55話 茶番
フレンダ
フーマ。正確にはタカネフウマ。
思えば、あの人間は出会った時から不思議というか異様な人間だった。
この私を前にしても恐れる事なく、畏敬の念を抱く事なく、自ら跪く事も無い。
私を前にすれば数多くの屈強な魔族ですら怯え、頭を垂れるというのに、あの人間はあまつさえこの私に破廉恥な格好をさせて楽しむ様な余裕さえ持っていた。
フーマの前では、私は一介の少し年上のお姉さんでしかなく、お姉様も兄弟姉妹の様な扱いとなる。
お姉様がフーマを気に入っている要因の一つは、そんなフーマの気性にあるのかもしれない。
「はぁ、私も随分と甘くなったものですね」
私は何もないこの白い世界で、ただ一人立ち尽くしながらそう言った。
ここ数日はフーマの感覚を共有していたからか、この静かで退屈な世界が実感のない空虚なものに感じる。
まぁ、ここでやるべき用事を済ませたら今日もフーマの感覚を共有するつもりなのだから、その様な事はどうでもいいかもしれませんね。
と、心の中で長々と語ってはいるのだが、私がこうしてこの白い世界で態々(わざわざ)一人退屈な時間を過ごしているのには理由がある。
「さて、それでは術の予行練習も済みましたし、面倒な仕事はさっさと終わらせるとしましょうか」
私がこの白い世界にいる理由。
それは、フーマがまた魔法を使えるよう、ついさっき組み上がった術をフーマの魂に施すために他ならない。
既にフーマにはトウカに魂の治療をしてもらおうという考えは無い様だった。
だが、彼はトウカの為に千年以上前から存在するとされるダンジョンを攻略しようと考えている。
今の魔法が使えないままのフーマでは間違いなく力不足の領域に足を踏み入れようとしているのだ。
フーマはお姉様のお気に入りの人間だし、私としてもフーマは亡くすに惜しい存在だ。
それに今のトウカを見ていると、以前のお姉様を見ている様な気がして、どうも心がざわつく。
あの頃私はお姉さまの為に何もできなかったが、そんな私でもトウカの為に動くフーマの手助けぐらいなら出来るはずだ。
そのためなら、私の魂を僅かばかりフーマに分け与えることなど些末なことであるだろう。
それに、生き物の本質を見通せるというトウカは、フーマの魂にズレが生じていると言っていた。
ズレと言うと少しイメージし辛いが、要は私がギフトの花弁を無理矢理剥がした影響でフーマの魂の本来繋がっているべき場所が離れてしまっているという事だと推測される。
私にはそのズレを治すことは出来なさそうだが、何か別の物で代替してフーマの魂の離れてしまった部分を接続できると思う。
「さて、先ずは私の魂の一部を切り離して成形しなおすところからですが、果たしてどの様な影響が出る事やら」
そう呟いた私は、全身の魔力を練り上げて魂の一部切除と移植の準備を始めた。
◇◆◇
風舞
「やっぱり世界樹ってデカイよなぁ」
ファルゴさんに橋の下でエルセーヌさんの紹介とダンジョン探索について説明した後、ダンジョンに入る準備を済ませた俺とファルゴさんとエルセーヌさんの三人は、エルフの里から世界樹へと続く道を歩いていた。
世界樹は舞の計算によると高さ約5千メートル、直径700メートル弱あるらしく、周りをぐるっと歩くだけでも2キロは歩かないとならないらしい。
ここまでのサイズの木が育つのに一体何年の歳月をかけたのかと疑問にも思うが、そこはさすが魔剣と魔法が存在するファンタジーな世界なだけあって、長くても1日でこのサイズに成長したと推測されるそうだ。
というか、エルセーヌさんによると世界樹は本物の樹木ではなくて樹木の様な形のダンジョンだと言うのだから驚きだ。
「それで、世界樹の入り口ってどこにあるんだ?」
「オホホ。まだ実際に入り口を見つけた訳では無いので確証は持てませんが、おそらくフーマ様もご存知の場所が入り口だと思いますわ」
「それって、どういう……」
「オホホ。見えてきましたわ」
そう言ってエルセーヌさんが指さした先には、トウカさんの家があった。
「え? 確かにトウカさんの家は世界樹の下っていうか、世界樹をくり抜いたみたいに建ってるけど、よりにもよってあそこがダンジョンの入り口なのか?」
「オホホ。ダンジョンは基本的に人々をその中に誘い込むかの様に入り口があるのですわ。あの家以外に入りやすい位置にダンジョンの入り口となりそうな場所はありませんし、十中八九あの家の中にダンジョンへの入り口があると見て間違いないでしょう」
「マジかいな。それじゃあ、トウカさんはダンジョンの入り口の目の前に住んでるって事になるのか?」
「オホホ。彼女にその自覚があるかは分かりませんが、そう考えて問題ないと思いますわ」
そんなことをエルセーヌさんと話しながら歩いていると、俺達の後ろを歩いていたファルゴさんが話しかけてきた。
何だか浮かない顔をしているけど、何か困った事でもあったのだろうか?
「なぁ、フーマ」
「そんなに難しい顔をしてどうしたんですか? もしかして、ユーリアくんに気絶させられた時の事を気にしてるんですか? 大丈夫ですって、あの時のファルゴさんは面白い顔をしていただけで、恥ずかしがる事なんてありませんよ」
「え? 俺ってそんなに恥ずかしい顔してたのか?」
「まぁ、恥ずかしい顔というよりは、滑稽な顔をしていましたね。とても素晴らしい白目の剥き具合でしたよ」
「もしかして目を覚ましたときに両目が乾燥してもの凄く痛かったのって、皆が面白がって俺の目を閉じなかったからなんじゃ」
「流石に面白がってという事は無いと思いますけど…、どうかしたんですか? 流石にユーリアくんに会うのが気まずいとかではないんですよね?」
ファルゴさんは結構人当たりが良いしコミュ力も高いから、ユーリアくんに稽古をつけてもらったのに気絶してしまった事を気にして顔を合わせ辛いとかそういう事は無い気がする。
それに、ファルゴさんが気絶したのは人に教えるのに不慣れなユーリアくんが手加減を失敗したからであって、ファルゴさんの過失という訳ではないのだし。
ていうか、昨日の別れ際にちょっぴり涙をちょちょ切らしてしまった俺の方が顔を合わせ辛い。
一体全体ユーリアくんに何と挨拶すればいいのだろうか。
そんな取るに足らない悩みに直面して俺まで難しい顔になっていると、ファルゴさんが依然として俺達の後を歩きながら口を開いた。
「なぁ、世界樹ってエルフにとって大事なもんなんだろ? それをこうも簡単にその中に入って調査してやろうとか考えていいのか? それに世界樹がダンジョンだなんて話、俺は産まれてこの方一度も聞いたことが無いぞ」
「それはまぁそうなんですけど、この道へ入るところの門番さんは俺達の事を通してくれたし良いんじゃないですか?」
「でもよ、それはエルセーヌさんが通行許可証を提示したからだろ? 流石に世界樹に手を出すのはマズいんじゃ」
「オホホ。心配ありませんわファルゴ様。すでにエルフの里長に世界樹の調査の許可は取ってあります」
「そ、それなら良いのか?」
「相変わらずファルゴさんは真面目ですね」
「いやいや、お前やマイムが大雑把すぎるだけだからな?」
「まぁそう難しく考えなくても、マイム達がいない間にこっそり魔物を倒してレベル上げが出来ると思えば良いじゃないですか。幸いにももの凄く強いエルセーヌさんが同行してくれる訳ですし、秘密の特訓と考えればそう危ない事も悪い事もしていませんよ」
「それも、そうか」
事前にエルセーヌさんにつけられた従魔契約の首輪の使い方は聞いているし、彼女が俺達を裏切ったりダンジョンの中に放置したりする心配は無いだろう。
というより、エルセーヌさんとは短い付き合いだけどそれなりに仲が良くなったつもりだし、そこまで危険なところにさえ行かなければ、最悪の事態にはならないと思う。
まぁ、舞はエルセーヌさんが気に食わないみたいだけど、舞の思ってるほどエルセーヌさんは悪い人ではないと思うんだよな。
そんな事を考えながら、横を歩くエルセーヌさんの事をぼんやり眺めていると、その彼女が俺の視線に気が付いて話しかけてきた。
「オホホ。そんなに見つめられては照れてしまいますわ」
「あぁ、エルセーヌさんがあまりにも美人だったから見惚れてしまったんだ」
「オホホ。フーマ様はお上手ですわね。流石は数々の女性を手懐けてきただけの事はありますわ」
「よせやい。こんな事を言うのは、エルセーヌさんだけなんだぜ?」
「オホホ。そんな事を言われては本気にしてしまいますわよ?」
「やれやれ、俺も罪な男だ。こんなにも素敵な女性を自分のモノにしたいと思ってしまうとは」
「オホホ。私は既にフーマ様のモノですわ」
「はっはっは。これは一本とられたな」
「オホホホホ。お褒めに預かり光栄ですわ」
そうしてエルセーヌさんとアハハ、オホホと笑いあっていると、その様子を黙って見ていたファルゴさんが呆れた顔で口を開いた。
「何やってんだ?」
「えーっと、茶番?」
「オホホ。その様な事を言われては私、傷ついてしまいますわ」
「あぁ、これはすまない。でも、たとえ僕が何と語ろうともいつでも君への想いは本物さ」
「はぁ、別になんでもいいけど、これはマイムに報告するからな」
「ちょ、ちょっと待ってファルゴさん! 流石にそれをされると俺が殺されちゃうから!」
「いきなり俺をこんな処に連れてきて、謎のダンジョンに潜らせようとした罰だ」
「俺もその謎のダンジョンに入るんだから許してくださいよ!」
「まぁ、気が向いたらな」
「マジっすか」
俺はそんな事を言いながら、先を歩き始めたファルゴさんの背中を見送った。
まぁ、いきなり世界樹秘密攻略チームに巻き込んだのは俺だし、ここはファルゴさんの機嫌を鑑みて勘弁してもらうか。
「オホホ。フーマ様も大変ですわね」
「ほんとにね」
俺は墓穴を掘るのを手伝ってくれたエルセーヌさんにそう言いながら、ファルゴさんの後を追った。
5月18日分です。