出逢いと遭遇
生きるということは、繰り返しだと思っていた。
ビデオテープを何度も再生するのと同じで、繰り返した分だけ色褪せていき、いつか痛んで壊れてしまう。
それが死だと思っていた。
だから、仕方のないことだと思っていた。
一
「せーの…、ドン!」
その日、松島美弥子は、帰宅途中に通る細道で小学生と思われる少年達の力強い掛け声を聞き、思わず立ち止まった。
住宅街の中を通るこの道は、国道と交わる十字路まであとわずかの、常に車が行き交う細道だ。
「危ないから決してここでは遊ばないように」と、彼女が幼い頃には、母親だけでなく近所の大人たち皆から言い聞かされていたこともあり、ここで子供の声を聞くという珍しい現象に少なからず驚かされた。
何が起きているのか気になり、声のした方へ歩き出す。
「急げ急げ!」
「早く!」
少年達の声が次々と上がり、彼女の足を迷わせることはない。
急げと言われているのが自分ではないと解かっていても、早く彼らを見つけなければならない気になり、いつの間にか走り出していた。
そうして辿り着いたのは国道の下を流れる千年川。
子供の頃には、冬が来るたび飛来する白鳥のため、たくさんのパンを持って母親と一緒に遊びに来た場所で、二メートル程の緩やかな坂を下った先に、川に沿ってどこまでも続く幅四メートルほどの、現在は草むら。
そこに、少年達はいた。
「何やってんだ! そんなんで勝てるかよ!」
「もっと手を振れってば!」
「健吾!」
見ている方も息苦しくなるほど必死に走っている少年――健吾と呼ばれた彼に対して、その前方で頻りに声を張り上げる三人も真剣な顔付きだ。
子供の遊びとはとても思えない光景に、美弥子は足を止めて見入った。
健吾は、他の三人に比べると一回り小さな体をがむしゃらに動かしながら草むらを駆け抜けるが、ゴール地点で彼を待つ三人にとっては納得がいかないらしく、横を通り過ぎた彼に、揃って大きな息を吐いた。
「全然ダメじゃん」
「健吾、これじゃ負ける!」
口々に言われ、彼らから少し離れた位置で身体を折り曲げていた健吾は、肩で息をしながら悔しげな顔になる。
「ごめ…っ…も…一回…」
「おう」
「でも少し休んでからな」
「ん…」
「はい水」
「あり…がと…」
手渡されたペットボトルを受け取り、苦しくても感謝を忘れない健吾の姿勢に「偉いな」と思う。
そして「遅い」「ダメだ」と彼を責める三人も、その一方で健吾を気遣うことを忘れていない。
「いいな」と思った。
友達だ。
少し休むと、健吾は一人だけ彼らから距離を取り、再び友人達に向かって走り出す。
三人は声を上げる。
もっと早く。
もっと、もっと。
じゃなきゃ勝てない。
「…運動会が近いんだろうな」
美弥子は彼らを眺めながら呟いた。
もうすぐ六月になろうかという今時期は、暑過ぎず寒過ぎず、梅雨も無いこの地域だから運動会を開催するには絶好の気候だ。
「勝てるといいね」
応援するつもりで告げた後、自分の通学路に戻ろうと身体を反転させた。
と同時、その前方を塞ぐように佇んでいる少女に気付かされる。
自分と同じ年頃で、ウェーブの掛かった髪のせいか、雲のようにふわふわとした印象を抱かせる、目鼻立ちのはっきりした女の子。
彼女は無表情でこちらを見つめていたが、不意に挑戦的な笑みを浮かべた。
美弥子が思わず一歩後退すると、彼女の笑みはますます深まる。
「…面白いくらい他人事ね」
彼女は告げる。
美弥子には意味不明な、その言葉。
「いつ死んでも仕方が無いって感じかしら…次に会う時までには、その考え方を改めてくれていると助かるんだけど?」
「な、何の話を…」
彼女の威圧的な態度に気圧されながら、何とかそれだけは言い返した美弥子だが、相手にとってはそれすらも楽しみの一つでしかなかったようだ。
くすくすと声を立てて笑いながら、距離を詰めてくる。
美弥子が動揺して更に後退すると、その倍の歩幅でぐっと近づいてくる。
「松島美弥子さん」
弾んだ口調で名を呼ぶ。
微笑む。
「少しは“生きたい”と思えない?」
「ぇ、―――」
すぐには彼女の言葉が理解出来なかった。
ようやく脳が言葉を聞き入れた時には、彼女の姿は既になかった。
あまりにも不可解な相手の言葉に、しばらく放心してしまっていたようだ。
背後からは少年達の強い声。
上空では陽が傾き始めている。
「…なに…今の人……」
呆然と呟く。
意味が解からない。
生きる、って。




