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十一羽

 ビデオ屋の床にぼんやり座っていると、五時の鐘がうっすらと聞こえた。

「あっ、もうこんな時間か」

 悠が呟いたので華弥も我に返った。もう帰らなければいけないのか。まだここにいたいという気持ちがいっぱいだったが、華弥の住む場所はあの息苦しいマンションなのだ。仕方なく立ち上がると、肩をぽんと軽く叩かれた。

「明日も来るのか?」

 質問されると思っていなかったので目を丸くしたがすぐに答えた。

「学校があるから無理だよ。ママだっているし……」

 悠は少し首を傾げてさらに聞いてきた。

「どうして母さんがいると来れないんだよ? 別にいいじゃん」

 和華子がどういう母親なのかばれてしまいそうになり緊張したが、動揺を隠してもう一度口を開いた。

「私、夜ご飯作らなきゃいけないから」

「えっ? お前の母さんは料理が作れないのか?」

「作れるよ。でも毎日仕事で疲れてるからだめなの」

 将来家事ができないと困ると和華子が言ってきたのは、華弥が中学生になってすぐだ。勉強が難しくなり宿題の量も増えただけでも大変なのに、突然家事まで任されるようになってしまった。

「いきなり決めないでよ。私の身にもなってよ」

 反論したが完全にスルーだ。翌日から和華子は家事をしなくなった。教わったこともないので全て独学だ。暇がなく水しか飲めない日も多かった。和華子は仕事仲間と外食をして空腹を免れられたが、華弥はお小遣いをもらっていないので自分で作るしか方法がなかった。

「そういうわけだから。あなたは来るの?」

「あなたじゃなくて悠だろ」

「あっ、ごめん……」

 ほんのりと頬が赤くなるが、もう恥ずかしいという気持ちはあまりない。

「俺もわかんねえなあ……。学校が早く終わったら来るかも」

 そういえば悠は寮生活をしているのを思い出した。つまり親と離れて暮らしているという意味だ。和華子とほんの少しでも距離が遠くなったら、どれほど楽だろう。

「悠は、寮にいて寂しいなあとか、親に会いたいなとか考えたりする?」

 きっと悠も泉と同じく両親に愛されて育ってきたはずだ。優しい父親と母親と共に幸せな日々を過ごしたから、こうして穏やかに笑えるのだろう。

 しかし悠は頷かず、口を閉じて真っ直ぐ眼差しを向けた。視線で何かを伝えていると気が付いたが、もちろんわからない。戸惑って俯くと、くぐもった声が飛んできた。

「もうそろそろ帰った方がいいんじゃねえのか」

 顔を上げて窓の外を見ると、すっかり夜の色に変わっていた。

「そう……だね。でも」

「じゃあな」

 無表情のままくるりと振り返り、華弥とは逆方向の道を歩いて行った。姿が見えなくなってから華弥も足を動かした。

 マンションに明かりが灯っていないのを確認し、ほっと息を吐いた。もし和華子が先に戻っていたら、今までどこにいたのかしつこく詰問されてしまう。すぐに台所に入ると夕食の支度を始めた。

 悠は家族に会いたくないのだろうかという疑問が頭から離れない。理由を言わないのも気になる。あの時、視線で伝えたかったことは何か。まだ赤の他人以上友人未満だから答えなかったのかもしれない。

 鞄の中の携帯が鳴り、胸の中の思いが消えた。慌てて開くと、和華子からのメールだった。

『また忙しくなった。しばらくマンションには帰らないから』

「……よかった……」

 もう一度安堵の息を吐いた。しばらくどころか、二度と帰ってこないでほしい。これ以上傷つけられ魂がえぐられたら、あのビデオ屋に行く気力がなくなってしまう。

 


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