カノン
気付くと、終業のチャイムが鳴っている。
(あれ、、もう終わったのか、、)
どうも午後の授業は眠くていけない。
頑張って起きようとしていたのだが、20分ほど前から完全に記憶が飛んでいた。
僕はむくっと起き上がり、枕代わりになっていた机上の教科書を片付け始める。
すると後ろから山下が僕の背中を小突いてきた。
「おはよー」
「んん、、なんだよ」
「もー、今回は当たんない授業だったからいいけど、ちゃんと起きとけよ」
「はいはい」
生返事をしながら、楽譜用のファイルを探す。
昨日の夜、空の状態のものを彩音から譲って貰った。そもそも楽譜を読みながら吹くという段階ではないので楽譜もまだ貰っていないのだが。
「あ、響もう部活行く?」
「うん」
「じゃあ一緒に行こ」
「うん」
授業が終わると教室の人は少なくなるが、廊下に出れば部活に向かう生徒や、廊下でたむろする生徒で大いに賑わっている。
その喧騒に掻き消されないように、山下が僕の耳元で声を張り上げた。
「それで、姉弟での部活はどう!?」
「そんな声出さなくても聞こえるから!、、どうだろ、まだ全然吹けないけどね」
「そうなんだ!なんかあったら相談乗るよ!?」
「いやそれがさ、、」
「あ、カノンやっほー」
階段の傍で群がっていた女子のうち一人が、カノンに手を振った。
「この後部活?」
「うん!」
「そっかー頑張って」
「ありがとー!、、それで何だって!?」
「いや、だからね」
「なになに!?悩み事!?」
「ちょっと静かなとこ行こうか!!」
僕も負けじと声を張り上げ、人気の無い階下の方を指差した。
二人で階段を降りると、あっという間に辺りは静かになった。
クラスの教室がなく、理科や社会の準備室が並ぶ場所なので、放課後にわざわざ来る人は殆どいない。
実験室の前の開けたスペースには、壊れたり余ったりで使われていない椅子や机が山積みになっていた。
「いやーうるさかったねー、あんな騒いでたらまた先生来て怒るよー」
ここに来てみると、上の階の喧騒はずっと遠くから聞こえているようだった。もはや、この空間を支配している静寂を引き立てる背景だ。
「で?どうした?愛の告白?」
「、、違う」
(こんな静かなとこで話したら、重い感じになりそうだな、、)
でも、言う方がいいだろう。
僕は首を振ると、ゆっくりと話し出した。
吹奏楽部の音に感動して入ったが、その演奏の中に自分が入れるとはとても思えないこと。
今の感じでは技術的に、定期演奏会に間に合わないのではないかという不安。
それでも頑張りたいが、自分が足を引っ張ってしまっては、部活に迷惑がかかってしまうこと。
思いを言葉で伝えるということ自体、死ぬほど苦手だった。
どうやったって、思いの丈をありのまま言葉にするなんてことは僕にできる訳がない。そこまで文章を組み立てられないし、そんなことを同級生相手にすれば、自分が無防備に不安がる子供のように思えてくるだろう。そういった気恥ずかしさも邪魔をした。
それでも、出来る限り、一つ一つ言葉を選びながら、ぽろぽろと喋った。
山下はずっと、真剣に聞いてくれた。
見たことのない、副部長としての山下に、少し驚きながらも話し続ける。
「、、だからさ、このまま部活続けるのもちょっとアレかなみたいな、、感じで、、」
これ以上言えることがなくなり、僕の話は尻切れトンボに終わった。
僕は山下の顔を見られなかった。
少し下を向きながら、焦点を合わせずに遠くの床を見つめる。
数秒の沈黙の後、山下が一歩近付いてきた。
(近っ)
反射的にドキッとしながらも僕は俯き続ける。
その肩に細い手がポン、と置かれた。
「響さ」
「、、、」
さっき全精神力を総動員して話したので、もはや何も言葉が出てこない。
「今言ってたみたいなことね、なんっも気にしなくていいよ」
山下は微笑んでいた。
「、、、、」
「そう言われたってって感じだよねー、、けど響考えすぎだよ!初心者なんだから吹けなくて当たり前じゃん?他のこと考えずに楽しく吹いてりゃいいんだって」
「いやでも、、」
「でもじゃない」
山下のその言い方がなんだか子供を窘める親みたいで、自分が情けなくなってくる。
「別に部活に迷惑かけるとか、全然そんなことないからさ、やりたいようにやんなよ、吹奏楽やりたくなったから入ったんでしょ?」
「、、、」
(、、辞めるべきか迷ってるやつに相談されたら、大体まあこんな感じでフォローするだろな)
穿った見方をしながらも、僕の中には、そのありきたりな言葉に助けられた思いをしている自分もいた。
言葉だけじゃないのかもしれない。なぜだか、僕の事を思って、いたわってくれるのが凄く伝わってくる。
(、、やっぱ副部長なんだ、、)
それでも、僕の悩みはそれでさっぱり晴れたりはしない。
あの時、水道で向けられた敵意が重く僕の中に残っている。
そのことは、さっき山下に言ったっけかな。必死で喋りすぎて、何を話したかさえ定かじゃない。
「あーあとね、さっき言ってた水道でどうのってやつ、」
(、、あ)
「それたぶんレモンだと思うんだけど、そいつはそーゆー奴だからね、あんまショック受けないで」
「、、でもやっぱり迷惑だって思う人もいるってことなんじゃ、、」
「違う違う!あのね、その子がそういう態度をとるのも、ちょっとした訳があんのよ、けどそれは響とは全く関係無い話だから、八つ当たりだと思ってくれればいい、、って感じかな」
「、、、?」
「いやね、色々あんの。けど響はそんなこと気にしなくていいってこと、こっちの話」
「そう、、なんだ、、」
いまいち腑に落ちないが、そう言われるだけで大分心の重荷は減った。
あれが部活の実際の総意ではないか、というのを1番危惧していたのだが、どうやらそうじゃないらしい。
(それでも、何か、あんだな、、やっぱ吹部って裏ではギスギスしたりしてるんじゃ、、)
と、違う心配が出てきて微妙な表情のまま黙っていると、山下がクスリと笑った。
「とは言っても伝わんないよねーやっぱ!、、、そしたらそうだな、、あれがいいかな、うん、ぴったりだ」
「、、は?」
「ちょっと相談してくるわ、響はまあ、頭の中整理しながら、ゆっくり音楽室来てよ」
「え、うん、、?」
そういうと山下は僕の肩から手を離し、走りだす。勢いよく階段を駆け上がると、踊り場の所でこちらに振り返った。
「とにかく響は余計な心配しなくていいんだからね!後この先要るのは、響の勇気だけだよ」
(勇気って、、寒っ)
「今私めっちゃ良いこと言った!いやちょっとイタいか?まーいいや」
そう言いながら山下は上の階に消えていった。
かと思うと、階段の上の方からこっちにひょっこりと顔を出してきた。
「てか、もう部活入ったから響って呼ぶの紛らわしいね!カナデって呼ぶわ!私のこともカノンって呼んで!じゃあね!」
それだけ言い残し、今度こそ山下はいなくなった。
(カノンは、、どうだろ、呼べるかな、、)
もうしばらく静かな所にいたかった。
僕は人気のない廊下をのろのろ歩きながら、今までの会話を反芻し始めた。




