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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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ゴカイ

作者: にゃー


 好きな人はいるか、なんて聞かれても、愛想の悪い私はきっと答えに窮してしまうと思うけれど。

 恋い焦がれてやまない相手は、いる。



 初めて彼女と会ったのは、就職して、独り暮らしをする事になって、都会のマンションに引っ越してきたとき。 


 その日、彼女に相手をしてもらった時の衝撃たるや。ましてそれが、巷で恋だの愛だの呼ばれてるやつなんだって自覚した日には。

 遂に自分の頭がおかしくなったのかと思った。思ったというか、実際、彼女と出会ったせいで私の頭は何処かが壊れてしまったのは間違いない。



 彼女はあまり、口数が多い方ではない。

 指で触れたりしたら反応を見せるし、会うときと別れるときに、いつもお決まりの台詞を投げかけても来る。でも、饒舌というわけでは決してないだろう。


 でもその一方で、彼女はとても博識だ。

 時を共にするわずかな間に、彼女は毎日、例えば『今日は○○の日です』なんていう事を教えてくれたりする。誰もが知っているような有名なものだけではなく、何処かのマイナーな団体が定めたのであろうナントカ記念日みたいなやつまで、彼女は恐らくそのほとんどを網羅している。

 職場の同僚との会話中にうっかり「2月14日?ああ、煮干しの日ね」なんて言って変な目で見られたのは、恐らく彼女のせいだ。


 とにかく、一体どこで仕入れてきたのだろうか、なんていう雑学を、彼女は毎日毎日教えてくれる。

 


 じゃあ、そんな彼女と私の関係は、実際どうなのかという話。

 まあ正直お世辞にも、良好な間柄です、とは言い難いと思う。というか、悪い。


 彼女は毎日、恐らく昼夜を問わず、いろいろな人を相手取っている。時には、複数人を同時に捌く事もあるだろう。私はそれが嫌だから、なるべく他の人と鉢合わせないタイミングを選んで、彼女に会いに行っているのだけれど。


 当然ながら、あまりいい気はしない。彼女には私だけを見て欲しい。私だけの彼女であって欲しい。そう考えるのは至極当たり前だと思うのだけれど。でも、それがいわゆる叶わぬ願い、というやつなのは、これもまた当たり前の事。


 ここらに住む人達はみんな、きっともう彼女なしでは生きていけないだろう。それほどまでに、彼ら彼女らにとって、彼女はなくてはならない存在なのだ。そもそも、彼女の役割自体が、まさしくそうあるべきものでもある。

 彼女は誰からも求められ、そしてそれをすべからく受け入れる。それが彼女の役割で、必要とされる理由。


 私ほど彼女の事を思っている人は、他にはいないのに。


 なくてはならない、なんてものじゃない。朝、彼女に会わなければ仕事に行く事もままならず、夕方も彼女の声を聴かなければ、マンションの自室に帰る事すら叶わない。

 それほどまでに、私は彼女に依存してしまっているというのに。


 なのに彼女は、私以外の人も平気で受け入れる。何の躊躇も呵責もなく、自身が捌ききれる限界まで、老若も男女も問わず。

 きっと、そんな彼女にとっては私も、私以外の「お客様」と同じ存在で。こちらだけが一方的に彼女に恋い焦がれているのだという事くらいは、私にだって分かる。


 それが堪らなく悔しくて、憎らしい。

 だから私は、2人きりになれるわずかな時間のうちに、彼女への不平不満をぶちまけてしまう。


 私を受け入れる時のお決まりの台詞も、どこか得意げに伝えてくる雑学の類なんかも、どうせ、私以外の人にも同じ事をしてるんでしょう、と。イヤミったらしく返してしまう。そんな事、彼女にぶつけてもしょうがないのに。それが彼女の役割だというのに。


 子供のように駄々をこね、彼女にあたる私を誰かが目にしていたらきっと、いや間違いなく、それはそれは面倒な人を見るような目で見られてしまう事だろう。


 そもそも、彼女にそういう感情を抱いている事自体が、おそらく誰にも理解されない、おかしな事なのだけれど。それでも私は、彼女へのこの気持ちを捨てきれずに、毎日彼女に毒を吐く。身勝手な悪意を、ぶつけてしまう。

 不平も不満も言わずに私の文句を一身に受け続けた彼女は、いつもただ一言だけ、別れ際に『ゴカイでございます』って釈明しようとして。

 後に続く言葉に、自身の欲しているものがないって知っている私は、その呼びかけを無視して彼女から離れていくのだ。


 知った事か。どうせ彼女は独りでは、誰かを引き留める事も、ましてや誰かを拒む事すらも、出来やしないのだから。


 こんな私に対しても、嫌がるそぶりは一切見せずに仕事をこなすというのだから、彼女は相当な真面目ちゃんなのだろう。

 彼女に情動をぶちまける私と、しょうもない豆知識なんかを交えつつ役割をこなす彼女。

 私達が良好な関係を築けているだなんて、口が裂けても言える事じゃない。



 なんで、彼女なのだろう。

 なんて事は、もう飽きるほど考えた。考え尽した。案の定、答えなんて出るはずもなかった。


 彼女に似たような奴らとは、これまでも嫌というほど出会ってきたし、そいつらと彼女で、何が違うのかなんて、私にだって分かりはしない。

 けれども、今まで見てきた幾百幾千もの似たもの達とは比べ物にならないくらい、そいつらがいくら束になったって及びもつかないくらい、彼女という存在は私の心を捉えて離さない。

 端から見たらきっと違いなんて分からない。実際に、大した違いなんてあるはずがないのに。どうして彼女だけが、私の中で、ここまで大きな存在になってしまったのだろうか。


 嫌われたっていい。怖がられたっていい。好きとか嫌いとかもなく、どうでもいい「その他大勢」の1人であったって構わない。なんだっていい。

 どうせ彼女は私からは逃げられず、私を拒む事も出来ないのだ。ただ私は、いつか彼女の事を何とも思わなくなる日が来るまで、毎日毎日彼女に文句を言い続けるだけ。


 どう足掻いたってハッピーエンドにはなり得ないんだから。このまま私が満足するまで、彼女との、正常さも健全さも、幸福も生産性も心の通じ合いも、何もかもがない関係を。一方的に、続けさせてもらったって、いいでしょう?



 さあ、今日も今日とて、私の前にくたびれたおじさんの相手をしていた彼女に、ありったけの愛憎をぶちまけてから。

 誰もいない、マンションの一室に帰ろうかな。



 前の人の事なんかおくびにも出さず、いつもの調子で私を迎え入れる彼女。朝ぶりの彼女。

 今日という1日のうちの、ほんの僅かな、彼女と共にいられる時間。けれども私はそれを、淡々と毒を吐く事にのみ、費やす。


 時間はあっという間に過ぎていく。


 彼女との触れ合いの最後に訪れる、一瞬の浮遊感。くすぐったいような、何とも言えない、1人では決して味わうことのないあの感覚。

 それが、彼女との別れの合図。


 私に、こんなにも名残惜しさを感じさせておきながら、彼女は自分の役割を滞りなく遂行しようとする。

 それはいつもの事なのだけれど、それでもやっぱり気に入らなくて、人様にはとても聞かせられないような事を言ってしまうあたり、私は本当にろくでもない性格をしているのだろう。



 私の最後の言葉を受けた彼女の、唯一の釈明。

 釈明のように聞こえる事すらもきっと、都合のいい私の願望。


 それはさよならの代わりの、いつもと一文字たりとも変わらない台詞。


 その言葉と共に、ドアが開く。




『五階でございます。ドアが開きます』 




 エレベーターに恋するなんて、ほんと、頭がおかしいとしか言いようがない。




 ◆ ◆ ◆




 エレベーターの音声案内は、録音されたもの?


 それとも、合成された機械音声?


 それが、状況に合わせて再生されているだけ?



 パネルに映し出されるとりとめのない雑学は、あらかじめ用意されたもの?


 それが、日替わりで再生されているだけ?



 常に1人きりで乗り込んでくるのは、あなたがタイミングを計ったから? 


 あなただけが、タイミングを計ったから?


 あなただけが、恋い焦がれている?



 エレベーターに恋をする、だなんて。そんな非常識な恋愛観を持っているくせに。


 こんな当たり前の事しか考えられないだなんて。


 それこそ、全く。




『誤解、でございます』


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