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未来へ


 八


 六月の下旬。

 美弥子が事故に遭ってから一週間が経過しようとしている金曜の午後。

「姉ちゃんてさ、頭良さそうなのに、結構バカだよな」

 ようやく家族以外にも面会の許可が出た初日、病室を訪ねてきた健吾はベッドの傍に置いてあった椅子に腰掛けるなり、開口一番にそう言い放った。

「死んでもいい、みたいなこと言ってたら本当に死にそうになるしさ、全然こっちのこと考えてないっていうか」

「うん…」

「オレの方が心臓止まりそうだったんだけどね! 絶対に死にたくないのに!」

「うん…」

「うんうん言ってればいいってもんじゃないと思うよ? オレの話し聞いてる?」

 心の奥底から不機嫌なのが伝わってくる健吾の様子に、美弥子は反省しきりだ。

「ごめんね、心配かけて…」

「めちゃくちゃ心配したんだからな! しかも走って来いなんて看護婦さんに言われてビックリしたんだぞ! 自分は死にそうになってるのに、なんでオレらのこと気にしてられるんだよ!」

 それは、後で両親から聞かされた美弥子自身も驚いたのだが、彼女は意識が無かったにも関わらず、「健吾君、走って」と何度も繰り返していたと言うのだ。

 健吾が待っていろ、と。

 必ず優勝して帰ってくるから、それまであなたも頑張りましょうねと看護士が声を掛けると、ようやく静かになったのだという。

 美弥子は、それが天使のおかげだと、すぐに気付いた。

 もちろん、誰にもそんな話しは出来ないけれど。

「しかもさっ、賞状見せたらいきなりVサインしてくるしさっ、オレあれで姉ちゃん死んじまうのかって、本当に本当に本当に怖かったんだからな!」

「うん…」

 それも、健吾達だけでなく家族や医師たち全員を驚かせた現象だった。

 あの直前まで生死の境を彷徨っている状態だった美弥子が、意識を取り戻してすぐにVサイン。

 通常では考えられないことなのだから、あれが死を感じた美弥子の最後の力だと思われても仕方が無かった。

 けれど、実際にはそれが最初で、美弥子は驚くほど順調に回復していった。

 左腕、左足と肋骨の骨折、全身に及び切り傷、擦り傷、打撲傷。

 普段の生活に戻るにはまだまだ時間が掛かりそうだが美弥子は生きることを選んだ。

 今度こそ、自分自身の力で。

「…健吾君、引越しはいつ?」

 唐突に話しを振られて、少年は不満顔。

「またオレの予定気にしてるし…」

「当然、気にするでしょ? 健吾君がお見舞いに来てくれると嬉しいんだもん…来てもらえなくなる前に、ちゃんと心の準備をしておきたいじゃない?」

 美弥子が言うと、少年は面食らった様子で数秒の間、固まっていたが、彼女の言葉の意味を理解するなり、次第にその表情が緩んでいく。

「へぇ…、姉ちゃん、どうしたんだよ。急に素直じゃん」

「少しは健吾君を見習おうと思って」

「へぇ!」

 今度こそ嬉しそうに声を上げる。

「そっか、姉ちゃんもオレに会えなくなるの寂しいと思ってくれるんだ!」

「ん」

「良かった、寂しいのオレだけかと思ってたんだ! そっか、姉ちゃんも寂しいんだ、すげぇ嬉しい!」

 満面の笑顔で。

 ほんのりと頬を赤くして喜ぶ少年に、さすがにそこまで表現されては、かえって照れてしまう美弥子だ。

「け、健吾君、それで、いつ引越しなの?」

「あ、うん。引越しは七月に入ってからだから、まだ時間あるよ。姉ちゃんのことも心配だったしさ、夏休み入るまではこっちにいられることになったんだ。お父さんだけは先に向こう行っちゃうけど」

「そう…」

「嬉しい?」

「っ、そ、そうね…っ」

「へへー」

 あまりにも素直な喜び方に、美弥子は恥ずかしくなって顔を背けた。

 窓の外には青い空。

 もうすぐ七月。

 初夏の風が病室を駆け抜けると、若い草の匂いを運んでくる。

 それはまるで、あの川原にいるような錯覚を起こさせる。

「……退院したら、一緒にあの川原に行かない?」

「え?」

「ちょっと…、感謝しなきゃならない人がいるんだ」

 きっと、あの川原に天使が姿を現すことは二度と無いと思う。

けれど、最後までたったの一度も礼が言えずに、名前すら残さず消えてしまった彼女だから、姿はなくとも、せめて感謝の気持ちを告げておきたい。

それには、やはりあの川原しかないと思うのだ。

 出逢いの場所。

 変化の場所。

 そして、新しい命をくれた場所だから。

「うん…それはいいけど、さ。…もしかしてそれってデートのお誘い?」

「っ、健吾君?」

 いきなり何を言い出すのかと焦るが、健吾は唐突に何かを思いついた様子。

「オレ、思ったんだけどさ」

 そうして真剣な顔で話し始めた。

「ほら、リレーで勝ったら告白するって話しあったじゃん? オレの友達さ、告白がうまくいって、その子と付き合うことになったんだ」

「へぇ…?」

 いまだ小学生同士で付き合うという発想に違和感を禁じえない美弥子だが、とりあえず頷いておく。

「それ見てたらさ、やっぱり好きなヤツとは付き合いたいなとか思ったんだ」

「へぇ…」

 次第に雲行きが怪しくなっているような気がしたが、これにもとりあえず頷いておく。

 だが、悪い予感というのは当たるのが常であり。

「しかも姉ちゃん、自分はいつ死んでもいいみたいなこと言うしさ」

「…健吾君?」

 話しの組み方がおかしいと思うのは、美弥子の理解力が足りないせいか。

 少年の次の発言を聞かずに、いますぐどこかへ逃げ出したい気持ちに駆られるが、肝心の当人にそれは伝わらない。

「やっぱ、好きなヤツが側にいたら簡単に死んでもいいとか思わなくなるじゃん? だから姉ちゃん、オレと付き合おう!」

「けっ、健吾君?」

「だってオレ、美弥、好きだよ」

「―――…っ、誰が呼び捨てしていいって言ったのよ!」

 あまりの提案に、こちらもずれた反論をしてしまう。

 だからなおさら、健吾も自分の意見を押し通す。

「だって恋人になるなら“姉ちゃん”って呼ぶのヘンじゃん」

「こっ、恋人になるなんて言ってないし!」

「デート誘ってくれたのに」

「デートじゃないもん!」

「あんま騒ぐと足とか痛くなるぞ」

「誰のせいよ!」

「美弥、オレのこと好きじゃない?」

「すっ、ぁっ…って、小学生と高校生で恋人なんて無理よ、無理!」

「ムリなわけないじゃん。オレは美弥が好きだし、美弥がオレのこと好きなら全っ然、いいじゃん」

 健吾は二人付き合うことにしたいらしいが、美弥子がそれを素直に受けられるはずがない。

 少年の言っていることは、恐らく正論。

 たぶん、とても真っ直ぐで綺麗な気持ちなのだと思う。

 けれど。

「…っ、だって! 普通は有り得ないでしょ、この年の差で…っ」

 普通は。

 普通の生活。

 繰り返しの日々。

 悪い癖が出た、と言ってから気付く。

 だが健吾は更に上手だった。

「フツウってさ、みんな幸せなのがフツウだといいよな!」

 思い掛けない言葉に、息が止まる。

 健吾の言葉に、泣かされそうになる。



 みんな幸せなのが普通だといい。

 それが普通の生活になればいい。

 そうすれば、繰り返しの日々にだって温かな風を感じられるはず。

 変化を求める勇気も得られるだろう。

 逃げないで。

 怯えないで。

 投げ出さないで。

 諦めないで。

 その命、自分ひとりのものじゃない。

 誰かのための命だ。

 だから、どうか。

 どうか生きて。

 間違った終わりに手を伸ばさないで。

 その命は未来に繋がるもの。

 誰かの幸せに続くもの。



“生きたい”と思うだけで。

 本当に、ただそれだけで―――。



「…っ…健吾君て…」

「オレがなに?」

「な、なんでもない!」

「何だよ」

「何でもないったら!」

「じゃあ美弥、オレのこと好き?」

「な、なんで?」

「だって大事なことじゃん」

「付き合ったりしないもの、言う必要ないでしょ!」

「じゃあオレのこと嫌いなの?」

「そうじゃ…っ」

「じゃあ好き?」

「…っ」

 絶対に退かない健吾に、美弥子は自分の心臓が爆発しそうなほど慌しく動いていることだけは、絶対に知られたくないと思った。

 これも“変化”の一つなのかもしれない。

 未来への可能性かもしれない。

 だとしても、素直に受け入れられるものばかりではないのだ。

「美弥、どっち?」

「〜〜〜〜っ、もう知らない!」

 言い放つ美弥子に、けれど健吾は笑った。

 嫌いとは言わない彼女の気持ちなど、ぜんぶ見透かしているように。





                                 〈 了 〉


生きていること、そのものが他人のためになること。

この地上に生まれた瞬間から自分は誰かの幸せのために――誰かが自分の幸せのために存在しているのだという作者なりの考え、メッセージが伝われば幸いです。


またご迷惑でなければ感想をお聞かせください。

よろしくお願い致します。

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