二羽
和華子が華弥を女子校に入学させたのは、勉強に集中させるためだと思っている。高校の入学式が終わると、和華子はきつい口調で話しかけてきた。
「男の子って、みんな変なことを考えているのよ。近づいてきたらすぐに逃げなさい。真面目そうな男の子だって、心の奥にはいやらしい気持ちがあるんだから。もし付き合うなら、必ずママに紹介するのよ」
「どうしてママに紹介しなきゃいけないの? 私の人生なんだから、ママは入ってこないでよ」
言い返すと、和華子は鋭い目つきで睨んできた。
「華弥を産んだのはママなのよ。ママがいなかったら華弥は産まれてこなかったのよ」
華弥も同じように睨みつけると、和華子は驚いた表情に変わった。
「何よ、その目。母親にそんな目を向けるなんて……」
「だってママがしつこいんだもん」
「しつこい?」
さらに和華子は目を開き、低い声を出した。
「ママは華弥が幸せになれるように、毎日頑張っているのに……。しつこいなんて、信じられない……」
嘘つき、と華弥は心の中で呟いた。ほとんど家に帰らず、ほったらかしにしているくせに。この女のせいで、不幸な日々を送っているのに。
「もういい加減にして。私に話しかけないで」
部屋に逃げ込もうとしたが、手首を掴まれてしまった。
「約束だからね。勝手に男の子と付き合ったりしたら、ママ許さないから」
「放してよ。痛い」
わかった、とは絶対に答えたくない。もし答えたら恋愛ができなくなる。連れてきた恋人を見て、和華子が首を縦に振る可能性はほとんどないだろう。思い切り腕を振り払い、さっさとその場から逃げた。
そのやり取りは、一年以上経った今でも鮮明に蘇る。夕食をとっている時にふと頭に浮かんでしまい、一気に食欲がなくなった。まだかなり食べ物は残っていたが、全てゴミ箱に捨てた。部屋のベッドに横たわると現実逃避するために目を閉じた。しかし睡魔は一向に現れてくれないので、仕方なくゆっくりと起き上がり窓の外を眺めた。
この暗い世界のどこかに、神様がいる。一体どこにいるのだろう。探そうとしても見つからないのはわかっている。
そして和華子は、なぜ娘にあんな言葉をぶつけてくるのか。まさか和華子が邪魔をして、一生独身のまま生きていくのか。女としてそれはあまりにも酷なことだ。泉の母親はとても優しくて、子供のためなら何だってしてくれるはずだ。実際に会ったことはないが、きっとそうに違いない。好きな男の子と付き合ってもいいし、友だちと遊んでも怒ったりしない。
「パパ……。会いたい……」
今すぐここから飛び出してしまいたい。だがそれから一人で生活する術がない。路頭に迷い、結局ここに戻って来るだけだ。和華子に束縛され続けていくしかないのだ。
ベッドの横に置いてある鞄から携帯を出し、泉の電話番号を押した。少しでもこの暗い気持ちを和らげたかった。
すぐに「はい」という泉の声が聞こえた。テレビ番組の音も微かに耳に入った。
「ごめん。……何か心細くなっちゃって……」
「心細くなった?」
「うん。あの、ママのことで」
「ああ……お母さんね。どうしたの? 喧嘩でもした?」
泉は華弥と和華子の仲が悪いのを知っているし、和華子がどんな親なのかも知っている。
「喧嘩じゃないよ。ママ、帰ってきてないし」
「そっか……。完全にほったらかしにしておいて、あれだめこれだめだもんね。あたしだったら耐えられない。自分の人生なんだから、いちいち口出しするなって言い返してやりたいよね」
すでに言い返してるよ、と胸の中で伝えた。何度もいろんな方法で反抗してきたが、どれも失敗に終わっている。どうして和華子に勝てないのか。
「泉なら、どうする?」
「えっ」
質問されるとは思っていなかったらしく、泉は驚いた声になった。
「どうするって?」
「だから、こんなに厳しくされたら、泉はどうやって過ごす?」
一人で解決できない時は他人に相談するしかない。そして相談できる人は泉しかいない。だが残念なことに泉の返事は、華弥が望んでいたものではなかった。
「そんなの、あたしに聞かないでよ」
「……じゃあ、彼氏作っちゃいけないって言われたら……」
「悪いけど、あたし宿題してるんだ。また明日ね」
華弥の言葉を遮り、泉は一方的に電話を切った。基本的に泉は友人にノートを見せてもらい、家では宿題をしない。恐らく今もテレビを観たりしているはずだ。華弥の悩みに付き合うのが面倒くさいのだ。
たった一つの頼りになる光が消えてしまった。携帯を開いたまま鞄にしまい、力が抜けたようにベッドに横たわった。