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1992

作者: 真灯出愼
掲載日:2016/04/19

僕達が生まれる前にバブルが崩壊した。

母はよく言っていた。

「タクシーは札束を見せないと止まらなかったのよ」

何だそれは!タクシーの運転手も客を金で選ぶんじゃない!!

僕ら世代はそう感じるんじゃないか?

しかし親世代はそれをあたかも武勇伝かのように誇らしげに話す。


僕からすれば「よくもまあそんな贅沢な暮らしが続くと思ったな」と言いたくなる話だ。

もちろんそんな考えになってしまうのは生まれてこのかた不景気しか知らないからだ。


小学校に上がる直前に消費税が5%に上がった。

正直、3%だった頃を覚えていない。

「いい?100円には片手分、5円が足されるの」

といって母は僕の顔の前に大きく手の平を出した。

「100円 が5円ね」

僕も自分の手を広げながら理解した。


お小遣いを貰うのは大抵小学校に上がってからで、それまでは親に買ってもらうのが一般家庭の流れだと思う。

自分のお金でものを買えるようになったのに消費税が上がって数多くのものが値上げされた。

大人から見れば可哀相な事の一つかもしれない。


しかし、消費税の増税は子供の僕からすれば、「手が増えていくだけだから計算しやすいね」ぐらいの事しか考えていなかった。


遠足の時、親は当たり前のように300円をくれた。

「おやつは300円までです。それ以上持ってきた人は先生が没収しまーす」

持ち物をパッと見ただけで300円以上のおやつを買ってると分かる先生はハイスペックのコンピューター並みだ。

いくら分の お菓子とか絶対分かる訳がないのに子供は純粋に信じて300円以内に収めようと必死だ。


「バナナはおやつに入りますか~?」

「バナナは入りません」

バナナなんて遠足に持っていってもそんなに食べないのが現状だ。

そして本当にバナナを持ってくる子はクラスに1人や2人。

いつから始まったか知らないが、定番のやり取りはどの教室でも行われていた。


300円で食べたいものをどれだけ多く買えるか、まだ未熟な頭を駆使して買ったものだ。

駄菓子屋さんでは消費税の影響が無かった。

消費税が上がっても例年通り、子供達が沢山お菓子を買える状況だった。


更に大きくなり、小学校で友達と遊び学ぶ楽しさに気付いて学校が楽しくなる4年生。

今では“失敗”といわれる「ゆとり教育」が始まった。

「完全学校週5日制」という子供には理解し難い制度だったが、土曜日も休みになるという事だけは理解が出来た。

学校で遊ぶ日が1日減ったということだ。


「土曜日、全部休みになるってさ」

「じゃあいっぱい遊べるな!」

休み=遊ぶ。子供からしたら当然こういった考えになる。


新学年になり、なにやら小さな教科書が増えた。

授業時間が減ったから習う範囲も減ったのだが、もちろん僕達は“コンパクトで持ちやすい”という程度のものだった。


家に居る時間が増え、宿題以外の勉強をするなんて絶対嫌だと勉強嫌いになり、将来の夢なんて大層なことを語ることも無く。

大人が望んでいた「自分達で考えて行動する」という教育は全く届いていなかった。

むしろ「選択肢がありすぎて何をしていいか分からない」と迷う子供が増えた。


更に時は流れ、高校生になった。

晴れて義務教育を終えた僕達は、地元を離れた高校へ行ったり、そのまま地元に残るものも居たり。

ただ、高校の入学式は大抵同じ日に行われる。


入学式当日。

台風並みの爆弾低気圧が僕達を襲った。


今までの入学式や卒業式、野外活動などの学校ではなく学年の行事は大抵雨や曇りなど悪天候が多かった。

しかし、前日まで満開だった桜が全て散ってしまうほどの暴風雨には唖然とした。

傘は役目を果たさず、校舎に逃げ込むように登校した僕らは新しい制服もびしょ濡れになる始末だった。


「いやー、凄い雨だね」

「さすが僕達って感じの天候だよ」

初めて会うクラスメイトとも92年組定番の悪天候トークのおかげで打ち解けるのが早かった 。

そこで初めて気付いた。

“天に見放されてるという考えはどこの92年組にも共通なんだ”と。


高校入学で殆どの92年生まれは気づいただろう。

「僕達は何かを持っている」

それは1年後、再び証明された。

高校2年生といえば修学旅行。

待ちに待った修学旅行だ。

なのに不穏な空気が流れている。

そう、“新型インフルエンザの大流行”だ。


世界的大流行で年明け頃から警戒されていた。

感染者は強制入院の対象となり、感染しないように消毒やマスクなどの予防が取られた。

僕が通っていた学校は5月中旬に修学旅行。

多分、あの頃は殆どの学校が5月~6月に修学旅行へ行っていたのではないだろうか。


まもなく修学旅行という時に一番恐れていたニュースが入った。

「本日、国内で初の感染者が出たと○○外務大臣が発表しました」

僕達も馬鹿ではない。

修学旅行中止の噂が立ち、学校内がソワソワしていたのは誰もが感じていた。


「なあ、俺ら修学旅行に行けるのかな?」

「分かんねえよ。だって遂にウィルスが入ってきちゃったんだぜ」

「あれだろ?感染者は強制入院ってやつ」

「流石に危機感あるよな」

新型では無かったが僕の学校でもインフルエンザが流行し、学級閉鎖や学年閉鎖が行われていた。


ただ、僕達の学年では学年閉鎖や学級閉鎖は行われなかった。

無駄に健康だったのだ。

そして修学旅行決行の連絡が入った。

「修学旅行行けるって!」

「やったー! 」

その頃、他の学年はインフルエンザで学年閉鎖していた為、校舎には僕達の歓喜の声が響き渡った。


先生は喜ぶ僕達に重い口を開けた。

「ただし、条件があります。ホテル入館時は入り口に置いてあるアルコール消毒を必ず行うこと。外出時のマスク着用。行程以外での自由行動は禁止です。」

「そんなの全然OK」

僕達は当日までこの条件を軽く考えていた。


修学旅行当日、行ってきます!と学校で集合写真を撮ったときに僕達は気付いた。

(これからの集合写真、ほぼマスク姿じゃん!!顔見ねーーーーーー!!)

ホテル前での集合写真、自然体験の写真、班行動の写真。

全部マスク姿である。

そして異様なまでに強要されるアルコール消毒。

(来たわよ、感染者が出た地域の子供達が 。わざわざ遠くまでウィルス持ってきてくれるなんて、本当迷惑)

宿泊先のスタッフさんの目が完全に物語っていた。


そして最も遊べるであろう2日目が雨。

予定変更で屋外のスポーツ体験が屋内でお菓子作りに変わった。

(何が嬉しくて遠くの地でお菓子を作らねばならんのだ!)

殆どの男子が思っていただろう。


結局悪天候は続き、帰りの飛行機も決行や遅延で帰った頃にはぐったりだった。

親は心配の目で僕達を見て駆け寄ってくる。

疲れ方が遊び疲れの疲れ方ではなく病気のしんどさに見えたのだろう。

もしかして新型に…なんて過剰に心配する親も居たかもしれない。


僕達は何をしに修学旅行へ行ったのか分からなかった。

しかし、ホテル内でのゲームや宴会は 物凄く楽しかった。

親元を離れて友達とずっと一緒という環境は修学旅行の醍醐味だ。

92年組でも僕は運の良い方だった。

修学旅行中止の高校もあったからだ。


殆どの高校が修学旅行を終えた頃、厚生労働省が方針を変更。

感染者は強制入院という扱いはなくなり、季節性インフルエンザとほぼ同様の扱いとなった。

そして7月に山形県で感染者が見つかり、日本の全都道府県で感染が確認された。


これによって日本の全国民はどこに居ても感染者は出たので仕方ないと悟り、過剰に警戒することをやめた。

僕達の修学旅行は再び他の学年では味わえない特別なものとなった。


高校の卒業式は僕達には珍しく晴れやかで穏やかなものだった。

高校 行事は散々だが、それもこれも良い思い出の1つだ。

ここから先、みんな別々の道を歩む。

次は同窓会でな!と大腕を振って分かれた1週間後。

あの大震災が起こった。


遠く離れた地の者、被害を受けた者。多くの犠牲者と街を奪った津波。


僕はテレビで見ていることしか出来なかった。

なんて無力なんだ。

募金ぐらいしか出来ない自分の無力さを痛感した。


大学の入学式が控えているが、行われるのかどうかも分からない状況だ。

テレビからはバラエティー番組が消え、ニュースと1つのCMだけが流れ続ける状態になった。

就職難と言われたあの時、殆どの人が進学の道を選んだだろう。僕も同じだ。


結局、入学式は自粛 された。

僕達の新たな門出を祝ってくれたのは家族と日本の大地だった。

不謹慎だと言われても仕方ない。

それでも、誰もが当たり前に行われると思っている入学式が自粛で無くなった僕達が最大限にプラス思考化した結果なのだ。


それからは平穏な日々が待っていた。

今まで不運だ悪天候だと泣かされてきたが、大学になると学年行事というものも殆ど無い。

自分達の今までの不運は偶然だったに過ぎないんだ。そう思い出していた。

だが、やはりまだ不運は待っていた。

最大の学年行事が。


成人式。

晴れて成人となる20歳。

今までで一番天候に恵まれなかった。

日本各地が大雪に見舞われ、交通機関の麻痺、振袖や袴が雪でドロドロになったり、足袋は雪で濡れ 凍ったように冷たくなった。

会場に行けた者は運の良い方だ。


車も電車も動かない場所に住んでいたものは、せっかく準備した晴れ着も着れずに終わった。

家で写真を撮り、家族に祝ってもらう。

なんとも古風な成人式となっただろうか。

夜には雪も溶け、2次会では普通着の僕達が再会を懐かしんだ。


久々に集まった92年組。

顔を見る度に交わされる言葉は

「久しぶり。元気だったか」ではなく

「何かあると思ったけど、やっぱりこうなったな」

という悪天候トークから入った。

僕達にとって最も早く打ち解ける魔法の話題だ。


この頃には第三者にも気付かれ始めていた。

僕達の親だ。

「この子達、何か行事となると悪天候じゃない?」

それが徐々に浸透し、興味を持った第三者に掘り起こされた僕らの20年の不運の数々。

「誰もが当たり前のように通る道を、何かしらの不運をプラスして送ってきた悲劇の世代だ!」


もちろん、今語った話だけで悲劇と呼ぶには物足りない。

他にも沢山のネタが存在する。

ネット上で「悲劇の世代」と検索すれば今語った分とスポーツ界、芸能界における不作の年という文字が飛び交っている。


僕達は普通に過ごしてきた。

もちろん不運だなと思う事もあった。

しかし、それをどうプラスに持っていくか考える力を得た。

92年生まれは悲劇の世代かもしれない。ただ、それ以上にプラス思考集団でもある。


事実、この不運を面白おかしく第三者に話すことが多い。

大抵の世代は同じように行事を楽しんでいる。

僕達は不運で面白さがプラスされている。

お得世代なのだ。


成人式が終わり、人生の学年行事も終わってしまった。

唯一残されていた内定式や入社式は穏やかな雨に留まった。

雨ぐらい降っておいてもらわないと。僕達92年組なんだから。

これで悲劇の世代は過去の話になった。


だが、本当の終わりはまだまだ先だ。


忘れる無かれ。

2052年。

還暦。

そして悲劇の世代は繰り返される。

2052年生まれは2代目となるだろう。


1992(完)

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