十三羽
ビデオ屋のレジカウンターに並んで座った。椅子が二つあってよかった、と華弥も悠も安心した。
「そんなちょっとじゃ足りねえだろ。これも食えよ」
どんどん食べ物を渡され、華弥は戸惑った。
「お腹空いてないの。こんなにいらないよ」
「でもココツ……」
「骨粗鬆症ね」
遮って華弥が言うと、悠は目を丸くした。
「コツソショウショウ?」
「そう。ココツは間違いだよ。骨粗鬆症だよ」
悠はもう一度目を大きくしてから、ははは……と恥ずかしそうに苦笑した。
「あれ? 学校ではココツって聞いたんだけどな……。間違えてるなら、この前教えてくれればよかったのに」
「あの時は泣いちゃって、そんな気分にならなかったの。それに私も言い間違えてたし、どういう病気なのかも知らなかったし」
悠の気持ちを考えて嘘をついた。自分だけではなくみんなも間違えているとわかるとほっとするものだ。
「そういえば大泣きしてたけど、一体何があったんだよ。あんなに泣くなんて相当酷い目に遭ったってことだよな?」
食欲が急激に減り始めた。いろいろな答えを探したが、どれも和華子の名前が入ってしまう。
「別に……。どうでもいいの」
「どうでもいいってレベルじゃないぞ、あれは。それとも俺が友人じゃないから話せないのか?」
友人であってもなくても涙の理由は秘密だ。黙ったまま横を向き俯いた。
「華弥の母さんってどんな仕事してんだ?」
はっと顔を上げた。質問の内容が和華子に移り、緊張の糸が体にまとわりついた。とりあえず職業くらいは話しても問題はないだろう。
「……ファッションデザイナーだよ。昔からの夢で、専門学校にも通ってたし。ずっとやりたかった仕事なんだって」
「へえ……。だから家事もろくにしないのか」
少し尖った口調だった。華弥もそう感じるが、一応母親なのだから言い返さなくてはいけない。
「ろくにって……。ママは毎日忙しくしてて疲れてるの。だから代わりに私がやってるってだけで、暇な時はきちんと家事するよ」
「そうか? 俺は、ただ面倒くさいから華弥に押し付けてるように見えるんだけど」
「えっ……」
予想していないことだった。悠は、驚いて固まった華弥を指差しながらさらに続けた。
「疲れてる疲れてるって言ってるけど、華弥だって学校で疲れてるだろ。やりたくもない勉強を無理矢理やらされてる。その点母さんはやりたいこと好きなだけやってるんだぞ。やりたいことで疲れるのとやりたくないことで疲れるのって、だいぶ違うと思うけどな」
手足が震え、心の中にざわざわとノイズが走っていた。
「でも……でも、私はママを休ませなきゃだめだから……」
「俺が華弥の家庭にああだこうだ言っても仕方ないからな。勉強で疲れた体に鞭打って生きて行けばいいよ。自分の人生は自分で作るものだからな」
まるで心を見透かしているように感じた。華弥の想いに気が付いている。
悠がゴミの入ったビニール袋を持って立ち上がった。そしてガラス戸に向かって歩く。
「ちょっと待って。どこに行くの?」
「帰るんだよ。こんなに真っ暗だぞ。早く帰らないといろいろ面倒なんでね」
あまりにも素っ気ない態度に動揺した。先ほどとは全く違う声で冷や汗が噴出した。
「じゃ、じゃあ私も……」
言い終わらないうちにガラス戸が閉じる音が聞こえた。急いで外に出たが、すでに悠の姿は消えていた。
しばらくビデオ屋の前で立ち尽くした。悠の言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いている。将来家事ができないのは困るからではなく、単に面倒だから丸投げしていたのか。確かにあの和華子なら考えられる。そして華弥と和華子の疲れ方の違いも衝撃的だ。疲れるといっても、念願のファッションデザイナーになれたのだからそれほど辛くはないはずだ。しかし華弥はしつこい教師に注意されたり、優しい母を持つ泉を妬んだりと嫌な思いばかりしている。それでいて家でも和華子のご機嫌取りをして家事もして休まる余裕がない。自分でさえも気付かなかったのに、なぜ悠にはわかったのだろう。
周りがしんと静まり返り、華弥もマンションに戻ることにした。悠の過ごしている寮を探してみようかと考えたが無駄だとすぐにやめた。
部屋のドアを開けベッドに横たわり、大きく伸びをした。別れ方はよくないが、少しは前進した。
今まで出会った人はたくさんいるが悠は何か違う。不思議な力を持っていて、それで華弥は動いている。ふと起き上がり机の引き出しからメモ帳を取り出すと、ペンで『悠崎雅人』と書き指でなぞった。しかしすぐに悠とこれ以上近づいてはいけないと自分に言い聞かせた。もし和華子にばれた場合、悠にも被害が飛ぶのは絶対に避けたい。
突然、泉の声が耳の奥から聞こえた。まだ十七歳なんだよ、諦めちゃだめだよ……。
「……諦めちゃ……だめ……」
諦めてしまったら、息苦しい生活に戻ってしまう。だがどうすればいいのか方法が見つからない。もう一度ベッドに横たわり、とりあえず今は眠ろうと決めた。




