三十羽
駅前の映画館は幼い頃よく肇に連れていってもらったところで、ふるさとでもあった。懐かしい思い出がたくさん残っている。遠くで悠が手を上げて立っていて足を止めた。背が高く制服を着ているのは悠だけなので、すぐに見付けられた。
「学校サボるなんて生まれて初めてだよ」
荒い息を整えながら、にっこりと笑う悠を睨んだ。
「何となくスリルがあって楽しいだろ」
「どこが楽しいのよ。もしばれたら全部悠が責任とってよ」
「はいはい」と軽く受け流し、くるりと振り返り中に入った。華弥も遅れないように追いかけた。
昔と変わっていない映画館は心をじんと熱くさせた。どこかで肇に再会できるのではと期待してしまう。
「『うたかたの雨』っていう映画を華弥と観たかったんだよ。クラスメイトが彼女と観に行ったらしくて、ちょうど今恋愛映画作ってるから参考にもなるじゃん」
確かにそれはいいアイデアだと華弥も頷いた。しっかり基本を学んだ方がいい。
飲み物を買い真正面の席に座る。周りに人がいないので貸し切りだ。
「なあ、うたかたって何なんだ?」
耳元で囁かれ、華弥も小声で答えた。
「水の泡。儚くて消えやすいこと」
「へえ……。やっぱり華弥は物知りだな」
そんなんじゃないと口を開いたが、映画が始まってしまい仕方なく黙った。
『うたかたの雨』は、若い男女が出会い徐々に惹かれていき、さまざまな障害を乗り越えるのだが、最後に女は難病に侵され男は不慮の事故に遭い、結局離れ離れになるというありふれたストーリーだった。観客が一人もいないのもわかるほどつまらなく、盛り上がるシーンもときめくシーンもないため眠くて堪らなかった。
「別にこれといって面白い場面はなかったね」
ようやく終わり、となりにいる悠の顔を見て驚いた。目は赤く充血しているし頬には涙の跡がある。
「えっ……? どうしたの?」
「俺こういうバッドエンド苦手なんだよ。あまりにも酷すぎるじゃないか。しかも学生のまま死ぬなんて、この映画の監督は冷たい性格なんだな」
どうやら感情移入しやすいタイプらしい。安っぽい映画でこれほど泣くとは思っていなかった。
「悲しい恋だったけど、作り話でしょ。実際に死んだわけじゃないんだから」
「俺だったらハッピーエンドにするぞ。みんなが幸せなストーリーにするぞ」
「わかったから、とりあえず出ようよ」
引きずりながら外に連れて行き、近くのベンチに座らせて泣き止むのを待った。
「悠が悲恋弱いとはね。私は一つも感動しなかったけど」
まだ残っているお茶を飲み干してから、そっと悠の髪に触れた。
「悠は思いやりがあるんだね。人を心の底から思いやれる優しい性格の持ち主なんて、本当にすごいよ」
なぜか華弥の瞼にも涙が溢れた。影響されたのかはわからないが、とても穏やかな気持ちだった。
「私、そうやって自分のことのように喜んでくれたり泣いたりしてくれる人がお気に入りなの。悠にしかない、素敵な長所だよ」
悠はゆっくりと顔を上げ、小さく頷いた。もう泣き止み恥ずかしそうに赤くなっている。
「私たちの作る映画のストーリーはハッピーエンドにしようね」
また自然に微笑んだのが不思議だった。悠がそばにいてくれれば華弥も優しい「人間」になれるのだ。
そのまま学校に戻ってもよかったが、ぶらぶらと散歩することにした。何年間も住んでいるのに知らない場所がたくさんあり、とても楽しいひとときを過ごした。
「どうして学校抜け出せって言ったの?」
歩きながら聞くと、待ってましたとばかりに笑った。
「だって放課後になったら街中に制服着てる人間が溢れるだろ。でもみんなが学校にいれば、制服着てるのは俺と華弥だけ。誰にも邪魔されないうちに観に行きたかったんだよ」
そういうことか、と疑問が消えた。確かに制服を着ている人がいないと、まるで二人きりの世界のように感じる。
「悠って頭いいね。私は思い付かなかったよ」
「まあ、サボるのはいけないことだけどな」
悠は苦笑したが華弥は頷かなかった。たとえいけないことでも距離を縮めるのは大事だ。
「ところで鞄持ってないけど、マンションの鍵とか大丈夫か?」
はっと目を丸くしてスカートのポケットに手を入れてみたが何も入っていない。慌てていて鍵にまで気が回らなかった。
「忘れちゃった……」
「やっぱりな。でも俺のせいだから今夜は一緒に閑古屋に泊まろうぜ」
「寮に帰らないとまずいんじゃないの?」
すると悠は真顔になり仁王立ちした。じっと見つめられてごくりと唾を飲む。
「言っただろ。俺はお前を護るって。それも忘れたのかよ」
力強く男らしい口調に安堵の息が漏れた。これからは孤独になったり不安にならなくてもいいのだ。こうして頼りになる人がいるのはとても安心する。
「わかった。ありがとう」
微笑みながら言うと、悠も笑顔に戻った。
人がいない公園に着き、ベンチで疲れた体を休ませた。
「ここも閑古鳥が鳴いてるね。閑古鳥ってけっこういるものなんだね」
「閑古屋よりは新しいけどな」
うん、と頷くとさらに悠は話しかけてきた。
「うたかたって何だっけ? ごめん。よく聞いてなかったんだ」
「水の泡のこと。儚くて消えやすいって意味」
先ほどの映画が蘇ったらしく、また悠の瞳が潤み始めた。
「じゃあ、あの二人が結ばれなくて死んだのは、毎回待ち合わせの日は雨が降ってたからって話なのかな。雨水に打たれなければハッピーエンドになったんだな」
待ち合わせのシーンは、はっきり言ってうんざりしていたところだった。悠がいなかったら途中で出て行ったはずだ。
「そうかもね。雨って悲しいイメージがするもんね。……でも私たちは違うよね。雨の日に出会ったんだから」
言ってから嫌な予感が生まれた。死にはしないだろうが、うたかたの雨と同じ結末になったら大変だ。雨は華弥にとってかけがえのないものなのに、逆に二人を引き裂く原因になるのでは。はっと横を向くと悠も黙ったまま暗い表情で俯いていた。
「も……もうそろそろご飯食べない? 私お腹空いちゃった」
必死に話題を変えわざと高い声を出した。悠も頭を上げ小さく苦笑した。
以前行ったもんじゃ焼きで空腹を満たすと、すっかり夜になった街を歩いた。
「あのお店、お腹いっぱい食べられていいね。すごくおいしいし」
「だろ。俺しか知らないんだぞ」
「えっ?」
意外な言葉に少し驚いた。悠はにやりと笑いさらに続けた。
「何ていうか、秘密場所があるのってわくわくしないか? 俺しか行ったことがないって自慢したくなるだろ。だから俺は誰にもあの店を教えてないんだよ」
「けど私は知っちゃったよ。あそこがおいしいもんじゃのお店だって」
突然立ち止まり横を向いた。つられるように華弥も足を止めた。
「華弥はいいんだよ。特別だから」
「私が特別って……。どうして?」
しかし答えてはくれず口を閉じてまた歩き始めた。遅れないように早足で追いかけた。
「どうしたの? 怒ってるの?」
明らかに不快になっている。余計な話はしたつもりはない。
「怒ってねえよ」
「じゃあ何で」
わけがわからないのではっきりと伝えてほしい。冷や汗が額や手に滲んだ。
「悠……」
「華弥って全然だめなんだな」
どきりと心臓が跳ねた。さらに冷や汗が噴出した。
「だ……だめって?」
焦り過ぎて声が掠れた。悠は前を向いた状態でもう一度言い切った。
「お前は恋愛映画の女優なんか絶対にできない。大事なことに気が付いてない人間が、恋愛する役なんて演じられねえよ」
心に鋭い矢が刺さった。こんなにショックを受けたのは久しぶりだ。優しいはずの悠が冷たい態度になるとは全く考えていなかった。




