたりと最悪の事態になり得るかもしれないから迂闊な行動はとれない。
「はぁ、信じて帰りを待つしかないか」
『ですから初めからそう言っているではありませんか』
「俺はフレンダさんと違って心配性なんすよ。ご馳走さまボタンさん、すげぇ美味かった」
「はい。お粗末さまぁ。今お茶を淹れ直してくるから少し待っててなぁ」
ボタンさんはそう言うと座敷から立って、パタパタと店の奥に消えて行く。
俺は満腹になった腹をさすりながらその場に寝転がり、フレンダさんに話しかけた。
「今回の戦争、お姫様は色々と説明してましたけど、結局どうすれば終わるんですか?」
『相手の動き方によって大きく変わってきますが、まずはラングレシア王国の北端にあるというグルーブニル砦を奪還することになるでしょう。現在はグルーブニル砦の南にあるスエズス河を挟んで睨み合っている様ですが、その河を乗り越えて砦を奪還したとあれば、ジェイサットもラングレシアに一目置かないわけにはいきません』
「それじゃあ、砦を取り戻した後はどうするんです?」
『あの小娘は特に攻め込む気はない様でしたし、おそらく砦を防衛線としてジェイサットが諦めるまで耐える事になるでしょうね』
「それって結構時間がかかりそうな気がするんですけど、大丈夫なんですか? 戦争ってやればすやるほど国は疲弊するって聞いた事あるんですけど」
『おそらくラングレシアは戦争によって経済が停滞することはないでしょうからその点の心配はありませんが、フーマが考えているよりも早く戦争は終結すると思いますよ』
「そうなんですか?」
『はい。遅くても3年以内に魔族間の全面戦争は始まるでしょうし、ジェイサット以外の魔族国家を扇動すれば、より早くジェイサットの気を逸らす事が出来るでしょう』
ローズの治めていたスカーレット帝国の雲行きが怪しくなった事で魔族国家が一触即発の状態になっているとは聞いていたが、俺の思っていたよりも魔族領域はかなり危険な情勢であるらしい。
平時ならば魔族国家が相手にしないであろう人族の国家でも、現在の情勢であれば魔族国家の国際関係に食い込む余地はあるとフレンダさんは言いたいのであろう。
「それじゃあ、勇者達はどのタイミングで実戦投入されるんですかね?」
『おそらく砦を奪還した後の防衛戦で初投入でしょうね』
「え? 砦の奪還には参加しないんですか?」
『砦の奪還はおよそ半年後との事でしたが、今の勇者は弱すぎます。あの小娘が今後もこのペースで鍛えていくつもりならば、殆どの者が足手まといになる事は言うまでもありません』
「えぇぇ、勇者いらんやん」
『あの小娘は話には出していませんでしたが、勇者を本格的に登用するのは魔族間の抗争が終わった後…全ての人族と全ての魔族による大陸の覇権をかけた総力戦が勃発した時になるでしょう』
「総力戦………なるんですか?」
『お姉様がいない今の魔族領域ではどの国が勝ち残っても、最終的には人族に攻め込む事は間違いないでしょうね』
「そうっすか……」
お姫様が勇者を召喚した目的は今回のラングレシア王国対ジェイサット王国の戦争に参加してもらうためではなく、その後の魔族対人族の戦争に参加してもらうためだったのか。
今は目の前の事に集中してもらうためにクラスメイト達にはそこまで話していないのかもしれないが、あのお姫様は今回のジェイサットとの戦争を勇者達が実戦経験を積むための練習の場と捉えているのかもしれない。
防衛戦であれば敵軍の中で孤立する事もないだろうし、負傷した場合でも撤退はしやすいはずだ。
そうして考えてみると、あのお姫様が戦線の維持だけをしてジェイサットに攻め込まないのも頷ける気がする。
「あいつら、魔族との総力戦にも参加するって言うんだろうなぁ」
『実戦経験で調子をつけた状態で総力戦に突入するわけですから、断る事はないでしょうね』
「みんな意識高すぎだろー」
そうボヤきながら畳の上を転がってみる。
畳の上を転がっているだけでは何も解決しなかったが、素晴らしいモフモフを発見する事は出来た。
「何してはるん?」
「ちょっと食後の運動を…それより、それは?」
お茶を汲みに行っていたボタンさんは急須の他に竹か何かで出来た四角い籠も持っている。
籠はあまり大きくはないのだが、焦げ茶色でなんと言うか重厚感があり、結構お高そうだ。
「うちの毛繕い道具やよ。埃をとるためとか、とかすためとか、ブラシにも色々あるんよ」
「へぇ。よくわかんないけど、獣人も色々大変なんだな」
「せやから、今日はフーマはんにうちの毛繕いを手伝ってもらおう思うてなぁ」
ボタンさんはそう言いながら座敷に上がると、スススっと俺のそばに寄って来て背中を向けて俺の目の前に腰掛けた。
ボタンさんのモフモフの大きい尻尾が俺の目の前、というか膝の上に乗っている。
『おぉ、これはなかなか』
基本的に人を評価しないフレンダさんも思わず気に入ってしまうほどの毛並みだった様だ。
確かにふわふわでサラサラで良い匂いがするし、ずっと触ってられそうだよな。
これ、ブラッシングとか要らないんじゃないのか?
「あら、してくれへんの? うち、ブラッシングは気持ちええから好きなんやけど」
「や、やらせていただきます」
もたれかかってくるボタンさんに流し目を向けながらお願いされてしまっては断われるはずもなく、俺はボタンさんに手渡されたブラシでそっと毛繕いを始めた。
「んんっぅ〜。気持ちええわぁ〜」
「そうか? 痒いところはないか?」
「あぁぁ〜。そしたら、付け根の方もやってくれへん?」
「わかった」
ボタンさんの素敵なお尻の近くの毛を念入りにブラッシングしていく。
無心だ。無心。
なんかボタンさんの声が艶っぽくて緊張するけど、飲まれるんじゃないぞ…俺!
「あぁぁ……フーマはんは上手やなぁ。たまらんわぁ」
「………、フレンダさん! 俺を罵ってください! このままじゃボタンさんがセクシーすぎて理性を保てません!」
『いきなり罵ってくれと言われても理解出来ないのですが………』
「そんな事言ってないで早く!」
『あぁ、はいはい。フーマは私に対する敬意が足りなくて、ズボラで女心がわからなくて甲斐性なしで金銭的な弱者で面倒くさがりで考えなしで変なところで几帳面で他人のスカートをすぐに覗こうとする変態で、道行く婦女子の胸や尻をすぐに目で追う潜在的な犯罪者で…』
「ちょ、ちょっと待って! 流石にそこまで言ってくれとは頼んでないです! それに、他人のスカートをのぞいたり、胸や尻を目で追ったりしてないですから!」
「でもフーマはん…うちと初めて会った時、おっぱいデカ! って思ってはったやんかぁ」
「確かにそんな事思った気もするけど、男子高校生だとこのぐらい普通だから! 断じて潜在的な犯罪者じゃないから!」
『本来なら私のスカートをのぞいた時点でその首は飛んでいますからね? 慈悲深い私に感謝してください』
「いつまでも地味パンツのままのフレンダさんに言われたくないですぅー」
『は、はぁ!? 別に地味な下着ではないです! あれは大人っぽくて清楚というのです!! ですよね! ボタン!?』
「ま、まぁ…フレンダはんがそう言いはるんやったら、そうなんやない?」
「あーあ。ボタンさんに気を使わせちゃったよ」
『わ、私だって派手な下着の一枚や十枚持っています! フーマが見た事があるあの下着はデザインよりも機能性を重視しただけですからね!?』
「へぇー。超ウケる」
『何がウケるのですか!? そこまで言うのなら良いでしょう! 私が体を取り戻した暁にはまず始めにフーマを私の美麗な下着姿で悩殺してあげますから覚悟しておきなさい!!』
わーい。
なんかフレンダさんが下着姿でファッションショーをしてくれる事になったぞ。
絶対に今のフレンダさんのセリフを覚えておいて、フレンダさんの体を取り戻したらねちっこく要求する事にしよう。
「ふ、フーマはんは随分とえげつないやり方をするんやね」
「……………。お痒いところはございませんかー?」
そうしてその夜、俺はフレンダさんの下着ファッションショーのチケットを手に入れたり、ボタンさんのモフモフな尻尾をもっとモフモフにしたりして過ごしたのであった。
………まぁ、良い夜だったな?
◇◆◇
ジェイサット王国東端の草原にて、漆黒のドレスを身に纏った悪魔と吸血鬼の混血の女性は雨の降る草原の中で一人横たわっていた。
彼女の周囲には他の人影はなく、彼女の周囲に広がる雨の中でも煌々と燃え続ける紫色の炎が、彼女の顔を照らしている。
「オホホホ。少しぬるま湯に浸かりすぎたかもしれませんわ」
彼女…風舞の従魔にして、大陸有数の暗殺者でもあるエルセーヌはゆっくりと体を起こしながら立ち上がると、そばに落ちていた自分の右腕を拾いに行った。
彼女の右腕は肩口から切り落とされてしまっており、その黒いドレスも血と土で汚れてしまっている。
「オホホ。一先ず止血は済ませましたし、腕は帰ってからトウカ様に繋げてもらえば良いですわね」
エルセーヌはそう言いながら右腕を時間の流れを遅くした結界の中に放り込み、残った左手でいつものドリルヘアが解けてしまった髪の毛をかきあげる。
「………………………………。はぁ、ご主人様に会いたいなぁ」
いつもの不敵で不遜な笑みもなく、真っ暗な空を見上げてそう呟いた彼女の顔はどこか寂しげで、何かに怯える様な弱々しい瞳をしていた。
彼女はしばらくそのまま空を見上げていたのだが、しばらくして顔についていた返り血が全て流れ落ちた頃になると珍しく開いていた瞼を閉じて、普段通りの心の内の見えない笑みを浮かべた。
「オホホホ。さて、いつまでも死体に囲まれていても気分が悪いですし、さっさとご主人様の元へ向かうと致しましょう」
エルセーヌの周りには一般的な旅人の様な格好の死体が数体転がっており、息のある者は一人もいない。
しかし、その死体の山の中にはエルセーヌがラングレシア王国王城で胸を貫いた軽薄そうな男の死体はなかった。
エルセーヌはしとしとと降る雨の中を歩き、主人の現在の状態を知るために彼の会話の情報を捕捉する。
「オホホ。ご主人様は随分と楽しそうな事をしているのですわね。……………あぁ、確かに元ご主人様の下着は地味なものばかりだった気がしますの。………オホホ。私も早く帰ってご主人様と遊びたいですわ」
エルセーヌは己が主人の声を聞きながら雨の中を歩く。
その顔は既に不安や陰りはなく、どこまでも不適でどこまでも不遜で、そして少しだけ楽しそうな表情を浮かべているのだった。
次回23日です




