とりあえずマッピ
2Fに行ってみると、昨日同様、彩音以外には誰もいなかった。
彩音は窓際に座り、楽器の手入れをしている。
僕は並んでいる椅子から適当なものを取り出し、彩音の隣に座って、膝にユーフォを置いた。
そのずっしりとした重みに、バランスを崩して落としてしまっては大変と、緑青のついた持ち手をしっかりと握りしめる。
メガネ拭きのような布で銀色のユーフォを磨く彩音に、僕はおずおずと話しかけた。
「あ、彩音、、パート練習って何すんの?昨日みたいな感じ?」
「奏」
「ん?」
「昨日からなんの決断もできないままでここまで来たんでしょー」
彩音が自分のユーフォから視線を離さずにバシッと言った。
さっき音楽室で会った時には何も言われなかったし、このまま流してくれるのかと思ったが、、
その通りです。
こうはっきり言われてはぐうの音も出ない。
黙ったままで、膝のユーフォに視線を落とす。
よく見ると所々に凹みがあった。
「どうする、このまま成り行きに任せてく?」
彩音がこちらを向いた。
「いや」
「、、じゃあどうする?」
「えー、、とりあえずしばらく、、部活やってみようかな、、」
否定から入ってみたはいいが、成り行きに任せるというのはまさにそういうことだろう。
彩音はフッと笑い、ユーフォの方に向き直った。
「ふーん、そしたらまあ、やろう、、昨日って音は出たんだっけ」
「うん、なんかね、変な音が出た」
「そうだったね、、よし、じゃあまたマウスピースからだ」
彩音はため息と共にそう言って、自分の楽器からマウスピースを外すと、唇で震わせた。
それに倣って僕も自分のマウスピースに息を吹き込む。
相変わらず息は管を通り過ぎていくだけだ。
「もっと唇をブルルルってやんの。フーって吹いても音鳴らないから」
「うーん、、、」
もう一度やってみる。今度は吹き始めだけぶぃーっと音がして、マウスピースが震えた。
「そうそうそんな」
「これをずっとやんの、、、?」
「そう」
まじか、、
呆然とする僕を尻目に、彩音は自分のマウスピースでブンブン音を鳴らしている。
「昨日はそのまま楽器吹いたけど、とりあえずある程度マッピで出来るようになった方がいいかもね」
マッピ、、マウスピースのことか。
「マウピ」だと言いづらくてウが詰まるように変化したのかもな。
そんなことを考えながら、僕はひたすらマウスピースを吹いた。
隣では彩音が軽々とマウスピースで音階を吹いている。見せつけるように。
何か腹立つな。仕方ないんだけど。
がむしゃらに真似していると、だんだんマウスピースが震える確率が高くなってきた。
とりあえずこの段階をクリアしないと、楽器も吹けない。
鳴ったり鳴らなかったりを繰り返していると、後ろの扉が開く音がして、背の高い男子が教室に入ってきた。
「あ、大和」
「やってるねえ、姉弟練習」
有賀先輩は眼鏡越しに、死んだ魚のような目でこちらを見ながらニヤリと笑った。
「なに、それだけ言いに来たの?」
彩音がわざとらしく機嫌の悪そうな声を出す。姉弟で同じパートになるよう仕向けた張本人と相対しているのだからまあ当たり前だろう。
「まあ怒んなって、、もうそろそろ合奏だよ。なかなか来ないから呼びに来たの」
先輩がそう言うと、彩音は忘れてた、という風に手を叩いた。
「あ、そうだ合奏!」
「やっぱ忘れてたか」
「す、すいませーん今行きます、、」
「チューニングしてから来てねー」
先輩はそう言うと、今度は僕の方を向いた。
「それと、お前も来いよ。見学な」
「え、あ、はい、、、」
狼狽える僕を見て先輩は再び笑みを浮かべ、そのまま去って行った。
彩音が立ち上がった。
「あー、そうだった16:30からだった。行かないとねー」
「あの、彩音、合奏って、、?」
「合奏は合奏だよ、全パートが音楽室に集まって合わせる練習するの」
「なるほど、、僕は見学?」
「マウスピースの練習しないとだけど、そうみたいね。まあ1回見といた方がいいと思うよ」
「ふーん」
「さ、私チューニングしないといけないから、椅子と譜面台片付けてくんない?」
彩音はそう言うとマウスピースを楽器にはめて、音出しを始めた。
(譜面台ってどうやって折りたたむんだったかな、、)
そう思いながら立ち上がると、急に目の前がぼーっと霞みだした。
(え)
次の瞬間、僕はユーフォを抱えたまま、仰向きに倒れていた。
胸と頭に鈍い痛みを感じる。
「ちょっと奏、大丈夫!?」
彩音が駆け寄ってきた。
「あ、よかった、、奏が下敷きになったから楽器は無事だわ」
まず楽器なんだな。
そりゃそうだな何十万もするものだし。
「マウスピースの吹きすぎで酸欠になったんだな多分、、どうする?もう帰る?」
僕はユーフォを椅子の傍に立て、頭を抑えながら立ち上がった。
「いや、、行くよ。もう大丈夫だし」
「うん、まあ吹くわけじゃないしね、、じゃあ、行こうか」




