十九羽
朝食を食べながら、悠は将来の夢を語った。
「俺が目指してるのは映画監督。子供の頃から映画鑑賞が趣味で、いつか作ってみたいって考えててさ」
好きなものまで一緒だったとは。本当にどこかで繋がっているのかもしれない。
「私も映画鑑賞が趣味なの。神様が映画を与えてくれた。映画がなかったら、私死んでた」
「死にはしないと思うけど……。趣味も同じとはすごいな」
うん、と大きく頷いたが、なぜか悠の表情は沈んでいた。
「……馬鹿みたいだろ。映画監督になんかなれるわけないのに」
あまりにも意外な言葉で少し驚いた。暗い口調のまま悠は続けた。
「親には普通のサラリーマンとして働けって猛反対されて、学校の奴ら全員から笑われたよ。お前が映画監督になれるなら世の中の人間みんな映画監督になれるって」
「えっ」
胸の中に怒りが生まれ、沸々と大きくなっていく。人気者どころか、まるでいじめられているようではないか。
「まあ仕方がないよ。俺だって馬鹿だなってわかってるし。高校卒業したら実家に戻って普通の仕事しようって決めてる」
それは絶対に避けたい。悠が実家に帰ってしまったら離れ離れになってしまう。
「だめだよ。周りの人たちなんかどうだっていいじゃない」
「勉強だってしてないし経験もゼロだし金もないし協力してくれる仲間もいないんだぞ。無理だろ」
「最初はみんなそうだよ。そこから努力して有名になるんだよ。これからどれだけ生きていくの? 映画監督になるための時間は充分あるのにもったいないよ。私は悠に夢を諦めてほしくない。一度きりの人生を無駄に過ごすなんて嫌じゃない」
無意識に悠の手を握っていた。どこにも行かないようにするためだ。
「私は悠が映画監督になれるって信じるよ。夢が叶うなら何だってする」
はっきりと言い切ると悠は俯いた。傷つけてしまったのかと不安になったがすぐに顔を上げた。
「華弥に怒られるとは考えてなかった。そうだよな。俺って本当に馬鹿だ……」
「落ち込むのもいけないよ。弱気になってる悠なんか見たくないよ」
そっと悠も手を握り返し、どきどきと鼓動が速くなる。
「今まで、できるわけないとしか言ってもらえなかったから感動してる。ありがとな」
にっこりと穏やかな笑顔に変わった悠を見つめながら、ほっと安堵の息を吐いた。
「俺が華弥の神様なら、華弥は俺の女神様だ。華弥がとなりにいてくれると嫌な気持ちも吹っ飛ぶし安心する。夢が叶うまでそばにいてほしい」
もうただの友人とは呼べなくなっていた。やはりあの大雨の夜は華弥だけではなく悠にとってもありがたいものだったのだ。小さく頷くと握っていた手が放れた。
悠が鞄から例のノートを取り出したので、すかさず華弥は聞いた。
「それ、何が書いてあるの? 読めないんだけど」
じろりという目つきで悠は答えた。
「勝手に人の大事なものを見たらいけないんだぞ」
「でも悠だってスカートめくったじゃない。あっちの方が罪が重いよ」
むっとして言い返すと、からかうように笑った。
「まあいいや。華弥は特別だ。映画っていってもストーリーがないとだめだろ。だからいろいろとネタ集めたり、実際に物語作りの練習してるんだよ。小説書いてるみたいな。俺が読んでたのは小説じゃなくてマンガなんだけど」
羨ましいという想いが溢れた。華弥はマンガも小説も知らない。和華子が買ってくれないからだ。中学二年生の頃、人気の少女マンガが実写ドラマ化した。クラスメイトたちは全員マンガを持っていて、華弥も興味がわき読んでみたくなった。お小遣いはもらっていないので手に入れるには和華子に頼るしかなかった。和華子の機嫌がよくなるのは風呂上がりなので、その時に話してみようと決めた。
「気持ちよかったわあ。仕事の疲れ、全部流れていったわ」
穏やかな和華子の顔色を伺いながら小声で切り出した。
「ママ、私ね、欲しいものがあるの」
「欲しいもの?」
「うん。最近ドラマ化したマンガ。学校で流行ってて、面白いっていうから私も見てみたいなって」
和華子はきつく睨みつけ、いつものように冷たいナイフを飛ばした。
「ママに買ってこいって言うの? 仕事で疲れてるのに」
「……今お風呂に入って、疲れが流れていったって言ってたじゃない……」
華弥を無視してソファに座り、テレビの電源をつけた。
「お金をくれたら自分で買ってくるし、一冊でいいんだ。ねえ、ママ……」
掠れた声でお願いをしたが、バラエティー番組を観て笑っている。取り付く島もない。やはりだめなのかと残念で悲しかったが予想通りだとも思っていた。
その数日後、勉強中の華弥に和華子が紙袋を渡しにきた。
「欲しいって言ってたもの、買ってきたわよ」
「えっ? 本当?」
嬉しくて堪らず急いで紙袋を開け、本のタイトルを見て愕然とした。『マンガで読む日本史』と書かれていた。
「確かに文字より絵の方がわかりやすいわよね。この間の日本史のテスト酷い点数だったから日本史にしたのよ」
酷い点数といっても間違えたのは一問で、教師には「よくできました」と褒められたしクラスメイトたちには「いつもすごいね」と尊敬された。和華子だけが認めないのだ。一〇〇点をとったとしても「頑張った」と言うわけでもなく、「授業を受けていれば一〇〇点は当たり前なの。次も一〇〇点じゃなかったら許さないからね」と叱られるだけだ。
「こんなものいらない!」
泣きながら本を床に叩きつけると、和華子は鋭い目を向けた。
「せっかく買ってきたのにその態度は何よ。ありがとうとか言えないの?」
「私が欲しかったのは少女マンガって言ったでしょ! こんなんじゃない! 新しく買い直してよ……」
土下座をするようにしゃがみ込んだ。さらに和華子は凍り付いた言葉を投げてきた。
「一冊って約束でしょ。少女マンガなんかゴミよ。華弥には必要ないの」
その時一瞬、胸の中に殺意が生まれた。この悪魔から逃れるには自分で息の根を止めるしかない。ごくりと唾を飲み込んだが勇気が出せなかった。
翌日ゴミ捨て場に本を捨てた。もし和華子に聞かれたら、全部読んだからクラスメイトにあげたと嘘をつけばいい。
「おい、華弥、どうした」
悠に肩を揺すられて嫌な過去の出来事は一気に消え去った。
「大丈夫か? 呼んでも返事がないから……」
「ごめん。何でも……何でもない……」
悠に心配をかけて申し訳なくなった。この閑古屋にいる時は悪魔の存在は忘れようと決めた。




