act2.売れ残りってそりゃないぜ!
店の中へ引っ込んだ婆さんの後を追うように入店した。
中は薄暗く、はっきりとは見えないがたくさんの生き物がいることがわかる。大変不気味だ。どのくらい不気味かというと、スピン・ダブル○ームをくらっていたジェロ○モが観客席にもいるくらいと同じだ。
「おい婆さん、ちょっといいか」
「ひっひっ、なんだい小僧」
こ、小僧。初めてそんな風に呼ばれたよ。
それにしても胡散臭い婆さんだ。練って楽しいお菓子を作ってそうな風貌だ。
「看板見たんだけどさ。二九八円で魔王買えるんだって?」
「あぁ買えるよ。だけど二九八円のは後一匹しかいなくてね。選べないけど買うかい?」
「あー……ちょっと見せてくれないか? それから決めるわ」
売れ残りかよ。流石に午後六時じゃそれくらいしか残らないか。売れ残りには福はあるのかね。
「あぁいいよ。ちょっと待つさね」
婆さんは店の裏に引っ込んでしまった。
この薄暗い中一人でいるのはちょっと怖い。時折何かに見られている気がするし、不安になるだろ。
ガサガサ。
近くの段ボールの中から何かが蠢く音が聴こえた。
ま、魔王ですか?
ゴキュルゴキュル。
その隣の段ボールから今まで聴いたこともない音がする。
な、何の音でしょうか。ま、魔王ですか?
ボワッ!
突然何もない空間に火が広がった。
「ま、魔王ですかあああああああああああああ!!」
「なんだいうるさいね。魔王に決まってるだろうに」
「婆さん!」
婆さんが戻ってきた!
一人は心細かったぜ婆さん。得体の知れない音にまみれたこの空間で婆さんだけが癒しだぜ。……皺くちゃの婆さんだけどな。
「ほら小僧。売れ残りだよ」
堂々と売れ残りって言うんじゃねーよ。売るつもりないのか。
差し出された底の深いプラスチック容器を覗き込むと、小さな、藻? 真っ黒な藻がいた。藻って、魔王なのに藻って。
笑いがこみあげてくる。
ダイナマイトを巻き付けいるわけでもなく、謎の音を発するでもなく、火を出すわけでもないだろう。だって藻だもん。
「小僧、あまりバカにしないほうがいいよ」
「いやだって、これ藻じゃん。くはっ、ダメだ。藻、藻、ひーダメだ腹いてぇ」
耐えられずに腹を抱えて笑った。
いやぁこんな怖いところで笑いが止まらんとは、ナイス藻。恐怖も薄れるってもんだ。
あー笑いすぎて涙出てきた。
涙を拭いて目を開けた瞬間、目の前に暗闇が広がっていた。何も見えない。
なんだこりゃ、停電か?
「婆さん停電か? 早く電気つけてくれよ」
返事がない。待てども待てども返事がない。
「おーい婆さん、耳遠くなっちまったのかー」
大声で叫んでみるが返事がない。
なんだってんだよ。もしかして夢の中か? 今までの魔王だとか全部夢だったのか?
じゃあ早く起きないと、仕事あるしなぁ。
……急に現実に引き戻された気分だ。夢の中なのに現実とはこれいかに。
「起きろ俺―、朝ですよー。カンカン、朝ですよー」
明晰夢ってのは初めてだな。これで起きるだろうか。
……起きないね。
「起きろっての! 起きないとケツ毛剃ってること先輩にバラすぞ!」
……ダメだ反応がない。てか自分を脅してどうすんだよ。ケツ毛剃ってるのバレるの恥ずかしいわ!
「うるさいぞにんげん。もうすこしきょうふしろ」
なんだこの声。舌足らずな言葉遣いに可愛らしい女の子の声だ。
恐怖しろって、そんな声じゃ怖がれない。
俺の夢どうなってんの? こんな可愛らしい声で言葉攻めとかロリコン極まっちまったか。
「これはゆめじゃない。わたしがつくったくうかんだ」
夢じゃないんだ。よかった、ロリコン極まってなくて。
「じゃあさ、出してくれないかな? お兄さん魔王買いに来てる途中なんだ」
「うるさい。わたしのことわらったくせに」
笑った? 俺が? 彼女を?
そんなバカな。
「俺が女の子を笑うわけないじゃないか」
「おんなのこじゃない、まおうだ」
ま、魔王ですか。はー、魔王ですか。
え? 藻?
「もしかして、藻?」
「もじゃない! こんとんをつかさどるまおうのなかのまおう、わたしこそぜったいあくのあんら・まんゆだぞ! こわがれ!」
ほへー、すごいの司ってるねぇ。混沌ですか。這いよるんですかねぇ。
ん? アンラ・マンユって魔王じゃなくて神様じゃね? なんでもありかよ。
「それでマンユちゃん。お兄さんをここから出してくれないかな。お兄さん明日仕事なんだよ。行きたくないけど」
あー仕事やだよー。でも働かないとお金もらえなくて死んじゃうよー。
「マンユちゃん早くしてー。お兄さんの仕事行きたくないメーターが振り切れちゃうよー」
「う、うるさい! ちゃんづけでよぶな!」
何ですかね、これ。照れてるんですかね。それとも機嫌悪くしちゃったんですかね。
……どうしよ。
このままだと無断欠勤だぞ。洒落にならん。
「ごめんよ。ちゃん付けしたのは謝るから。ね!」
「うるさい。あとものこともあやまれ」
「あぁそうだね。藻って言ってごめんね」
「……うるさい」
さっきからうるさいうるさいってなんなのかね。灼眼ですか君は。
まぁこれで機嫌を直してくれるのなら何でもいいや。早く出ないと睡眠時間は削りたくないんだよ、俺は。七時間は寝たい派だからね。
「じゃああと、わたしのことかってくれる?」
飼う? 買う? 飼う! おっといかん。心が揺れている。
まぁ買ってあげれば出られるのなら買うけど。二九八円だから痛くも痒くもないしね。
「いいよ。買ってあげる」
「ぜったいだよ! うそだったらとじこめてほうちするからね!」
え、なにそれ怖い。いや、実際ここから出られなかったらそうなるわけで、マジでやりかねんな。
「ダイジョブダイジョブ。絶対だから大丈夫」
「……わかった」
サーっと暗闇が粒子となって消えていく。
目の前には婆さんがいた。
「小僧、よく帰ってきたね」
婆さんあまり慌ててないし驚いていないんだけど。もしかして別にヤバイ状況でもなかった感じか?
「三日も出てこなかったから少し心配したよ」
はぁ三日もですか。それにしてはあまりお腹空いてないな。アレ、買い物袋ないぞ。
「婆さん俺の買い物袋どこやったあああああああって! 三日ってなんだそりゃ!!」
三日もあそこにいたのかよ! 時間感覚狂いすぎだろ! いやそんなことより会社!
ケータイを見ると電池ギリギリ、日付は水曜日に突入寸前。
終わった。
着信履歴は会社から。三件だけ。三件目は留守電が入っていた。
『青葉君、もう会社来なくていいよ』
本当に終わった。
「婆さん、その魔王買います」
「あの空間に閉じ込められたのによく買う気になったな。いいのか?」
「いいんです。買っても買わなくても一緒ですが、買ってあげたいんです。最後だし」
俺、今、最高に笑顔だ。
一点の曇りもない笑顔になれてる。
ははっ、これが解放ってやつかな?
「大丈夫か小僧」
「もちろん、大丈夫じゃねーよおおおおおおおおおおおおおお!! ほら、三百円! 釣りはいらん!」
ババッと三百円を投げ捨てるように婆さんに渡す。そしてプラスチックの容器に入っている藻を鷲掴み、願い事を叫んだ。
「ほーらマンユちゃん。お兄ちゃんを永遠の暗闇に閉じ込めておくれ!」
お読みいただきありがとうございます。