二十羽
まず最初に作りたい映画のジャンルは恋愛らしい。レジカウンターの椅子に並んで座り、もっと詳しく悠の想いを聞いた。
「本当はバトルとかアクションとかがいいんだけどなあ……」
「私は恋愛もの好きだよ。恋物語が作れるのって素敵だと思う。始めから無茶はだめだよ」
カウンターの上に肘をつき、ふう、とため息を吐きながら悠は頷いた。
「そうだよな。女神様の言う通りだ」
変な気分になるので女神様と呼ばれたくなかったが、余計なことを話して不快にさせたくないので黙った。他人から将来の夢を馬鹿にされ笑われ続け自信を失くしていたが、華弥に信じると言ってもらえたのがとても嬉しいのだと伝わった。
「恋愛ものは主人公も相手役も綺麗じゃないと、ストーリーがよくても残念な結果になるよ」
すると悠は泉と同じく尊敬の眼差しを向けてきた。
「俺より華弥の方が恋愛得意なんだな。ストーリー作り、手伝ってくれるか?」
うん、と大きく頷いた。マンガも小説も読んだことがないが少しは役に立ちたい。
「素敵な恋愛物語にしよう。周りの人たちに見せびらかそうよ」
わくわくして、ふふっと笑みがこぼれた。すぐに悠が目を見開いた。
「あっ、笑った」
「えっ?」
戸惑って華弥も目を丸くした。なぜ驚いているのか意味がわからない。
「ようやく笑った。ずっと、いつ笑うのかなあって待ってたんだよ。泣いたり怒ったりはするけど、全然笑わないから」
そういえば肇がいなくなってから一度も笑顔を作っていなかった。和華子はもちろん泉といる時も無表情だった。七年間も笑っていなかったのだ。
「華弥って演技してるように見えるんだよな。自分の気持ちを無理矢理押し込んで我慢してるって感じ。誰かに操られてる人形みたいなんだよ」
目から鱗が落ちた。また不思議な力を使って、気付かなかった想いを言い当てた。
「演技して生きていくなんて楽しくないだろ。俺の前では自然なままでいろよ。素の華弥と一緒にいたい。本当の華弥が知りたい」
瞼に涙が溢れた。やっと自分を救ってくれる人が現れたのだ。
「だからどうして泣くんだよ」
「だって、初めてなんだもん。こういうこと言ってもらったの……」
毎日和華子に怒鳴られ泉に嫉妬して苦しくて辛い日々を過ごしてきた。それがついに解放されたのだ。肇も優しかったが、これほど心を軽くしてくれたのは悠だけだ。
「やっぱり悠は神様なんだね」
呟くと、ぎゅっと手を握られた。驚いたが華弥もそのまま握り返した。暖かくて柔らかい悠の手は、とてつもなく心地よかった。
「ありがとう。私すっごく幸せだよ……」
涙は止まり、もう一度笑みがこぼれた。
「閑古屋に入れるのは、俺と華弥だけだからな」
そっと囁かれて、小さく頷いた。
「わかってる。誰にも教えたりしない」
「約束だからな」
手の力がさらに強くなる。ずっとこうしていたい。ここにいれば悪魔から逃れられるし壊れた心を癒せる。
初めて出会った時から華弥は変わっていた。自分の気持ちを口ではっきりと伝えたり、大声で泣いたり本気で怒ったり「人形」から「人間」になっていた。あの夜大雨が降らなかったら、降ったとしても和華子が傘を届けに来ていたら、閑古屋も知らず神様にも会えず、死ぬまで冷たい表情しかできなかっただろう。そして悠も自信を失くし映画監督になりたいという夢を捨て、やりたくもない仕事でつまらない人生を送っていたはずだ。
「俺もすっごく幸せ……」
悠の優しい言葉が耳に入り眠気が一気に襲ってきた。ゆっくりと俯き目を閉じた。
「……女優になってくれないか?」
はっと頭を上げ悠の目を見つめた。まさかという衝撃で冷や汗が額に滲んだ。
「女優? 私が?」
「俺の映画の主人公になってほしいんだ。母さんに関わったことじゃないし、ぜひとも華弥に演じてもらいたい」
何と答えたらいいのか迷い、慌てて首を横に振った。
「いきなり決められないよ。そんな……女優なんて……」
「華弥がやりやすいようにするよ。だめかな」
悠は本気のようだが華弥は絶対に無理だと考えていた。
「できないならはっきりと答えていいんだ」
悠の夢が叶うなら何だってやると決心したし、幸せを与えてくれた悠を落胆させたくない。断って残念な表情の悠を見たくない。
「返事いつまでも待ってるから」
どきりと心臓が跳ねた。悠の口調も微かに震えていた。
「……うん……」
曖昧に頷くとそっと横を向いた。悠の顔を真っ直ぐ見返すことができなかった。




