十二羽
「ねえ、華弥、何かいいことあったでしょ」
翌朝、教室に入ると泉がおはようの代わりに聞いてきた。
「いいこと?」
「うん。だって、いつもより顔色めっちゃ明るいもん」
すぐに悠と出会ったからだと気付いたが、泉に悠の存在を知られたくなかった。
「ママが、また仕事が忙しくなって帰らなくなったことかな」
「えっ、そうなの? よかったじゃん」
泉もほっとした表情になった。他人の泉にまで影響するほど、和華子の魔力は強い。
「ごめんね。私、頭おかしくなってた。ママに怒られるのが宿命とか変なこと考えてた。諦めちゃだめだよね」
華弥が謝ると泉はにっこりと笑顔になった。
「そうだよ。あたしたちまだ十七歳なんだよ? 始まったばっかりじゃん。暗くなり過ぎだよ」
改めて泉と友人になってよかったと感じた。妬んでしまうが本当は仲がいい二人なのだ。
「もう落ち込んだりしない。励ましてくれてありがとう」
「いいんだよ。友だちなんだから」
友だちという言葉が胸に響いた。困った時や悩んでいる時頼りになるのが友人だとしたら、悠は華弥にとってどういう関係になるのだろう。
「お母さんと会わなくて済んで安心だね。テストで怒られたりもしないし」
「あっ、そ、そうだね」
悠を頭に浮かべるとなぜかぼんやりしてしまう。実際に本人がいる場合は、さらに気持ちがふわふわとどこかへ飛んでいく。首を横に振りしっかりと体に力を込めた。
学校帰りにビデオ屋に寄ろうかと迷ったが、五時半を過ぎていたので我慢した。いつもあそこに行っていたら、もし取り壊された時に酷い傷を負うだろう。そして何よりも悠と仲良くなり過ぎて、それが和華子にばれたらどれほど痛めつけられるか怖かった。
コンビニで夕食用のおかずなどを選んでいると、以前悠が買ってきたおにぎりやサンドイッチが置いてあった。ただのコンビニの商品なのにとてもおいしく感じられたのが不思議だ。肇が消えてから七年の間、一緒に食事をしたのはほとんど和華子で、その他は一人きりだった。誰かに何かを与えてもらったりしたのも初めてかもしれない。幼い頃、両親におもちゃなどをプレゼントされた子が羨ましくて仕方がなかった。誕生日でもクリスマスでも和華子は華弥のためにお金を使っていない。遊園地にも連れて行ってくれない上に、雨が降って家に帰れない時も傘を持ってきたりせず、幼稚園などの迎えに来るのは全て肇だった。「華弥ちゃんにはママがいないの?」と同い年の子に聞かれたりもした。
「ねえ、いつもママは何してるの? どうして私を迎えに来ないの? 授業参観だって来ないし」
小学三年生の時に、こっそりと肇に質問してみた。苦笑をしながら肇は短く答えた。
「ママは仕事をしているから忙しいんだよ」
「だけどパパも会社に行ってるよ? パパの方が忙しいでしょ?」
「ママはご飯を作ったり、家の中でも働いているだろう。いつか華弥も大きくなってママになった時に大変なのかわかるよ」
結局そこで口を閉じたが釈然としなかった。和華子を庇っている感じがするが、なぜ庇うのだろうか。それから間もなく肇は姿を見せなくなった。答えを知っている人間が消えてしまい、未だにもやもやと胸に残っている。
「華弥」
後ろから声をかけられ勢いよく振り返ると悠が立っていた。まさかこんなところで会うとは思っていなかった。
「学校の帰りか。偶然だな」
いつもの私服ではなくきちんとネクタイをしめている制服姿がかっこよかった。背が高いからか大人っぽく見える。照れて頬が赤くなってしまうのを隠すために目を逸らした。
「今日は母さんはいないんだな」
驚いて持っていた商品を床に落としそうになった。
「ど、どうしてわかったの?」
「もう五時半過ぎてるのにコンビニに寄ってたら、夜ご飯作る時間がなくなるだろ」
確かにその通りだ。きちんと華弥の話を聞いてくれているのだとわかって嬉しくなった。
「あのビデオ屋で、また一緒に食わねえか? 俺もう腹ペコペコなんだよ。せっかく会ったのに別れるなんてもったいねえよ」
心臓が大きく跳ねた。ぜひともそうさせてもらいたいが、しっかりと頷けない。戸惑っていると悠が鞄から財布を取り出し慌てて手を横に振った。
「いいよ。自分で払うから……」
しかし悠は真剣な目でじっと見つめてきた。
「こういう時は男が全部出すのが普通なんだよ。一〇〇円や二〇〇円くらいどうってことねえよ。少しはかっこつけさせろ」
力強い口調だった。こちらが恥ずかしくなるような言葉で、どきどきと鼓動が速くなる。華弥は男子と付き合った経験がないので、その「普通」を知らないのだ。
「うん……。わかった……」
「よし、じゃあ好きなもの選べ。絶対に遠慮だけはするなよ」
そうはいっても、やはりたくさん金を使わせるのは気が引ける。まだ悠とは赤の他人以上友人未満の関係なのだ。




