42話 指揮官
風舞
トウカさんのおいしい夕食をいただいて後片付けを手伝った後、俺達は体調が悪そうな彼女にあまり迷惑をかけない様にするために早めに休むことにした。
近頃の旅の疲れのせいか思ったよりも早く眠りについてしまったのだが、俺は今日の昼間にフレンダさんとまた今晩会う約束をしていたので今夜も白い世界に足を運ぶ。
「こんばんはフレンダさん」
「あ、人間! ついに完成しました!」
フレンダさんがそう言って白の世界に現れた俺の方へ駆け寄って来た。
今日の昼間に来た時に俺の紅い指輪に入っていた彼女の力を返して鎖での束縛もしていなかったため、今の彼女はこの世界で自由に動ける様になっている。
新たな術を組む為に魔法やスキルを使いたいから力を一時的に返して欲しいと言われて返したが、俺が不在の間に魂を攻撃してくる様な事が無くって本当に良かった。
まあ、近頃のフレンダさんを見る限り俺を殺してやろうとは思っていなさそうだったから、力を返して鎖もつけずにおいたんだけど。
そんな事を考えながら学校の椅子を取り出して腰かけた俺は、興奮して近づいて来るフレンダさんを後目に瓶のコーラを取り出して飲み始めた。
あぁ、この世界の良い処ってこうしていつでもコーラを飲めることだよな。
「おい人間! 聞いているのですか!?」
「あぁ、はいはい。聞いてますよ。フレンダさんも飲みます?」
「いらな…いや、いただきましょう」
そう言って俺からもらったコーラの瓶の蓋を指で弾き飛ばすフレンダさん。
わお、言ってくれれば栓抜き出したのに指であけちゃったよ。
「それで、術が完成したんでしたっけ?」
「はい。シミュレーションも済ませましたので、おそらくこれで成功するはずです」
「前から思ってたんですけど、今回作った術とかここに来るときに生みだした技能って普通のスキルや魔法とは違うんですよね?」
「ええ。確かにスキルや魔法を使ってはいますが、いくつものスキルや魔法を組み合わせているので普通のものとは違いますね」
いくつものスキルや魔法を組み合わせるか。
そういえば、舞もスキルの縮地と風魔法を合わせてオリジナルの術を生みだしていたし、それと同じようなものか。
ただ、フレンダさんがやってる事の方が舞の移動術よりもかなり難しいものなんだろう。
他人の魂に介入するなんてとんでもない事をしている訳だし。
「へぇ、あんまり理解できてませんけど、かなり難しそうですね」
「まぁ、今回私がやった事は貴方の魂に干渉する時に使った術をベースに、新たな術を作っただけなのでそこまで難しくはありませんよ。それに貴方の魂というか、魔力の波長が私の物に近くなっていましたから割と簡単な作業でしたね」
「あぁ、そういえばこの前ローズもそんな事言ってましたね。多分なんですけど、俺の魂とフレンダさんの魂が近くにありすぎるから互いに干渉してるんじゃないですか?」
「そうですね。おそらく貴方の考えている通りで間違いないと思います。本来一つの肉体には一つの魂が存在するのが普通なので、私の魂と貴方の魂が融合しようとしていたのでしょう」
「は? それって大丈夫なんですか?」
「はい。融合を食い止めるための楔も今回作って打ち込んでおきましたし、これ以上私の魂と貴方の魂が結び付くことはないでしょう」
「それなら良かったです」
「今一分かっていませんね?」
「まぁ、魂の融合と言われてもピンときませんからね」
「簡単に言うなら、私の人格と貴方の人格が統合されるという事です。まぁ、私はただで融合する気はないので、その場合は私が貴方の魂を餌としてくらうことになるのでしょうが」
怖っ。
確かにフレンダさんと魂というか人格の統合がされる羽目になったら俺の方が一方的に吸収されそうな気はするけど、そんな舌なめずりして俺の事を肉食獣みたいな目で見つめないでくれよ。
そんな感じで恐怖を感じた俺は、とりあえずフレンダさんの頭に猫耳を付けておく事にした。
うん。やっぱりフレンダさんはにゃーにゃー言ってるぐらいが丁度いいよな。
「まぁ、その話は置いといて、術が完成したって言ってましたけど俺はなんかする事はあるんですか?」
「いえ、貴方がすることは特にありませんが、貴方がされる事はあります」
そう言って椅子に座っている俺の方に舌なめずりしながら寄ってくる猫耳のフレンダさん。
そうして俺のすぐそばまでやって来たフレンダさんが、俺の肩に両手を置いて顔をそっと寄せてくる。
え? 何?
もしかして俺はこのままさっきの魂の融合の話の通りに食べられちゃうのか?
いやでも、フレンダさんの顔が妙に赤らんで目もトロンとしてるし、もしかしてキス?
口移しで俺の中に術を流し込む的なあれなのか?
そんな事を考えながら心臓をバクバクと鳴らしていると、フレンダさんがそっと口をつけてきた。
俺の首筋に。
「がぁぁぁぁ!?」
フレンダさんに噛まれた首筋からギフトの花弁を無理やり引きはがされた時と同じように体中に何かを流しこまれ、もう二度と御免だと思っていた激痛がひた走る。
俺はその痛みから逃れようと手足をバタバタと動かすのだが、俺に力を返してもらったフレンダさんが椅子が倒れても俺を押さえ込んだまま俺を離さないので全く逃れられない。
そうして禿げるんじゃないかという痛みに悶える事しばらく、ついに痛みに耐えられなくなった俺の視界は暗転した。
最後にフレンダさんが優しく首筋を舐めてくれた様な気もするが、あれが現実なのか痛みに耐えかねた俺の精神が見せた幻なのかは俺には分からなかった。
◇◆◇
風舞
「死ぬわ!」
そう言って俺が目を覚ますと、俺はトウカさんの家の客間にいた。
俺の横のベッドではローズが穏やかな寝息を立てて眠っている。
「あぁ、白い世界に戻るんじゃなくて普通に目を覚ましたのか」
『おぉ、どうやら術は上手くいったようですね!』
あれ、なんかフレンダさんの声が聞える。
俺はまだ寝ぼけているのだろうか。
そう思って目を閉じて再び眠りにつこうとすると、
『おい人間! 何寝ようとしているのですか。私が久しぶりに外の世界を堪能しようとしているのに、どうしてそう意地悪な事をするのです』
やっぱりフレンダさんの声が聞えてきた。
「あのーフレンダさん。そこにいるんですか?」
『はい。今の私は貴方の五感全ての感覚を感じ取っています』
「五感全てって事は視覚だけじゃないんですか?」
『私は一度も視覚だけだなんて言ってませんよ?』
「さいですか。因みに視覚だけを感じ取るとかは…」
『できませんね。五感全てを感じ取る以外はできません』
「マジかいな」
俺のいままで読んできたラノベや漫画的に、頭の中の妖精さんポジションの人は俺の視界と周りの音のみを把握するものだと思っていたけれど、五感全てなのか。
五感全てという事は、それにはもちろん触覚も含まれてるよな。
はぁ、ていう事は男子高校生の男子高校生が男子高校生した感覚もフレンダさんに全部筒抜けになるのか。
とはいえ、一度フレンダさんに許可をだしてしまった手前、やっぱり止めてくれとは言いづらい。
一応オンオフは俺が言えば切り替えてくれるらしいし、上手く付き合っていくしかないか。
「はぁ」
『どうしましたか人間?』
「いや、別になんでもありませんよ。それで、久しぶりの外はどうですか?」
『そうですね。この少し肌寒い感覚がとても心地良いものに感じます』
「あぁ、白い世界は気温とか感じませんからね」
『はい。こんなにも空気の感覚を心地よく感じたのは産まれて初めてかもしれません』
フレンダさんが感激した様な声でそう言った。
近頃はずっと白い世界にこもりっぱなしだし、その前は自分の結界の中で体感で100年の時をすごしていたからこそ、こうして空気の感覚にすら感動できるのだろう。
そう考えると、フレンダさんって結構不憫だな。
よし、いつも俺の遊び相手になってくれてるし、たまにはフレンダさんのお願いを聞いてあげるか。
「フレンダさん。何か俺にして欲しいことはありますか? フレンダさんにはいつもお世話になっていますし、大抵のお願いなら聞きますよ?」
『それは本当ですか!?』
「ええ、まぁ、俺にできる範囲内の事ならですけど」
『それでは、その、お、おお……』
「お?」
『お、おおお、おね、おね……』
「おね? あのー、何かよく聞き取れないんですけど、大丈夫ですか?」
『…………お姉さまを抱きしめてください!!!』
うわっ、いきなり大声で話すもんだから凄いビックリした。
フレンダさんの声はどうも俺の頭の中に直接流れているみたいだし、普通に爆音を耳で聞くよりもダイレクトに刺激を感じるんだよな。
今も頭の中がグワングワン言っている。
『お姉さまを抱きしめてください!』
「あぁ、はい。聞こえてますよ。それで、ミレンを抱きしめれば良いんですか?」
『はい。私はこれまで数回しかお姉さまを抱きしめた事がありませんが、貴方になら出来るのでしょう?』
「まぁ、出来ないことはないと思いますけど、他のじゃダメですか? ほら、風呂に入って欲しいだとか夜空を見上げてほしいだとか、そういう普通のはないんですか?」
『え………………。やってくれないのですか?』
頭の中にフレンダさんの悲し気な声が響く。
はぁ、こんな事なら大抵の願いを聞いてやるなんて言うんじゃなかった。
フレンダさんの事情を知っているだけに、そんな悲しそうな声を聞かされたらものすごく断りづらい。
「はぁ、わかりましたよ。今回だけですからね」
『はい! 私も白い世界に戻ったらフーマのお願いをなんでも聞きますから、思いっきりお願いします!』
かくして、俺は頭の中で荒い鼻息を鳴らすフレンダさんのためにローズに抱き着くことになった。
ただ、流石に寝ているローズに抱き着いたら夜這いと勘違いされそうなので、気持ちの良さそうに寝ているローズには悪いのだがとりあえずは起きてもらうことにした。
「おいミレン。ちょっと良いか?」
「む? フーマか? どうしたんじゃ?」
ローズが目元をこすりながら体を起こし、ベッドの横に立っている俺の顔を見上げる。
『あぁ、お姉さま! なんと可愛らしいお姿なのでしょう!』
はぁ、さっきから頭の中の声がもの凄くうるさい。
さっさと終わらすか。
そう考えた俺は無言でローズの背に両腕をまわし、そっと抱きしめた。
「お、おいフーマ!? いきなりどうしたんじゃ?」
いきなり俺に抱きしめられたローズが少し上擦った声をあげる。
それと同時に…
『あぁ、なんとかいい香りがするのでしょう。それに、とても暖かい』
そんなフレンダさんの声が俺の頭の中に響き渡った。
よし、これでフレンダさんのお願いは達成したしもう良いだろう。
そう思ってローズを離そうとしたその時、フレンダさんが次の指令を出してきた。
『それでは、次はお姉さまの首筋に顔を寄せてください』
「ちっ。調子に乗るなよ」
「ふ、フーマ? なんの事じゃ?」
あ、思わず声に漏れてたのか。
フレンダさんは俺の心の声を聞き取れないみたいだし、こうなると声に出して会話をしなくちゃいけないのは結構不便だな。
そんな事を俺が考えていると、フレンダさんがまた俺の頭の中に声をかけてきた。
『おい人間。何をやっているのですか? 早くお姉さまの首筋に顔を寄せてキスをしなさい』
っておい、さっきよりお願いがエスカレートしてるじゃねぇか。
流石にローズにそこまでするのは後が怖いし嫌なんだけど。
なんて事を思ったのだが、さっきから頭の中で早く早くとうるさいフレンダさんが俺がもう嫌だと言っても納得してくれる気はしないし、俺からはフレンダさんの術を切ることはできない。
というわけで、俺は泣く泣くフレンダさんがそれなりに満足してくれるまで彼女の操り人形となる事にした。
ていうか、もうこんなくだらない事で頭を回すのがめんどい。
そうしてフレンダさんのおもちゃになった俺は、彼女の指令通りに抱きしめているローズの首筋にそっと口づけをする。
「お、おいフーマ!? どうしたんじゃ? お主変じゃぞ?」
『そのままお姉さまの首を舐めなさい』
「ひゃうっ!? おっ、おいフーマ。妾はそこが弱いんじゃ。頼むからやめてくれ」
そう言ったローズが俺の胸を力なく押して来る。
はぁ、マジで俺何やってんだろ。
『いい調子です人間。次はそのまま舌を這わせてお姉さまの耳を甘噛みしなさい。あ、耳の裏側の先を刺激するのを忘れないで下さいね』
はいよ。
あむあむ。
「ふ、ふーみゃ。も、もう頼むからやめとくれ。なんでお主が妾の弱点を知っておるんじゃ?」
『ふっふっふ。私はお姉さまの全てを知っているのです』
ん? それを言えばいいのか?
「俺はミレンの全てを知ってるからな」
「ふ、フーマ? それは一体どういう?」
『はい、そこでお姉さまの頭を力強く抱きしめて後頭部を優しく撫でる!』
「ぬわっ!? お、おいフーマ? お主、何か様子が変じゃぞ。そ、それにこれ以上は妾がどうにかなってまう」
『まだまだ夜はこれからですよお姉さま!』
「まだまだ夜はこれからだぜミレン」
「も、もうやめとくれ。お、お主にはマイムがおるじゃろ?」
『抱きしめる力をそっと緩めて、お姉さまのあごに手を添えて目を合わせてください』
はいはい。
抱きしめる力を緩めて、ローズをあごクイっと。
わお、ローズが今までに見たことないくらいとろっとろの顔してる。
ってあれ?
いくらなんでも流石にフレンダさんに好き勝手させすぎじゃね?
『そのままお姉さまを押し倒しつつ、唇にやさしい口づけを』
えーっと、ローズを押し倒しつつ、そのまま口づけを…………。
「って、出来るかぁぁぁ!!!」
「ぬおわっ!? なんじゃフーマ!? いきなりどうしたんじゃ?」
俺にあごクイをされていたローズがもの凄く驚いた顔をしているが今はそれよりも…。
「おいこらこのシスコン吸血鬼! いくらなんでも限度ってもんがあるだろうが!」
「シスコン吸血鬼? 何の事じゃ?」
『おいフーマ! なんで良い処で止めてしまうのですか! 折角お姉さまの日記に書かれていた理想の初夜を再現しようとしていたのに』
「あんたは俺に何てことさせようとしてんだ!」
「お、おいフーマ? 誰と話しておるんじゃ? 大丈夫か?」
『はぁ、フーマがその程度の人間だったとはガッカリです』
「俺の方がガッカリだよ! 折角久しぶりに外の世界を感じられる様になったからって、気を使って好きな事させてやろうとしてたのに」
『でも、フーマは最後までやってくれなかったじゃないですか』
「当たり前だ! なんで俺がミレンの理想の初夜を再現しなくちゃならないんだよっ!」
「な、なな、理想の初夜!? なんでお主がその事を知っておる!」
あ、ローズが毛布を握りしめながら顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。
涙目のローズなんて久しぶりに見たなぁ。
そんなことを考えながら怒るローズを前にして現実逃避をしていると、俺の中の司令官様がすたこらさっさと逃げ始めた。
『それではフーマ。もう夜も遅いみたいなので、私は戻りますね。おやすみなさい』
「あ、ちょっと待て! おい、返事をしろ! おい!」
「返事をするのはお主の方じゃフーマ。お主、妾を辱めた責任をどう取るつもりなんじゃ?」
「い、いやぁ。それにしても、ミレンさんってあんな可愛い顔なさるんですね」
「っっ!! 歯ぁ食いしばるのじゃ!!」
そうして真っ赤な顔をしたローズに顔面を殴られた俺は気を失い、次の日の昼まで目を覚ます事はなかった。
普段だったらああいう気絶の仕方をしたら白い世界に自動的に送られるはずなのに、今回はどういう訳か目を覚ますまで完全に意識を失っていた。
はぁ、もう二度とフレンダさんのお願いは聞かない。
俺は強くそう思った。
5月5日分です。