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九羽

 授業を受けていても泉と話をしていても、ずっと悠崎の顔が離れなかった。ただ偶然雨宿りで出会っただけなのに、どうして華弥と仲良くしたいのだろう。ここまで積極的だとこちらが戸惑ってしまう。悪い企みがないのは伝わったが、もし友人になった時にどんな関係になるのか不安だった。

「またぼうっとしてるよ」

 泉に注意され、はっと我に返った。心の中を誰かに知られたらまずい。

「ごめん。最近ちゃんと眠れなくて……。ママがいるから気も遣うんだ」

 華弥の一言に、泉は真っ直ぐ視線を向けてきた。

「親に気を遣うなんて、華弥が可哀想で泣けてくるよ。あたしはお母さんに気を遣ったことなんかないよ」

 慰めているように聞こえるが、自分は普通の優しい母でよかったという意味にしか感じられない。唯一の友人である泉に嫉妬してしまう汚い心が嫌で堪らない。

「まあ、喧嘩してないなら問題ないんじゃない?」

 軽く言った泉を見つめ、華弥は首を横に振った。

「問題大アリだよ。仕事の疲れでいらいらして、しつこく勉強はどうだって疑ってくる。テストが一〇〇点じゃないと遊んでるって決めつけられるし。勝手に一人で大騒ぎして、頭おかしいんだよ。あの女」

「うわっ……。母親をあの女か……」

「泉だって一緒にいたらあの女って言いたくなるよ。苦しめられるなら生まれてこなきゃよかった」

 泉は口を閉じ目を逸らした。返す言葉が見つからなかったようだ。ゆっくりと後ろを振り返り離れていった。

 確かに普通の人には衝撃的なことかもしれないが、これは大袈裟でも何でもなく華弥の本心だ。母親は腹を痛めてこの世に生を与えてくれた大切な存在だが、華弥にとって和華子は悪魔や死神と同じなのだ。

「この世から消えてなくなればいいのに」

 独り言を漏らすと、ちょうどよく授業開始のチャイムが鳴った。

 無事に学校生活を終わらせ帰り支度をしていると、泉がポーチを取り出してメイクをしているのに気が付いた。あまりおしゃれにこだわっていないはずの泉が熱心に化粧をしている姿を見るのは初めてだ。

「どうしたの? 急にメイクに興味持った?」

 近寄って聞いてみると、泉は何かを思い出したような表情になった。

「あれ? 言わなかった? あたしバイト始めたんだ」

 いつも働きたくないとぼやいている泉がバイトをするとは驚きだ。

「えっ? いつから?」

「先週から。一応経験しておかなきゃだめかなって」

「ママには相談したの? バイトしてもいいかって」

 無意識に口から飛び出してしまった。泉は一気に顔を曇らせ動揺した。答えづらい質問だからだろう。

「……あたしのお母さんは基本的に、やりたいことはどんどん挑戦してみなさいって言うから……」

 胸の中に黒くて大きな鉛がのしかかった。そして泥のようなものが体中に流れていく。

「ふうん……。よかったね……」

 かろうじて絞り出すと、勢いよく泉が両肩を掴んできた。

「もういいじゃん。華弥もバイトしなよ。お母さんに内緒で」

 必死に励まそうとしているが効果は全くない。華弥はゆっくりと首を振って呟いた。

「内緒でバイトなんか無理。後でばれて、うるさく叱られるだけだよ」

「だけど少しくらいならできるかもしれないじゃん」

「できないから」

 話しかけたのはこっちなのに、顔を見るのが嫌で会話を終わらせた。くるりと振り返り黙ったまま昇降口へ向かう。家庭に恵まれている人と心の底からわかち合うのは不可能なのだ。きっと泉も同じ想いだろう。

 ビデオ屋に行こうかと考えたが真っ直ぐマンションに帰ることにした。早く夕食を作っておかないと和華子に怒鳴られ何も食べられなくなってしまう。台所で用意しながらバイトをしている泉の姿を想像した。

 自分もどこかでバイトをしてみたい。将来仕事をする時のために、一度経験した方が絶対にいい。しかし和華子はそれを許さない。中学生になって部活をしたいと言った時も「そんなものは役に立たない。時間の無駄よ。部活動をする暇があったら勉強しなさい」と返され、さらに「門限は五時半。間に合わなかったら絶対に家に入れない」と強制的に決められてしまった。クラスメイトたちは放課後カラオケに行ったり買い物をしたりと楽しく過ごしているのに、華弥は一人ぼっちでマンションに戻るしかなかった。

 またメイクも「化粧は肌荒れになるから」と一切させてもらえなかった。だが和華子は毎日化粧をして仕事をしていた。

「ママがメイクするなら、私だってしてもいいじゃない」

 中学三年生の時に言ってみたが、和華子は首を縦に振らなかった。

「ママの肌と華弥の肌は違うの。華弥はメイクをすると肌荒れになるの」

「学校の女の子たちはみんなメイクしてるよ。私だってしてみたい。スッピンのまま外歩くなんて恥ずかしいよ」

「誰も華弥の顔なんか見てないわよ。それよりも大事なのは勉強よ。受験生なんだからもっともっと勉強しなきゃだめよ」

 完全に聞く耳持たずだ。もう何もかも禁止されて、ほとんど牢獄の中で生活しているのと同じだ。高校生なのに友人が泉だけなのも和華子のせいだ。

 泥が体に溢れ出した。この夕食に毒でも仕込んでやりたいと考えたが、犯罪者になるのは絶対に嫌なので実行できない。

 玄関からガチャンとドアが開く音がし、また悪夢の時間がやってきた。



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