90話 世界樹の洞へ
ちょっと汚い描写があるので、食事時は避けた方が良いかもです。
ユーリア
「ふぅ、何とか第30階層まで来る事が出来たね」
「はい。魔物の数が多すぎて少々手こずりましたが、未だ無傷のままですし申し分無いでしょう」
「まぁ、ほとんどの魔物は無視して突っ走って来たからそこまで難しい事はしてないんだけどね」
第31階層のアリ型魔物の巣窟を駆け抜けて無事に第30階層への階段までたどり着いた僕とトウカ姉さんは階段をゆっくりと下りながら息を整えつつ雑談をしていた。
アリ型の魔物であるキラーアント達は僕達が階段に駆け込むところまでは牙をギチギチと鳴らしながら追って来ていたが、階段に入って何匹か倒している内に後続のアリは現れなくなった。
どうやら魔物達はスタンピードの間でも第30階層みたいな迷宮王がいる階層にはそう易々と入り込まないみたいだね。
そんな事を考えながら階段を一段一段と降りていると、僕の前を歩いていた姉さんが僕へ話しかけてきた。
どうやら感知スキルの範囲を広げて迷宮王の広間の様子を確認した様である。
「あら、ファルゴ様とシェリー様の気配がありますね」
「うん。どうやら二人とも無事にサイクロプスキングを…いや、ファルゴは無事じゃないみたいだね」
「そうなのですか!? 急いで治療に向かいましょう!!」
「あぁいや、別に慌てる程の事でも無いと思うよ」
僕の方が姉さんよりも感知スキルが得意だからファルゴとシェリーが何をしているのか姉さんよりも正確に知覚する事が出来る。
おそらく姉さんはファルゴとシェリーの居場所が分かる程度だろうから、二人がどの様な状況かは分かっていないのだろう。
「何を悠長な事を言っているのですか! ファルゴ様はご無事では無いのでしょう!?」
「まぁそうなんだけど、最悪世界樹の葉も持ってるし放っておいても良いんじゃ無い?」
「良い訳ありません! ユーリアがその調子なら私は先に行きますからね!」
少しだけ腹立たし気にトウカ姉さんはそう言い残すと、勢い良く階段をかけ降りて行ってしまった。
いやぁ、本当に放っておいても良いと思うんだけどなぁ。
◇◆◇
ファルゴ
「悪かったって! 俺が悪かったから勘弁してくれ!」
「だから、お前もこれを塗ったら許してやるって言ってんだろ!」
「いやいやいや、塗るどころか思いっきり中身をぶっかけようとしてんじゃねぇか!」
「お前が作った物なんだから、責任とって全部浴びろよ!」
サイクロプスキングの魔眼の効果を見破った後、煙幕やら油やらを駆使して少しずつ迷宮王の体力を削っていった俺とシェリーはそこそこの時間をかけながらも何とかサイクロプスキングの討伐に成功した。
成功したところまでは良かったんだが……。
「無茶言うなよ! そんなもん浴びたら臭すぎて気絶するわ!」
「おま、お前はこれを私の鼻の下に塗ったんだぞ! 臭すぎて今も鼻が曲がりそうだわ!」
「それはお前が気絶して起きなかったからだろうが! むしろ命を救った俺に感謝して欲しいぐらいだわ!」
「ちっ、ちょっとユーリアに鍛えてもらって強くなったからって調子に乗るなよ!」
サイクロプスキングの討伐後、シェリーは気付け薬として使った激臭漂う溶液について詰問してきた。
俺としては戦闘中の咄嗟の判断に対して後から文句を言われても困るのだが、意外にも綺麗好きのシェリーにとっては生ゴミと糞尿を混ぜ合わせて煮詰めたような臭いのする液体を体に塗られた事が許せない様である。
「そう言うならシェリーも気絶しなけりゃ良かっただろ!」
「うるせぇ! 私は他にやり様があったんじゃないかって言ってるんだ!」
「んなこと言われてもサイクロプスキングが近寄って来てたんだから仕方無いだろ!」
「ちっ、これじゃあ埒があかねぇ。よし、ファルゴが今すぐ私にキスをしてくれたら愛があっての行動だったって事で許してやる」
「い、いや、それはちょっと…」
「あん? お前は私が多少臭うからってキスの一つもしてくれないのか?」
「いや、そう言う訳では無いけどよ」
そう言う訳では無いのだが、俺特製のビッグドードの内臓とブルーパンサーの糞を混ぜ合わせて煮詰めた臭いを口の上から発しているシェリーとキスをするのはかなりキツい。
仮にこれが戦場で絶対絶命のピンチとかだったら悩むことなくすぐにキスをするのだが、戦闘後の切羽詰まっていない状態で臭いを我慢してキスを出来るかと言われたらそれはまた別の問題である気がする。
そんな事を考えながら俺の肩を掴んでグイグイと顔を近づけてくるシェリーをどうにか押さえ込んでいると、当のシェリーが涙目になりながら抗議の声をあげ始めた。
「おいファルゴぉ。臭いんだよぉ、キスしてくれよぉぉ!」
「訳分かんねぇよ! キスなら今晩いくらでもしてやるから今は勘弁してくれよ!」
「うるせぇ! 私は今すぐファルゴとキスしたいんだから今すぐしろよ!」
「いや、それはちょっと…」
「ちっ、それなら私からする! するから逃げるんじゃねぇぞ! おら!」
シェリーは涙を浮かべながらそう言うと、俺の足を蹴飛ばして押し倒してきた。
さっきまでは後ろに下がる事で何とかシェリーのキスから逃れていたが、こうして組み敷かれてはもうシェリーの攻撃を避ける事は出来ない。
はぁ、もう覚悟を決めるしかないか。
「分かった。もう逃げねぇから一思いにやってくれ」
「そうか! ファルゴはようやく私を受け入れてくれる気になったのか!」
あぁ、もう。
そんなに嬉しそうに笑うんじゃねぇよ。
つい1ヶ月ぐらい前までは自分からキスをしようとする事も無くて俺がキスしようとすると真っ赤になってたのに、マイムと会ってから急激に積極的になったな。
改めて考えてみると、フーマはこんなのをずっとマイムにされ続けてたのか。
……、今度酒でも奢ってやろう。
「ファルゴ? どうかしたのか?」
「あぁ、いや、何でも無い」
「ん? よく分かんねぇけど、キスして良いんだな?」
「ああ。もう好きにしてくれ」
「そうか。ファルゴ、愛してるぞ」
「ああ。俺も愛してるよ」
俺が目を閉じながらそう言うと、シェリーはニヨニヨと嬉しそうな顔をしながら目を閉じて俺に顔を近づけ始めた。
無心だ。
心を無にするんだファルゴ。
いくら臭いとは言っても一度臭い消しを使ってるし、そこまでじゃないはずだ。
だから、この距離でも臭いがするのは俺の勝手な思い込みだ。
大丈夫だ。
愛する女にキスしてもらえるなんて、人生でもトップクラスの幸せじゃないか。
そんな事を考えながら全身を硬直させてシェリーのキスを耐えきる心構えを構えていたその時、俺の唇にシェリーの柔らかい唇の感触が伝わってきた。
と同時に、生ゴミと糞尿を混ぜ合わせたとてつもない異臭が俺の鼻孔を勢い良く刺激する。
「オロロロロロロ!!」
「ぎゃあぁぁぁ!!!」
シェリーの生々しい唇の感覚と、猛烈な異臭を同時に感じた俺は耐えきれず胃の中身をぶちまけてしまった。
え、えぇっと、この悪臭に耐えていたなんてやっぱりシェリーはスゴいな!
俺はそんな事を考えながらシェリーに顔面を殴られて気絶した。
◇◆◇
ユーリア
「えっぐ、ぐすっ、ファルゴのばかぁ」
「え、えぇっと、元気を出してくださいシェリー様。ファルゴ様もきっと悪気があった訳ではありませんし、臭いや汚れは全て洗い流して浄化しました。きっと目を覚ました時にはもう一度キスをしてくださいますよ」
「でも、でもぉ、ファルゴは私とキスをして吐いたんだぞ」
「えぇっと、そ、それはその、おそらくキスをする際に目を瞑っていたからシェリー様とキスをしているという実感が得られなかったからでは無いでしょうか? そうです、きっとそうです!」
第30階層にたどり着いて迷宮王の部屋に足を踏み入れると、ボロボロになったサイクロプスキングの死体の横で泣きじゃくるシェリーとそれを慰めるトウカ姉さん、それに白目を向いて気絶しているびしょ濡れのファルゴの姿が確認できた。
感知と普通に聴こえていた声で何が起こっていたのかは分かっていたけれど、実際に目の当たりにしてみるとかなり混沌とした状況である様に感じる。
まぁ、僕にはファルゴの気付け薬がどんな臭いなのか分からないけど、ファルゴが吐いてしまったのも無理はないんじゃないかな。
シェリーは気絶していた時に溶液を塗られたからそこまで酷くはなかったけど、普通に意識のある時に異臭を嗅いだら色々と想像して吐いちゃう事もあるよね。
件の溶液はファルゴのお手製らしいし、おそらく作ったときの材料でも思い出してしまったのだろう。
そんな事を考えながら3人のいる方に歩いて行くと、僕に気がついた姉さんが困った顔をしながら僕に助けを求めてきた。
「ようやく来ましたか。実はシェリー様が…」
「うん。何が起こったのかは分かるから説明の必要はないよ。シェリーもファルゴも災難だったね」
「うぅっ、もう嫌だぁ」
「まぁ、夫婦ならこういう事もあるよ。もしもどうしたら良いのか分からないならマイム辺りに後で相談してみたらどう?」
「ぐすっ、そうする」
シェリーは俯きながらそう言うと、そのまま立ち上がって第30階層の出口に向かってトボトボと歩き始めた。
そんな哀愁の漂うシェリーの背中を見つめながら姉さんが僕に話しかけてくる。
「良いのですか?」
「まぁ、ここで恋愛経験の無い僕達が何を言っても仕方ないだろうし、シェリーとマイムは仲が良いからこれで良いと思うよ」
「そうですか。長い間引きこもって生きていたのが悔やまれますね」
「別に僕は引きこもっていた訳では無いけれど、こういう時に恋愛でもしておけば良かったって思わなくもないね。さて、そろそろファルゴを連れてシェリーを追いかけようか」
「そうですね。折角合流できたのですから、先に進むとしましょう」
こうして、ファルゴを担いだ僕とシェリーの大剣を回収したトウカ姉さんは元気のないシェリーの後を歩きながら引き続きダンジョンを下って行った。
うーん。
やることが全部終わったらファルゴとフーマを誘ってご飯でも食べに行こうかな。
何となく無力感を感じた僕は、ポタポタと水滴を垂らすファルゴを担ぎながらそんな事を思った。
◇◆◇
風舞
「おぉ、凄い光景だな」
「そうね。こういうのを天下分け目の戦いと言うのかしら」
舞とローズにいじめられた後、二人を連れて世界樹の天辺に行くと、エルフ軍と魔物の大群の戦いの様子が雲の隙間から臨めた。
エルフの里は上手くバリケードを使いながら戦っている様で、何層もの堅牢な兵士の壁で魔物を退けている様である。
「ふむ。殆どの魔物がエルフの里の方に向かっておるが、この調子なら問題なく勝てそうじゃな」
「そうね。でも、エルフの里とは見当違いの方に行く魔物もいるのね」
「まぁ、こんだけ魔物が居ればそういうやつもいるだろ」
「魔物の生態はいまだ解明されて無い事が多いし、特異な例がある方がむしろ普通じゃろうな」
一応今後のエルフの里の運営の為に里の周囲の被害を減らすことを考えて魔封結晶で魔物を引寄せてはいるが、それでも少なからず周辺地域にスタンピードの影響は出てしまうらしい。
まぁ、こんだけ魔物が暴れまわってるのに森が維持されているだけでも上々だろうな。
「さて、それではそろそろこの中に入ってみるかの」
「はぁ、超怖いなぁ」
後ろに立っていたローズの声を聞いた俺は世界樹の幹の方へ振り返りながらそう言った。
俺と舞とローズの目の前には、以前エルセーヌさんと共に来たときに見つけた大きな木の洞がある。
この洞は内部で曲がりくねっていて、この先に何があるのかは全く見当が付かない。
「一応調べに来ただけで何もいないかもしれんし、そこまで気を張らなくても大丈夫じゃよ」
「そうね。特に感知に引っ掛かるものも無いし、気楽に行きましょう」
「確かに俺の感知にも反応は無いけど、直感の方がここはヤバいって言ってんだよ」
『心配ありませんよフーマ。仮にフーマが死んでも私が復活したら仇はとってあげます。』
「いやいやいや、出来れば俺は死にたくないんですけど」
『それならばさっさと中に入って直感が何を言っても警戒しているのか確認しに行きなさい。未知の強敵よりも既知の強敵の方が怖くはないでしょう?』
「はぁ、どうせ俺が何を言ってもこの中に入るのは決まっているんでしょうし、大人しく着いていきますよ」
「ふむ。どうやら心の準備は終わった様じゃな」
「ああ。現状の戦力で偵察に一番向いてるのは俺達だろうし、エルフの里の為にやるだけやってみるわ」
「ふふん! 仮にバハムートが出てきても私が風舞くんを守ってみせるわ!」
「流石にそんなのが出てきたら即逃げるけど、期待してるぞ」
「ええ! 任せてといてちょうだい!」
「ふむ。二人とも準備は良い様じゃな。それでは行くぞ!」
かくして、俺達3人は周囲に魔物がいない謎の木の洞へと足を踏み入れて探索を開始した。
悪魔のアセイダルと戦った時と同じ様な感覚がさっきから首筋にまとわりついているため、この先に強敵が待ち構えているのは間違いない気がするが、流石にここを見て見ぬふりは出来ないし厳密に調査をする必要がある。
さて、蛇が出るか鬼が出るか分からないし、しっかりと気を引き締めて行くかね。
次回は7月11日予定です。