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序章 桜花




一.



 そのひとは。

 咲き乱れる華のように儚く。

 闇を照らす月のように神々しく

 滴り落ちる血のように美しかった。



 一人の男が、渡殿わたどのを歩いていた。

 足を進める度、燃えるように赤い髪がふわりと揺れた。

 周囲には数多の桜の木が並んでいる。

 白く光る花弁が、宵闇を覆いつくさんばかりに舞い散ってゆく。

 花冷えの夜であった。

 男はうっとりと蒼い目を細めて、指先を花弁へと伸ばした。

 ふと、思い出す。

 かつて強烈に憧れ、全てを求めた人を。

 この身が朽ち果てても守り抜きたい、と誓った人を。

「……莫迦ですね」

 小さく呟く。

 どんなに恋焦がれても、もうあの人は戻ってこないというのに。

 わかっては、いる。

 だが、春という季節に、どうしても心乱されてしまうのだ。

儚い桜に、良く似ていたからか。

それとも、道ならぬ恋をしている主と、かつての自分を重ねてしまっているからか。

 ふう、と小さくため息を吐いた。

「何をしている、椿樹つばき

 名を呼ばれ、顔を上げる。

 桜が散ってゆくその先で、きらりと金糸が煌いた。

『――椿樹』

 先ほど聞こえた声と、記憶の中の声が、重なる。

 ――江人えひと殿!

 心の中で、叫ぶ。

 気がつくと、走り出していた。

 花弁に塗れた、手を伸ばす。

 黄金色の髪の男が、視界に映った。

「何を、慌てているのだ」

 栗色の瞳を訝しげに細め、男が問う。

「……っ、あ」

 小さく声をあげ、息を呑む。

 伸ばした指先をゆっくりと下ろした。

「申し訳ありませぬ」

 震える声で、謝罪した。

 すると、今度は男が此方に手を伸ばした。

 びくり、と身体が微かに跳ねる。

 男の手が目尻にそろそろと遠慮がちに触れた。

「……泣いているのか」

「え」

 瞬間。

 ぽろぽろと頬を数多の涙が伝い落ちた。

「ちっ」

 男は小さく舌打ちをしつつ、椿樹の頭を乱暴に掴み、胸に押し当てた。

「……今日だけ、貸してやる」

 不機嫌さのにじみ出た声で、言う。

 頭に触れる彼の手は、いつもより少しだけ熱い。

「歪にはそんな顔、見せてやるでないぞ」

 泣くなら今此処で泣けと、言っているのか。

 主の不器用な優しさが、嬉しくもあり、切なくもあった。

 今自分を包み込んでいる体があの人のものだと、いいのに。

「有難うございます」

 瞳をゆっくりと閉じ、呟く。

「――保憲やすのり殿」

 あのひととは、違う名を。


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