二十三羽
目覚めるとすぐ近くに悠の寝顔があった。以前されたように携帯で写メしようと思ったが、手に持っているのは財布だけだったので無理だった。
「悠、朝だよ」
体を揺すると悠はゆっくりと起き上がり大きな欠伸をした。寝ぼけまなこで覗き込むように見つめてくる。
「……少しはすっきりしたか?」
「うん。ここは本当に心のよりどころだね」
穏やかな自分の声に驚いた。こんなにも自然と笑顔になれるのは閑古鳥が鳴く場所だけだ。マンションはもちろん学校でも未だに無表情で、悠以外の人間に笑みを見せていない。
「腹減ったな」
立ち上がり伸びをして悠が呟いた。
「私も。最近ちゃんとご飯食べてないし」
「作っても食べられちゃうしな」
昨夜の嫌な出来事が蘇った。なぜ華弥の方が悪者扱いされるのかわけがわからない。
「もんじゃでも食いに行くか」
「もんじゃってなに?」
初めて聞いた料理名だ。衝撃を受けたように悠は目を丸くした。
「えっ、もんじゃ知らないのか?」
知らないというか華弥は外食をしたことがないので、どこにどんな店があるのかも不明だ。
「じゃあもんじゃに決まりだな。死ぬほど食わせてやるぞ」
「わかった。頑張って全部食べてみせるよ」
ぐっと力強く拳を握り、悠の後について行った。
もんじゃ焼きの店は、まるで異国のようだった。朝なので客は華弥と悠の二人しかいない。貸し切りのようでわくわくした。
「うわあ……。すごい……」
おいしそうな匂いと音に感動しそれだけで言葉にならない喜びが溢れる。もんじゃを口に入れるとさらに幸せが込み上げた。
「こんなにおいしいものがあるなんて知らなかったよ。悠が教えてくれなかったら食べられなかった」
すると悠はじっと見つめてきた。肇と同じ表情だった。
「どうしたの?」
華弥も見返すと、そっと小さく笑いながら答えた。
「いや、可愛いなあと思って」
「可愛い? 私が?」
「そうだよ。他に誰がいるんだよ」
頬が赤くなり、はははと苦笑した。
「からかわないでよ」
「からかってない。本気でそう思ってるんだ」
動揺を隠すために下を向いた。真っ直ぐ悠の顔を見ていられない。
「やめてよ。恥ずかしいよ」
「二人しかいないんだから恥ずかしがらなくてもいいだろ」
「そうじゃなくて。とりあえずこのお店から出てからにしてよ。緊張して食べられないよ……」
何とか答えると、ようやく悠も食べ始めた。安心してこっそりと息を吐いた。
悠に可愛いと言われるとは思っていなかった。肇は可愛がってくれたが、他人に容姿について褒められた経験はない。スカートをめくったり寝顔を写メで撮ったりした理由はこれだろうか。そしていつもからかわれているのに全く気にせず、むしろはまっている自分にも謎だ。嫌だと感じるのではなく、新しい刺激を受けていると考えているのだ。
もんじゃ焼きのお金は悠が払った。
「ごちそうさま。今度は私が奢るね」
「いいんだよ。男が女に金を使わせるなんて絶対できねえよ」
もう一度頭を下げ「ありがとう」と伝えた。
閑古屋に向かいながら悠が小声で話しかけてきた。
「可愛いなんて言って迷惑だったよな。悪かったな」
慌ててすぐに首を横に振った。
「すごく嬉しかったよ。迷惑だなんて……」
しかし正直なところ不安な方が強かった。可愛いなら女優をしてもいいじゃないかと言われるかもしれない。絶対に女優など無理だし、もし失敗したらどうしようという恐怖がいっぱいだ。
「華弥」
呼ばれて我に返った。いつの間にか足が止まっていた。
「ぼうっとしてると転ぶぞ。大丈夫か?」
「ごめん。平気だよ」
作り笑いをしたが、多分悠はこの迷いに気付いていると感じた。
「今日は学校も休んでストーリー作りしよう。私もたくさん手伝うからね」
複雑な気持ちを振り払うために微笑んだが効果はなかった。悠は下を向いていて華弥を見なかった。
「……そうだな。いい映画を作りたいもんな」
やはり女優にはなってくれないのかという口調が胸に突き刺さる。華弥の一言で悠の気持ちはよくも悪くもなるのだ。
文房具屋に寄ってネタ帳用のノートを買った。真っ黒になってしまったので悠も新しく買い直した。
「あんなに書き込むなんてびっくりだよ。何かの暗号かなとか考えちゃった」
「書き過ぎだよな。はっきり言って俺も最初の方読めないんだ」
「それじゃあネタ帳になってないじゃない」
いつからネタ集めを始めたのだろう。一日にどれだけ文字を書いたのか。それほど悠の映画監督になりたいという想いは大きいのだと伝わった。
「本当に映画作れるのかな」
「作れるよ。願っていれば夢は必ず叶うんだよ」
肩を掴みゆっくりと頷くと、悠は安心したように息を吐いてから笑顔になった。
「華弥って面白いよな。家に神様がいたとか、普通の人が考えないことばっかり話すし。俺はそういう面白い奴が大のお気に入りなんだよ」
つまり華弥がお気に入りという意味だろうか。ははは、と軽く笑っただけで何も言えなかった。さらに不安が重なって素直に喜べなかった。




