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六十二羽

 雨が降っている黒い空を眺めていると、ある出来事が胸に蘇った。いつだったか忘れてしまったが、ネタ帳を捨てられクラスメイトと喧嘩をした悠が閑古屋にいた夜だ。あの時も、悠の意外な一面を知って驚いた。そしてそれほど映画を作りたいのだと強く伝わった。怪我の手当のために外に出ようとすると、悠は独りになりたくないと言った。まさに現在の華弥と同じ気持ちだ。弱弱しい悠を抱きしめ、華弥は朝までとなりに座っていた。悠の壊れた心を癒したいと、ずっとそばにいてあげた。しかし悠は反対に離れると決心した。そばにいてくれれば誰でもいいなど一度も思っていないのに、通じていなかったのが残念で仕方がない。なぜ華弥の想いに応えてくれなかったのだろう。優しい悠が冷たい態度をとるなんて未だに信じられない。悪魔には勝てないが、いつまでも待つことはできるはずなのに、きっぱりと別れてしまおうと考えた悠の気持ちがわからなかった。

 まだ和華子はマンションにいて仕事に行こうとはしないが、受験が終わったので勉強をしろと言わなくなった。しかし不機嫌になると突然睨んだり、わけもなく舌打ちをしたり八つ当たりはする。華弥も慣れてしまって泣いたりしない。すでに死んでいるので、これ以上傷つきはしないのだ。携帯とマンションの鍵がない毎日も当たり前になった。

 部屋に閉じこもっていると、ドア越しに和華子が声をかけてきた。

「華弥、何してるの」

「別に。ぼうっとしてるだけ」

「ぼうっとしてる暇があるなら、夜ご飯作りなさいよ。ママお腹空いてるのよ」

 辛い目に遭って苦しんでいる娘を、まだ地獄に堕としたいらしい。

「自分のご飯くらい、自分で作りなよ。仕事行ってないんだから疲れてないでしょ」

「華弥の将来のためよ。家事ができなかったら誰とも結婚できないわよ」

 ああ言えばこう言う。家事ができても華弥は結婚とはほど遠い。邪魔な毒ヘビがまとわりついているせいだ。

「……わかったよ」

 諦めてため息を吐き、部屋から出た。

 最近は食事を摂っているのは和華子だけだ。華弥は何も口に入れていない。とりあえず水だけは飲んでいるが食欲がないのだ。

「ちゃんと食べないと大学に通えないわよ。しっかりしなさいよ」

「でも、お腹空いてないんだもん……」

 小さく答えると、和華子は華弥の前に皿を差し出してきた。

「いらないってば」

「ママの言うことが聞けないの? 大学を一日でも休んだら許さないわよ。ママは学生時代、一度も休んだことがないのよ」

 ふと不登校をしていた時のことを思い出した。皿を和華子の方に押し戻しながら、真っ直ぐ睨んだ。

「私、あんたがいない間、ずっと不登校してたよ」

「えっ? 不登校?」

「うん。ばれなきゃいいやって。私には学校なんか必要ないの。友だちだっていないし、一人で勉強できるもん」

 ガタッと立ち上がり、和華子は覗き込むように見つめてきた。

「ママに隠れて不登校してたの? 本当に?」

「けど、こうして三年に進級したし、大学の受験だって受けられたんだから問題ないよ。過去のことでいちいちいらついてもしょうがないでしょ。あんまりいらついてると寿命縮まるよ」

 しかし和華子はパシッと頬を叩いた。痛みは全くない。

「不登校なんか絶対にしちゃいけないことよ! どれだけクラスメイトに馬鹿にされたかわかる?」

「私は周りから馬鹿にされてないと思うよ。嘘つき女とは言われたけど」

 泉の顔が浮かんだが、すぐに消した。関係のない人間などどうだっていい。

「嘘つき女? どうして」

「もういいでしょ。あんたの声聞いてると気分悪くなるから部屋に戻る」

 勢いよく立ち上がり素早く逃げた。中で身構えていたが和華子は追いかけてこなかったので、ほっと安心した。

 



 電気を点けずドアにもたれかかるように床にしゃがんだ。頭を抱えながら、がっくりと項垂れる。

 大学で悠が他の女の子と恋に落ち、腕を組んでデートをしたりキスをしているところを見た時、どんな気持ちになるか考えた。大好きな悠が名前も知らない女の子に奪われて平常でいられるか怖くなった。泉が告白をすると言っただけでかなり衝撃を受けたのに、気が狂う可能性がある。

「悠……。私、おかしくなっちゃうよ……」

 独り言が無意識に漏れた。嫌われてしまったので奇跡でも起こらない限り恋人同士には戻れない。実保は恋人が亡くなり誰とも結婚をせずに店を続けているが、華弥はそんなに前向きな性格ではない。母親が悪魔の女と付き合いたい男はいないので、華弥は恋人と決して結ばれない人生を歩む運命だ。

 そういえば実保に全然会っていないと気が付いた。またあの穏やかな笑顔が見たい。悠がだめなら実保に癒してもらうしかない。 

 先ほど叩かれた頬に触れると、乾いた瞼に涙のしずくがたまった。とにかく今は悠よりも大学受験の結果が最優先だ。過去も夢も全て忘れて、厳しい現実に耐えるしかない。


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