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三羽

 肇が優しい笑顔で華弥を見つめている。華弥も笑いながら肇の元に駆け寄る。広い胸の中に飛び込もうとしたが、何かが足に絡んで転んでしまった。足に絡む何かを振り払おうと体をよじらせていると、肇は後ろを向いて歩き出した。待って、パパ、置いてかないで……と呼んでも歩みを止めない。そして華弥を見捨てるように姿は消えてしまった。パパ……と涙を流していると、耳元で誰かが囁いた。

「華弥はずっとずっとママと一緒にいるのよ。ママが、華弥を幸せにしてあげるからね」



 ばっと勢いよくベッドから起き上がった。服が汗でぐっしょりと濡れている。心臓がどくどくと速くなり止まらない。深呼吸して気持ちを落ち着かせると、またベッドに横たわった。

 何という悪夢だろうか。夢の中でさえも、和華子は華弥を自由にさせてくれないのか。

「ママなんか……ママなんか……いなくなればいいのに……」

 呟いたが華弥を助けてくれる人は現れない。華弥の想いを聞いてくれる人もいない。どうすることもできず、ただ広い天井を見上げた。

 しばらくして部屋から出ると、台所に入って冷たい水を飲んだ。昨夜は帰宅しなかったようで、書き置きは新しいものにはなっていなかった。その書き置きを見つめながら、華弥は想像した。

 和華子の仕事先がファッション関係なのが原因なのだろうか。周りにいる可愛い女の子たちと出会って、華弥も同じような姿にしたいと願っているのかもしれないが、勉強も運動もさらに恋愛まで決めつけるのは愛情ではない。書き置きをびりびりに破りゴミ箱に捨てると、朝食もとらずにマンションから出た。

 学校に行くとすぐに泉が話しかけてきた。勝手に電話を切ってしまったので、罪悪感があるのかもしれない。

「厳しすぎるよ、華弥のお母さん。勉強も運動も常に一位なんて無理に決まってるじゃん。失礼だけど、ちょっと頭おかしくない?」

「泉はいいよ。優しいし、子供想いのママで……」

 声を出すのも面倒くさい。あの家にいると、魂がえぐられる気がする。

「お父さんはどこにいるの? お父さんがいれば、少しは収まるんじゃないの?」

 何も知らない人は幸せだな、と思いながら、華弥は首を横に振った。

「だめだよ。というか、パパとママが別れたのは子育ての違いが原因なんだから」

 返す言葉が見つからないようで、泉は目を逸らして口を閉じた。華弥も泉の顔を見るのが嫌になり、雲一つない青空を眺めた。

「……そういえば、夕方から雨が降るらしいね」

 泉がそっと呟き、華弥は驚いて目を丸くした。

「えっ? そうなの?」

「小雨だし、すぐに止むってニュースでやってたじゃん」

 しかし現在の空は快晴だ。曇りにはなるかもしれないが、雨は降らないと感じた。

「まあ、心配いらないでしょ」

 華弥の肩を軽く叩き、泉はさっさと歩いて行ってしまった。自分の役目はもう終わったと背中に書いてある。華弥の悩みなど、泉にとってはどうでもいい話なのだ。他のクラスメイトと「昨日のドラマ、面白かったね」と笑っている。華弥が電話した時に観ていたのだろう。

 子供は親を選べないとどこかで聞いたことがある。なぜ自分の母親がこんなにも厳しすぎるのかと、惨めな気持ちが胸いっぱいに溢れた。

 華弥の心の中を表すように、真っ青な空が真っ黒に変わっていった。泉は小雨だと言っていたが、かなり雨足は強かった。「傘一本で帰れるかな」「すぐ止むんじゃなかったの」と、クラスメイトたちが心配している中で、華弥だけは全く気にしていなかった。どしゃ降りなんかで不安がっているなんて弱い人間だ。自分は幼い頃から、ずっと激しい嵐の中で過ごしてきたのだ。大雨なんか怖くも何ともない。

 傘を忘れてしまったので、制服も鞄も靴下の中もびしょ濡れになった。雨だけでなく風も強いため、息が苦しい。目の前がぼやけて、どこを歩いているかわからない。ただ足が向く方を必死に進んだ。

 しばらくして、ある建物がうっすらと見えた。小さいので住宅ではないと感じた。とりあえずその小屋で雨宿りをしようと決めた。

 近寄ってみると何かの店らしく「営業中」という板がガラス戸の取っ手にかかっていた。人気ひとけは全くない。鍵がかかっていると思ったが、重いガラス戸はゆっくりと動いた。

 まず頭だけを入れてキョロキョロと見回してみた。やはり誰もいない。雨で店が休んでいるようでもない。ごくりと唾を飲み込んでから足を踏み入れた。

 濡れた体をハンカチで拭きながら棚に置かれているものを調べてみると、昔の映画のビデオだった。華弥が産まれるずっとずっと前の映画ばかりだ。商品はどれも埃が被っていて、すでに使われなくなったビデオ屋だと直感した。

「……こんなところにビデオ屋があるなんて……」

 無意識に声が漏れた。聞こえてくるのが雨音だけで心細くなっていた。天井には壊れた蛍光灯がチカチカと点滅しているだけでほとんど真っ暗だし、何より一人きりなので不安でいっぱいだった。胸を押さえ深呼吸をしてから、その場にしゃがみ込んだ。

 今まで何年も暮らしてきたが、廃墟となったビデオ屋の存在など知らなかった。廃墟というのはよく心霊スポットだと呼ばれたりするが、そのような噂も聞かなかった。

 ふとある思いが胸に浮かんだ。もしかして神様が華弥のために心のよりどころを与えてくれたのではないか。和華子に傷つけられないように、逃げ場を作ってくれたのでは……。馬鹿みたいな話だが、そうであってほしいと願った。神様はまだ近くにいて常に華弥を見護っているのかもしれないと、ほんの少し希望の光が生まれた。

 雨の勢いがさらに増したように感じた。朝になったら帰り道を探せばいいと決め、鞄を枕にして寝っ転がった。

 今は何もかも忘れてしまおう。和華子のことも泉のことも、完全に頭の隅に追いやってしまおう。目を閉じると、すぐに睡魔はやってきた。



 

 

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