二十二羽
「どうしてここにいるの?」
緊張しながら聞くと、すぐに答えは返ってきた。
「それはこっちのセリフだよ。女がこんな時間に一人でいたら危ないぞ」
しかし和華子と一緒にいたくないし、空腹でどうしようもない。
「夜ご飯をコンビニで買おうと思って」
何とか絞り出すと、悠は注意する口調で言い切った。
「家で作ればいいだろ。わざわざコンビニまで行かなくても」
「わかってる。でも食べられちゃったから」
「食べられちゃった?」
声が大きくなり、確かめるようにもう一度聞き直した。
「まさか……母さんに?」
「うん。作っておいた夜ご飯、勝手に食べられちゃったの。紙に『これは私の夜ご飯』って書いておかなかった華弥がいけないんだって言われた」
「嘘だろ……。本当に血が繋がってる母親?」
「私のママは厳しすぎるんだよ。悪魔みたいな性格なの」
今まで隠してきた事実がすらすらと口から飛び出してしまうが、もう和華子について話してもいいと考えた。
「昔からテストは全教科一〇〇点、運動会では全種目一位、学校中の人気者になれって常に最高じゃないと気が済まない。できなかったらしつこく怒鳴って縛り付けて……。どれだけ傷つけられたか覚えてないよ」
暗くて顔がよく見えないが、悠は衝撃を受けていると感じた。
「俺の親も厳しかったけど、そこまで酷くはなかったぞ」
両親と喧嘩ばかりしているのが嫌で悠は寮生活を選んだ。将来の夢を叶えるために地獄から逃げたのだ。華弥も立ち止まるのではなく逃げればよかったが、もう今は遅い。
「やっていいのは勉強だけ。だから友だちのママが優しいと嫉妬しちゃう。仲がいい子を妬むなんて辛いし、自分がすごく汚い生き物だって悲しくなるよ。ママがいなかったらって毎日願ってるんだ」
胸の中の想いを一気に吐いた。泉にも話したことがないことも全てばらしてしまった。悠は黙ったまま固まっている。恐らく華弥の過去がこんなにも残酷だったとは想像していなかったからだろう。
「どうしたらいいんだろう。死ぬまでママに苦しめられていくのかな。みんなが好きな人と恋愛をして結婚して幸せになっていくのを羨ましがることしかできないのかな……」
ぽろりと涙が流れるのと同時に足から力が抜けたが、悠はぐっと肩を掴み支えてくれた。
「大丈夫だよ。そんな人生あるわけねえよ」
「本当? いつかママと離れて自由になれる時が来るのかな?」
だんだん声が弱弱しく掠れていく。返す言葉が見つからないようで、また悠は固まっていた。
窓の外が完全に真夜中の色に変わり、気味が悪いほど静かだ。しばらく二人とも俯いて座っていた。
「……閑古屋に住もうかな、私」
そっと呟き、ため息を吐いた。ここは和華子が絶対に入れない唯一の場所だ。悠のように距離を遠ざけるには閑古屋で生活するしか方法はない。
「無理だろ。金はどうするんだ? 学校は? 飯は? もし母さんにばれたら? 問題大アリだぞ」
「じゃあ悪魔に痛めつけられながら、ずっと地獄にいろって言うの?」
むきになって言い返し、何をいらついているんだと後悔した。悠と争っても意味がないのだ。
「ごめん。でもそれくらい悩んでるの。何年間も」
肇が消えてからよく七年間も耐えてこれた。倒れそうになっても心が折れそうになっても踏ん張って、光の届かない長いトンネルを灯りを持たずに歩いてきた。
悠がそっと指に触れた。どきりと鼓動が速くなり顔を見つめた。もう目が慣れて、だいたいの表情はわかる。
「もし華弥が閑古屋に住むなら、俺も寮から出て一緒に暮らす。さっきも言ったけど女が一人でいたら危ないからな」
「私のこと護ってくれるの?」
驚いて聞くと誓いの言葉が返ってきた。
「当たり前だろ。命をかけても護るよ。大事な女神様なんだから」
魔法にかけられたように安心感で胸がいっぱいになった。無意識に目を閉じゆっくりと眠りに落ちていった。




