三十九羽
二週間以上、華弥は学校に行かなかった。勉強などできる余裕はなく、胸の奥に潜んでいる想いを探すのに必死で、食事も睡眠も、ろくにとれていない。電話がかかってきても完全に無視で、ただ悶々と悩んでいた。
そんな日々を過ごしていたある朝、ふと外に目を向けると雲一つない快晴が広がっていた。まるで華弥の疑問を解いてくれるような素晴らしい空で、心がすっきりと癒される。
晴れた空を眺めていると閑古屋に行きたくなった。いつもあそこにいるのは雨の日や夜が多いので、明るい閑古屋もたまにはいい。すぐに起き上がりバッグとマンションの鍵を持って外に飛び出した。
当然だが誰もいなかった。そっと悠が座る椅子に腰かけてみた。数センチしか違わないが、悠が普段こんな景色を見ているのかとわかって嬉しくなった。ぎゅっと抱き締められたことが蘇り、照れて赤くなった。指に触れたり手を握ったりはけっこうしているが、抱かれたのは驚いた。両手を頬に当て、ぶんぶんと頭を振るう。
「わ……私……どうかしてる……」
「どうかしてる? 何でだよ」
心臓が止まりかけた。勢いよく振り返ると、にっこりと笑っている悠がガラス戸の前に立っていた。
「いつ来たの?」
「今だよ。あれに乗って」
指差した先には自転車が置いてある。まさか会えるとは考えていなかった。
「学校に行かなくて大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫じゃねえよ。けどこの前の続きしたいじゃん」
この前のというのは、たぶん図書館に行った日のことだろう。ロマンチックだったのに雨が降って邪魔されてしまった。想像しているとぐいっと腕を掴まれ転んでしまった。
「ぼうっとしてると危ないぞ」
「悠が引っ張ったからでしょ。もう……」
悠はいたずらっ子のように笑い「ほら」と手を伸ばしてきた。からかわれているのに全く嫌にならない自分が不思議だ。
ガラス戸を開け悠は自転車のサドルに跨った。視線で「後ろに乗れ」と伝えてきたが、戸惑いが生まれた。
「自転車の二人乗りって禁止されてるよね」
華弥の一言で無邪気な顔がいじけた表情に変わった。むっとしながら言い返す。
「そんな細かいことどうだっていいじゃん。せっかく自転車があるのにどっちかが歩きなんてデート台無しじゃないか」
「デート?」
胸がばくんと大きく跳ねた。華弥の気持ちが伝わったらしく、悠は苦笑しながら付け足した。
「ミホとユウトのデートの練習だよ」
「あ……そ、そっか……」
ほっと安心して息を吐いた。そして切ない想いも浮かんだ。もしこれが演技ではなかったら。ミホではなく、華弥に向けられた言葉だったら……。
「じゃあ、お邪魔します」
口に出したいのを必死に堪えて、頭を下げてから足をかけた。
自転車で二人乗りをする日が来るとは思っていなかった。
「すごい! 速い! 飛んでるみたい!」
心が弾けて止まらない。普通の人間は全く感動しない出来事も、華弥にとっては素晴らしい喜びだ。
「あんまりはしゃいでると落っこちるぞ」
「怪我する時は悠も一緒だから平気だよ」
「何だよそれ」
誰がどう見ても二人は恋人同士だった。満面の笑みで閑古鳥が鳴く場所を走って行く。耳元で風がびゅんびゅんと流れる。あまりにも心地よくて、本当に空を飛んでいると感じる。
「もうすぐ坂道だから、しっかり掴まってろよ」
「うん、わかった」
肩に置いていた手を動かし、ぎゅっと背中にしがみついた。また距離が縮んでいる。坂道を下りスピードが増し、わああっと声を出した。確か以前観た映画にもこんなシーンがあった。実際に体験するとどうなるのかを悠が教えてくれた。
「どこに行きたい? 好きなところに連れてってやるぞ」
前を向いたまま聞いてきたが、すぐに首を横に振った。
「悠がそばにいてくれれば、どこに行ってもいいよ」
突然急ブレーキがかかり、前のめりに倒れそうになった。
「ゆ……悠……?」
慌てて声をかけたが何も答えず、悠は俯いたままもう一度ペダルを漕ぎ出した。信号もないしぶつかりそうなものもないのに、一体どうしたのか。
「……じゃあ、あの公園に行くか。華弥が泣いてたあそこ」
「泣いてないってば。恥ずかしいから早く忘れたいのに」
強く言ったつもりだが、悠から返事は来なかった。態度がおかしいのはなぜなのか考えて、はっとあることに気が付いた。前に悠が話した言葉だ。
「そばにいてくれればいいなって。一緒にいてくれれば充分だよ。となりで笑っていれば、もう何もいらない」
そして、たった今自分の口から出た言葉も蘇る。
「悠がそばにいてくれれば、どこに行ってもいいよ」
まさに悠と同じ感情だ。一緒にいてくれれば充分。もう何もいらない。悠しかいらない……。
どくどくと体中の血液が沸騰したように熱くなった。恋愛に必要な大事なことが心の中にはっきりと浮かび上がった。




