純粋志向と無垢の話
「結構並ぶね」
「ふふふ、これでも結構空いている穴場なんだ。一度体験したら並んでいた時間なんてとっても少なかったなって思えちゃうよ、絶対!」
「そうなのか、それは楽しみだ。ああ、疲れたら言ってくれ。折り畳みの椅子持ってるから」
「ありがと、でも大丈夫!ジュンと一緒だから!」
元気だなぁ。
俺は今、国内最大のテーマパークに女の子とデートに来ている。事の流れはこうだ。
「ねえジュン兄ちゃん見て見て、じゃじゃーん!」
おとといのこと。俺が講義を受け終わり大学から出てくるとそこにはいつものように梨花が立っていた。もちろん、俺を待ってのことだ。梨花ちゃんは自分の学校が終わってから俺の講義が終わるまで三十分ほど時間を潰し、その後俺と共に帰るべく大学の正門で待ってくれている。
「お、これはかの有名な」
「そう、夢の国へのチケット!二人分!リンは明日から夏休み。そしてジュン兄ちゃんは明後日暇だよね?」
「暇だな、行くか。そこに」
「うん、行こう行こう!」
「いつ迎えに行けばいい?」
「じゃあ八時にリンの家に集合!ちゃんと準備しておいてね!」
まさに天真爛漫といった感じだった。俺もここに来たことは無かったし、あれだけ喜んでくれたら俄然やる気が出るというものだ。ただ梨花ちゃんに「準備っていっても、持ってくるのはチケットとおこづかい位でいいよ!アトラクションはリンが案内するから」と釘をさされたので、お金とチケットの他にはアクシデントが起きたときの為の道具を数個しか持ってきていないし、アトラクションのことは全く知らない。
アラビアンな建物の扉が開き中からぞろぞろと人が出てきて、同時に俺たちの並んでいる列も一気にうごめいた。魔法の体感マジックシアターと銘打つこのアトラクションは今のように定期的に列が動くのでとても気が楽だ。俺たちの順番は次の次位だろう。
「ねえ梨花ちゃん」
「……」
あ、そうだった。
「梨花」
「そーだよ!全くもう、ここは学校の近くじゃないんだからちゃんと梨花って呼んでよね。私たちカレシとカノジョなんだから!」
「ごめんごめん、梨花もジュンって呼んでくれているもんな。ありがとう」
「……それで、なに?」
「もうそろそろ俺たちの順番になりそうだから、次はどこに行くのかなと思って」
「なるほど、じゃあちょっと待って……はい、教えてあげましょう」
梨花はピンク色のかわいらしいポーチからこのテーマパークの地図を取りだし、誇らしげに説明を始めた。次に行くのは乗り物に乗って射的をするアトラクションらしい。
説明を終えて満足気な梨花を眺めてみる。今日のためにと頑張ったのだろう、いつもよりポニーテールにボリュームがあり、それを縛っているヘアゴムも健康的な黒髪にアクセントを添えている。顔にもかなり薄くではあるが化粧をしてあるようで、いつもは俺がお願いしてしないでもらっているのにとても上手だ。梨花が年齢のわりに大人びているのがプラス効果を生んでいる。
総評して、梨花はとても可愛かった。そこでふとやはり俺たちは特殊なのだろうな、とも思う。
梨花は俺より年下だ。しかも一つ二つの話ではない。俺も最初は戸惑ったが、ひたむきに向けられる気持ちに触れるうちに梨花を好きになった。こうして付き合いはじめて、かれこれ一年くらいは経っている。
周囲の目は冷ややかなものだった。オトコである俺とオンナノコである梨花との仲はケガレ、タダレを何度も疑われた。梨花の両親から信頼してもらうまでにも、俺の両親が認めるまでにも時間がかかった。今でも梨花の両親は一定以上に警戒は解かないし、梨花には知り合いに出会う可能性のあるところに限り親戚の女の子の振りをするように頼んである。
狭苦しい世の中だとは思うけど、仕方のないことだ。
「あっ、リン達の順番きたよ!」
「おお!いよいよだな」
それに、それでもこうして梨花は俺と一緒にいようとしてくれる。彼氏として、彼女の想いに応えない訳にはいかない。
それから数時間。
「……もう二度と乗らない」
「確かに怖かったな。あんなに叫んだのは久しぶりだよ」
マジックシアター、射的、トークショーとダンスショーにジェットコースターときてさっきのは落下系のアトラクション。最近リニューアルしたとかで何度も上がっては落ちて大変だった。梨花が二度目の落下の際の「えっ、ちょっと待って待って待て待て待て!死ぬから!絶対に死ぬからギャァー!」という断末魔を最後に悲鳴すらも出せなくなっていたのがとても面白かったのだが、それは言わない方が良いだろう。
時刻はもうほとんど夜で、そろそろなにかまともな食べ物が欲しくなってくる頃だ。だが、ここでトラブルが発生した。
「どうしようジュン……晩ごはんのことなにも考えて無かったよ……レストランはもう予約でイッパイだよ」
「あー、マジ?」
「なんで考えてなかったんだろ……ジュン、ごめんなさい……」
梨花が目に見えるほどしょぼくれている。きっと計画するときにアトラクションの方にばかり気をとられてしまったのだろう。梨花からしてみれば大失態に違いない。
「いや、大丈夫」
梨花はよく頑張った。こんなときこそ俺がフォローしてやらなくては。
「軽食を売っている売店を探そう。梨花、地図を出してくれ」
しばらくして。
「ごめんね、なんかやっぱりジュンに頼ってばっかりだよ……」
俺の隣に座る梨花がふとそんなことを言った。眼下に見える光と水の大規模なショーなど目にも入っていないようだった。
「いいよ全然。俺の方も少し気が回ってなかったかもしれない。ほら、すぐ食べ物も見つかって結果的にお腹はいっぱいになったし、ミートパイ美味しかっただろ?」
「そうだけど……すぐ見つかったのはジュンが前もって調べていたからでしょ」
「……ばれたか」
「分かるよ、カノジョだもん」
梨花はさらにふてくされた。梨花は俺をリードしてみたかったのだ。それは俺が知らず知らずの内に梨花を子供扱いしているのが原因かもしれないし、梨花自身の年上への憧れが原因かもしれない。ともかく梨花は懸命に頑張って俺に追い付こうと、対等になろうとする。しかし梨花と俺の間にある年齢という差はどうしても縮めることはできない。その事を知るたびに梨花は悔しい思いをして、それでも必死に背伸びをするのだ。
俺だってそうだ。伸ばされたその手を掴み、引っ張りあげたい。だけど俺はまだ梨花の手を掴むことはできない。年を重ねることは経験を積むことであり、ヨゴレていくことでもある。梨花の手をつかむには俺はヨゴレすぎている。梨花が思い描くオトナと俺が成ってしまったオトコは相当かけ離れているだろう。無理に引き上げれば、力加減がわからずにまだ無垢である梨花を壊してしまう。
「梨花」
だから俺は言う。誤魔化すように、逃げるように。
「愛しているよ」
それは紛れもない本心、心からの言葉。しかしその言葉は確実に逃げの一手であり、寄り道だ。
本当ならそんなことは言わなくたって、お前のヤリたいようにシたら良いじゃないか。梨花もそれを望んでいる。
そんな声を俺は押さえつける。結果的に梨花の望む方向へは進めなくとも、梨花の思う世界を俺のボウリョクで破壊などできない。
「……ズルいんだよジュンは。いつもそうやって誤魔化せると思ったら大間違いなんだから……」
梨花は照れていた。いつもならこれでおしまい。梨花は満たされ、特に言及なくいつも通りに戻る。俺は安心して、込み上げていた黒い欲望は再び息を潜めるのだ。
しかしそんな手がいつまでも通用するはずがない。梨花は努力家で、とても真剣だ。そのような意味で、確かに俺は梨花を子供扱いしていたのだ。
「ねえ、ジュン」
「なに?」
「リンはずっとジュンのことが好きだよ。だからいつも考えてた。ジュンはどうしたら喜ぶかな、何が好きなのか、何をして欲しいのかなって。ジュンはリンよりずっと年上だから、リンのしたいコトはジュンのしてほしいコトと違うかもしれないって。それで、考えてたら分かった気がしたの。リンがしたいコトで、ジュンもしたいコト」
その時の梨花はいつになく真剣に見えた。そして、いつになく愛しく見えた。
「あのね、ジュン……」
梨花は俺の手をがしっと掴んだ。今までの俺の行動が全て逃げであったことが見透かされていて、逃げられないように掴まれたのかもしれない。
まずは梨花が、勇気を出して俺へと背伸びをした。
「キス……しよう?」
その言葉で俺は硬直してしまった。脳に流れる血が全て止められたような感覚。何をしようにも脳が応答しないパニック状態だ。ここまで積極的で、直接的な要求は初めてだった。今までの梨花にはない行動。返答に窮している間に、梨花はどんどん踏み込んできた。
「ホントはもっと雰囲気とかも考えてたんだよ。でも、もういい。リンはジュンとキスがしたい。ジュンがあんなこと言うから、なんかずっとムズムズしてたのがもう我慢できないの。全部ジュンのせいなんだから……」
梨花の顔がぐぐっと近づいてくる。辺りは騒がしいはずなのに梨花の吐息が聞こえる。
「ほら、こっちを見てよ。リンを見て」
顔に手が添えられ、視線の変更を促された。俺は何も考えられないままに梨花の顔を直視する。
梨花と目が合う。今までに何度も見つめあったはずなのにまるで初めて見たような感覚だった。いや、確かに初めてなのかもしれない。その目の表面ではない奥深くまで見えているのも、また見られているのも。
「まっ、待ってくれ梨花……俺たちは」
「カレシとカノジョ。でしょ?愛し合っている二人とも言う」
梨花はニヤリと笑った。梨花は時々ニヤリと笑う。本人が意識しているかどうかは分からないが、その表情は凄まじい力で俺の欲望を引きずり出そうとする。今回のような不意打ちではなおさら威力が増していた。
俺は必死だった。決して傷つけまいと、手を出すまいと。無垢に対しては純粋であり続けなければならない。誰が決めるともなく決まっていることだ。
「ジュン。色々考えてくれてるんでしょ、リンのために」
「……ああ、そうだ」
梨花を歪ませたくなくて、ヨゴしてしまいたくなくて、
「俺は怖いんだ、梨花を間違った方向へと進ませているんじゃないかと。梨花のことが好きだから、梨花には正しくいて欲しいんだ」
「……ありがとう、でもね。ジュン」
逃げていた俺は、しかし、掴まれてしまった。確信した。
「リンはもうジュンにヨゴされちゃってるよ。前まで何もなかったトコロに今はジュンの手形がついている。ジュンが触っちゃったから、リンにはもう手垢がついているんだよ。無垢なんかじゃない。でも、まだ手だけ。それだけでいい、なんて思ってたこともあった。イッパイだった。だけど最近気づいたんだ、まだまだイッパイヨゴれることができるって。もっともっと、ジュンに踏み込んで欲しいの。手垢と足跡と、キスマーク。リンをもっとイッパイにして?」
ああ、ダメだ。もう逃げられない、というより
逃げたくない。
「……梨花。今梨花が言ったことはかなり大胆なコトだって分かっているか?」
「分かってるよ。実はお気に入りの本のセリフを少し借りたんだ。オンナノコはこの後キスしてもらうの。大好きな人から」
「そうか、なら」
俺は梨花の肩を掴んだ。俺の頬に添えられていた梨花の手が離れた。
「……いいんだな、本当に」
「怖い?」
「もちろん。とっても怖い。取り返しのつかないことをしようとしているのが分かるんだ」
「大丈夫、リンはどんなジュンでも受け入れるよ」
情けないことに、逃げないと決めた今でもまだ手が震えている。心臓が弾け飛びそうだ。
「梨花……俺は梨花を」
「『梨花』で良いの?」
今度は俺が勇気を出して
「今日から『私』たち、もう少しオトナになるんだよ?『純一』」
手を掴み、引っ張りあげる番だ。
「そうだ。これからもずっと、俺は『お前』を愛しているよ」
優しく、柔らかく。
自分の肌、自分の唇とは違う温かさ。
少しずつ互いの欲望を交換しているような。
お互いに、少しずつ、それでも確かに歩み寄る。
少しくらいの傷はつくかもしれないけれど、
それもまたココロを飾るヨゴレであり、色だ。
かくして、俺と梨花は互いに少しだけオトナになった。
すっかりオトナにはなっていたつもりだったが、まだまだ伸びしろはあるようだ。その空白のトコロは、二人で互いにヨゴしていこう。
テーマパークから出ると、梨花の両親が迎えにきていた。
さすがに夜から一緒に帰らせる訳にはいかないらしい。少しだけ名残惜しいいい雰囲気だったけど、諦めよう。少しずつ進めばいい。暴走してしまっては、互いを壊しかねないのだから。
あくまでも俺たちのカンケイとはそういうものなのだ。
そうそう、梨花は別れ際、こんなことを言ってきた。
「結婚式、和服とウェディングドレス。どっちが似合うかな?」
それこそ、今からじっくり考えてもまだまだ時間はある。俺たちが焦っても時間は縮まらないのだから、気長に考えよう。
大人びていて、大学生の俺の彼女とは言っても梨花はまだ小学五年生なのだから、たっぷりと時間はあるはずさ。




