三十四羽
「さて、これから何をしようかな」
悠が立ち上がり窓の外を見た。まだ太陽がぼんやりとしている。
「朝早いから、うまくいったら外に出られるかもしれないね」
真っ直ぐ答えると、ちちち、と指を横に振って笑った。
「そうじゃなくて、せっかくここに来たんだから、記念として体験しておこうぜ。ベッドもあるし、二人きりだし」
「記念として体験?」
始めはわからなかったが、だんだん意味が通じてきた。顔が赤くなり枕を投げた。
「まだ高校生なのに、できるわけない……」
慌てて悠に口を塞がれた。振り払おうとしたが力が強くて無理だ。
「ばれたらどうするんだよ」
耳元で囁かれ、華弥も冷や汗が流れた。そういえばここは女子が入ってはいけない男子寮なのだ。
「悠崎?」
ドアの向こうから疑う声が飛んできて、さらに緊張が増していく。
「今、女の声しなかったか?」
「そうか? 俺は気付かなかったけど。彼女が欲し過ぎて幻聴でも聞こえたんだろ」
動揺を隠して言うと「うるせえな」と文句を叩いて男子は離れていった。足音が完全に聞こえなくなったのを確かめてから、ようやく手も放してくれた。
「気を付けろよ。今度は誤魔化せないからな」
「ご……ごめん……。けど悠が変な話するから……」
「冗談に決まってるだろ。華弥ってすぐに真に受けるよな。まあ素直でいいんだけど」
褒められてるのかよくわからないが、とりあえず危ない目に遭わずに済んで、ほっと息を吐いた。
「ところで、どうして風邪ひいてるのに駅前にいたんだ? 病院に行こうとしてたのか?」
あれほど熱があったら外に出ようとする人は普通いない。
「うたかたの雨を観たくて。今度は一人で」
「えっ? 面白くないって言ってたじゃん」
ありきたりでつまらない映画をもう一度観たいとは考えないだろう。しかし少しでも悠の想いを明らかにしたい。
「恋愛には大事なことがあるんでしょ? わからなかったから映画を観てヒントをもらおうとしたの」
もしかしたら教えてくれるかもしれないと期待したが、悠は首を横に振った。
「自分で探さなきゃだめなんだ。みんなそれぞれ大事なことは違うから、映画なんて観ても意味ねえよ」
「えっ? そうなの?」
また新たな疑問が胸に浮かんだ。悠は、今度は首を縦に振りしっかりと言い切った。
「そうだよ。忘れたくないこととか、失いたくないものとか華弥にはないのか?」
こうして十七年も生きてきたのだからもちろんあるはずだ。しかしぼんやりと形になっていないから答えが見つからないのだ。
「……悠は、大事なことにすでに気付いてるんだね。やっぱりすごいよ」
尊敬の眼差しを向けると、にっこりと笑ってくれた。
まず悠が廊下に出て、誰もいないのを確認してから華弥も部屋から出た。音を立てないように昇降口に走り、やっと自由な場所に移動できた。
「まさかばれずに済むとは、奇跡としか言いようがねえな」
ふう、とため息を吐く悠を見つめて、華弥もほっと安心した。
「風邪も一気に治ったしね。お世話をかけてごめんね」
深々と頭を下げると、その頭を優しく撫でられた。
「俺だっていつも世話かけてるんだから謝るなよ。毎日華弥に助けてもらってるんだから」
「毎日?」
顔を上げ目を丸くすると、ゆっくりと頷いた。
「うん。華弥がそばにいてくれるんだって思うと心が強くなるんだ。一人ぼっちじゃないって勇気づけられる。華弥に会う前は全然だめな弱い男だったんだぞ」
どうやら悠も気持ちが変化したらしい。なぜこれほど二人は似ているのか不思議でしょうがない。
「途中まで送るよ。早めに帰った方がいいもんな」
悠が歩き出したので、遅れないように後に連いていった。ずっと寮にいられたらいいのにと残念だったが黙っていた。
駅の近くで「もういいよ」と声をかけた。立ち止まりくるりと振り向いた悠は、少し寂しげな表情だった。
「ここでいいのか?」
「いいよ。案内してくれてありがとう」
そっと笑ったが、悠は横を向き目を逸らした。
「……そうか。じゃあ気を付けて帰ろよ。また具合悪くなったら、俺の携帯に電話かけろよ」
「わかってるよ。悠も風邪ひかないようにね」
言いながら、ふと先ほどの出来事を思い出した。
「さっきのあれ、別に嫌って意味じゃないよ」
「あれ?」
自分の言った言葉なのにすっかり忘れてしまったようだ。
「記念に体験しようって話。あれ、冗談じゃなくてもいいよ。大学生になったら一度だけ体験してみよう」
あまりにも衝撃的だったのか、悠の顔色が白くなった。まさか華弥が許可してくれると夢にも思っていなかったはずだ。
「今は高校生だから無理だけど、いつか二人で大人になろうよ」
「……そうだな……」
掠れた声で呟くと、逃げるように急いで歩いてきた道を走っていった。いざという時、強いのは女性の方だというのは本当らしい。悠の後ろ姿が完全に消えてから、華弥もマンションに向かって走った。




