四十九羽
しばらくデートをしたり、映画について閑古屋で話し合ったりして、二人きりの生活を楽しんでいた。実保は、にっこりと笑ってもんじゃをごちそうしてくれる。しかし「キスはしたの? 」と聞かれた時は本当に恥ずかしくて「そんなこと聞かないでください! 」と強く言ってしまった。それでも仲が悪くなったりしない。実保も華弥と悠と考え方が一緒だから、離れる理由がないのだ。
学校に行く気は皆無だ。もう卒業できなくてもいい。大学だってどうなってもかまわないとまで思っていた。今までたくさん勉強をしてきたのだから、遊んだっていいはずだ。
悠は学校に通っていたが、校則がゆるいので、面倒な時はサボったり休んだり気楽に過ごしていた。
しかし、ある夜、華弥が風呂からあがり居間に行くと、人の気配がした。足を止め、音を立てないようにドアの隙間から覗くと、やはりあの女がいた。背を向けて椅子に座っているため、表情がわからない。小さく深呼吸をしてからドアを開けた。
「お帰り……。ずい分と長く戻って来なかったけど、どこに行ってたの? 仕事?」
当たり障りのない質問をすると、疲れた顔で和華子は答えた。
「別にどこだっていいでしょ。いちいち聞かないでよ」
華弥の帰りが遅いとしつこく何度も詰問するくせに、自分の話は一切しない。ああそうですか、という視線を向けてから台所に入った。
「お腹空いた……」
ぼそっと呟いたが華弥は無視をして自分だけの夕食を作った。どうせおいしいともありがとうも言わないだろうし、わざわざ悪魔に食事を作るなんて馬鹿馬鹿しい。
ゆっくりと和華子は立ち上がると、床に置いた荷物の中から紙袋を取り出し、テーブルの上に置いた。ちらりと目玉だけ動かしてみると、大きめの弁当だった。
「お弁当買ってきたの。おいしそうだったから、華弥が喜ぶかなと思って」
和華子が華弥のために金を使うのは初めてだった。悪魔の和華子はもう消えたのだろうか。どこかで改心して戻ってきたのか。
「体によさそうなものたくさん入ってるし、華弥の健康を心配して選んできたのよ」
はい、と手渡され素直に受け取ろうとしたが、蓋に貼られているシールを見て驚いた。二カ月以上も賞味期限が切れていた。首を横に振り、冷たい口調で答えた。
「いらない。自分で作ったもの食べるから。ママが食べれば?」
すると和華子は横を向いて小さく舌打ちした。賞味期限切れの弁当を食べてお腹を壊した華弥が見たかったのに、という表情だ。やはりこの女が改心などするわけがない。
「言っておくけど、夜ご飯一人分しか作ってないから、今夜のママの夜ご飯はそれだからね」
「どうして? せっかく買ってきたのに。ママは華弥が作ったご飯が食べたいな」
「前に私の料理は味が濃いとか文句言ってたから、ちゃんとお店で作られた方がおいしいと思うよ」
和華子は焦るのを隠すように苦笑したが、無視してまた自分だけの夕食を作り始めた。
担任教師の出来事もあり、現在の華弥の心は鋼のように強くしっかりしていた。全て悠のおかげだ。仕方なく和華子は弁当をゴミ箱に捨てた。
「あれ? 食べないの? もったいない」
抑揚のない口調で言うと、冷たく睨み付けてきた。
「いいのよ。ママはお腹いっぱいだから」
「さっきお腹空いたって言ってたけど。まあ、ママがいらないなら別にいいね」
和華子の手足が怒りでわなわなと震え出した。思い通りに行かなかったことと、華弥に馬鹿にされたのが不快でならないのだろう。それでも怖いという気持ちは沸いてこなかった。
「ちょっとくらい食べなくたって死にはしないわ」
ぶつぶつと呟き、ずっと目を逸らしていた。
できたての料理を見せびらかすように食べた。「おいしい」と何度も繰り返すと、いらつく気分を抑えるように和華子はテレビをつけた。食事が終わってから、そっと質問をぶつけてみた。
「どうして私に酷いことばっかりするの?」
はっとテレビの電源を消し、華弥の顔に目線を移した。
「酷いことなんてしたことないわよ」
「毎日酷いことしてるじゃない。さっきのお弁当だって、賞味期限切れなのを知ってて私に食べさせようとしたでしょ。私を痛めつけるのが好きなの? 私のことどう思ってるの?」
一気に疑問を吐いた。和華子の目つきがさらに鋭くなる。
「鬱陶しいのよ。まだママがいないと生きていけないとか甘えてばっかり。弱くて邪魔で、しかも産んでくれた母親には全然笑わないでパパに懐いてるし。やっぱり子供なんかいらなかったのよ。辛い思いをしたママにありがとうとか言えないの? いつも迷惑ばかりかけて申し訳ないって、いつになったら謝るの? もう高校生なんだから一人で暮らしなさいよ。いつまで経っても自立しないなんて、恥ずかしくて誰にも言えないわ」
とんでもない勘違い女だ。和華子がいなければ生きていけないと考えたことも、甘えたことも一度もない。邪魔をしているのはそっちなのに気が付いていないのだ。
「その言葉、真っ直ぐママに返すよ」
「えっ? 何ですって?」
和華子を睨みながら、顔を指差して大声で言い切った。
「私はもう一人で生きていけるのに、ママがべったりつきまとって縛りつけてくるから自立できないんでしょ。私の人生を邪魔しないで。一人で暮らしていいならマンションから出て行くよ」
玄関に向かって歩くと、慌てて腕を掴んできた。
「まだだめよ」
「だめ? たった今自立しろって言ったくせに。何かママ、さっきから変だね。頭狂ってるんじゃないの?」
まるで殺人鬼のような表情に変わったが、ちっとも怖くない。以前の華弥だったら石になっていただろう。
「頭がいかれたママに付き合ってられないから、腕放してよ。私はママみたいに暇じゃないの」
歯を剥き出しにして般若のような和華子の脇を避けて、すぐに部屋に飛び込んだ。ベッドに座り悠にメールを急いで送った。
『悪魔が帰ってきたよ。だから電話かけないでね。メールも読むだけにして。返信いらないから。しばらく閑古屋にも行けないかもしれない。ごめんね』
先ほどの和華子とのやりとりを伝えても悠の気分を悪くさせるだけなので短い文章で終わらせた。一分もかからずに『わかった。負けるなよ』という文字が画面に表示された。
二時間以上経ってから、こっそり居間の近くに行くと、和華子がソファーでテレビを観ていた。そういえば中二の時もこのように背中を見つめ、殺してやろうと考えた。もちろん犯罪を起こしたら警察に捕まってしまうし、悠も閑古屋も失うのでただ見つめるだけだ。
『うたかたの雨』の最後みたいに、事故や病気で自然とこの悪魔が消えたらいいのに。子供に死んでほしいと思われているなんて、ある意味可哀想な母親だなと感じた。




