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十羽

 和華子の不機嫌な顔が頭に浮かんだ状態で学校に行くと、今日は苦手な教科のテストがあるのに気が付いた。だが真剣に受ける気はなく名前だけ書いて出した。

「一〇〇点だといいね。お母さんにも褒めてもらえるし」

 緊張した面持ちで泉が話しかけてきたが、華弥は頷かなかった。

「ママに褒められたことなんか一度もないよ。よくやったねなんてあの女は言わないよ。それに一〇〇点もとれない。白紙で出したから」

「えっ? 白紙?」

「そう。もうどうなってもいいやって」

 自分でも驚くほど冷たい口調だった。心の中がひんやりと凍っている。泉は恐ろしいものを見るように顔色を青白くした。

「やばいよ。もっと怒られるよ」

「いいの。私の宿命なんだってわかったから」

「宿命って……。変なこと考えちゃだめだよ」

「変なことじゃない。ずっとママに叱られ続けるのが私の人生なの」

「……華弥……」

 涙混じりの泉の声を聞きながら俯いてため息を吐いた。

 和華子に傷つけられるために生まれてきた。好きなこともやりたいこともできず、ストレスだらけの毎日。これからもそうして過ごし、一人で寂しく死ぬ。それが華弥の人生で宿命なのだ。

「諦めちゃだめだよ。華弥、お願いだから……」

「やめて、そういうの。すごく空しくなるから」

 くるりと振り返りその場から離れた。親に恵まれている子供の顔を見たくない。

 諦めちゃだめと言えるのは、本当の苦しみを知らないからだ。和華子という悪魔につきまとわれ、明るい未来を失った華弥の想いを変えられる人はいない。

 ふと悠崎の言葉を思い出した。悠崎は華弥と友人になるのを諦めないと言っていた。華弥と仲良くなりたいと強く考えているのだ。

 無意識にぎゅっと固く握り拳を作っていた。戦いに行くわけでもないのに、体が小刻みに震える。泉の態度はもう飽きた。新しい人の意見を聞くべきだ。

 学校が終わるとビデオ屋への道を歩いた。和華子の存在は絶対にばれてはいけない。泉に話したことを言ったら頭がおかしいと呆れられてしまう。ではどう切り出せばいいのか。

 答えが見つからないままビデオ屋に着いた。残念ながら悠崎の姿はなかったが、その代わり入ってすぐ右側にあるレジカウンターの上にノートが置いてあった。近寄って手に取りぱらぱらとめくってみると、小さな文字がびっしりと書かれていた。どのページも文字が並んでいてほとんど読めない。悠崎本人しか解けない暗号のようだ。

 ノートを閉じてカウンターに戻すと、足元に学生鞄があるのに気が付いた。しかもチャックが開いている。いけないと自分に言い聞かせても好奇心が抑えられなかった。鞄の中身を一つ一つ取り出し、カウンターにのせた。携帯、財布、教材、そして一番奥に学生手帳が入っていた。『悠崎雅人』という四文字が目に飛び込む。

「ふうん……。こういう漢字なんだ……」

 悠崎雅人。悠……。初めて出会った同い年の男子……。

「お前も随分と非常識な女だな」

 背後から声がかけられ、心臓が止まりかけた。慌てて振り向くと腕を組んだ悠崎がじっと見つめていた。

「他人の鞄の中漁るのが好きとはねえ」

「好きじゃないよ。ただチャックが開いてたから……」

「開いてなくても漁ってただろ。ばればれだぞ。金盗もうと考えてたんだろ」

「お金なんか欲しくないよ。ごめん、勝手に覗いたりして。悪気はなかったの。ちょっと気になっただけ」

 悠崎の疑う表情が少し緩んだ。目を丸くしてもう一度聞いてきた。

「気になった?」

 うん、と頷いて華弥は続けた。どきどきと胸の鼓動が速くなっていく。

「名前の漢字。どう書くのかなって」

「漢字?」

 さらに険しさが消えた。同時に華弥の冷や汗も止まった。

「どうして漢字なんか知りたいんだよ。俺とお前は」

「私の名前、お前じゃないよ」

 悠崎を遮り、華弥はしっかりとぶれない口調で言い切った。

「私の名前は華弥だよ。お前なんて呼ばないで」

 急に恥ずかしくなり顔が真っ赤に燃え始めた。なぜこんな言葉を出してしまったのか。

 悠崎はきらきらと希望に満ちた眼差しを向けてきた。さらに恥ずかしさが増えて体温が上がっていく。

「それって……」

「で、でも、まだ友人じゃないから。赤の他人以上友人未満ってことだから」

 焦って早口で付け足した。勘違いされては困る。

「何だよ。本当に連れねえなあ……」

 拗ねたように呟いたが気分が悪くなっているわけではないと感じた。

「ごめん。でも名前呼び合うくらいなら問題ないと思うから」

「問題ないって?」

 また和華子との関係をばらすところだった。いちいち気を遣わなきゃいけないのも腹立たしい。

「別に気にしないで。どうでもいいことだから」

「それならいいけど……。じゃあこれからよろしくな、華弥」

 穏やかな悠の声で胸の中が暖かくなった。肇に抱きしめられている感覚だった。


 

 

 


 

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