無題
あと30cm。死と生のラインがそこに引かれていた。こうバリアみたいな壁が、そこには存在しているらしい。それは偶然とか必然とかそんな確率論的なことではなくて、きっと気まぐれな神様が何となくセッティングしたものなのだろう。
車体後部から黒煙を上げて猛スピードで驀進してくる重量トラックを視界に捉えたのは、実は三人と一匹の内、ぼくが一番遅かった。横断歩道を渡ろうとしていた順番は、若い男、老人とそのペットの犬、そしてぼくであった。速度を落さず止まる気配の無いトラックが一直線に突っ込んでくるということの“異常さ”に気付いたのも、おそらくぼくが最後だ。犬の怯えたような吼え声。その声に驚いた若い男と老人が犬の見据える方へ視線をやって凍りついたのを見て、ぼくもようやく事態を把握した。若い男と老人が見つめる先にあるものを見た。理解は及んだ。つまるところ、何らかの事故によってトラックがこちらへ向けて突進してくる。このままだと危ない。そのことは理解できたが、そこから先へ思考も行動も進展しなかった。三人と一匹は、まるで時間が止まってしまったかのように、点滅し出した信号機の前で、横断歩道の黒と白の縞々模様の上で、立ちすくんでいた。
何の遠慮も無く、トラックはそのおかしな空間を一瞬で引き裂き、ぼくの目先を掠めて、そのまま通り過ぎて行った。顔に風を感じることができるほどの距離であった。トラックはそのまま直進して、カーブにさしかかった所でガードレールを突き破り、道の先にある土手の下へと消えた。
そして、老人と犬の姿も消えていた。眼前にはただ一人若い男が大口開けて、ポカンと突っ立っているだけであった。
十秒か、一分か、どれほどの時間が経っていたのか判然とはしないが、土手の下で、大気を震わす爆音が響き、それが引き金になったように、他の通行人の誰かが悲鳴を上げた。若い男は腰が抜けたか道路にへたり込んだ。
ぼくはことのあらましをそこまでしか覚えていない。それから、救急車とパトカーと消防車が駆けつけて、警官に肩を叩かれ「大丈夫か」と尋ねられるまで、ぼくの記憶は無い。そのままの姿勢で立ち尽くしていたらしいが、何一つ覚えが無かった。
老人の死体は数十メートル先にあった。老人の手首とリードで繋がっていた犬の体も同じ場所で見つかった。体の状態はそれほど酷くないと、警官は言っていた。当たり所がよかったらしい。トラックの運転手の方がどちらかといえば肉体の損壊は激しかったようで、炎上爆破したトラックの中で死んでいた彼は、その原形すら留めていなかった。
ぼくは事故時の仔細を警官に話した。制服を着ていない、背広姿の、あれは刑事だろうか、その警官は実に色々なことを聞いてきた。若い男も同じように別の警官の洪水のような質問を浴びていた。
ぼくと若い男は裁判になったときの証人となることを頼まれて、ようやく開放された。事故発生から五時間が経っていた。
結局裁判にはならなかった。一人身だった老人には遺族が居らず身元の特定ができなかったらしく、それにトラックの運転手も死亡してしまっていたので、裁判の起こしようがなかった。地方紙の片隅に載る程度の事故はすぐに終結した。
老人と犬は死んだ。でも、ぼくも若い男も生きている。ほんの数十センチの差だ。ぼくと彼は外側にいた。でも、老人と犬は内側にいたわけで、それだけの差だ。若い男の歩幅がもう少し小さかったり、ぼくの歩幅がもう少し大きかったりしたら、死体は三つ、もしくは四つになっていたことだろう。
ぼくは毎年、老人と犬が死んだ日、あの横断歩道の一角に花を供えることにしている。毎年とは言っても、五年前からだが、なんとなくそのまま今も続けている。
何のためにやっているのか、多分老人と犬の供養のためではないことは確かだ。もちろん、それも目的の一つではあるが、軸たる目的ではない。あと30cm。あと一歩。その差は何なのだろうか。本当に、一体何だというのだろうか?ぼくにはそれが分からない。それが分かるまでぼくは花を供え続けるつもりでいる。
ぼくや若い男の運が良かったのか、老人や犬の運が悪かったのか。それともこれは必然?もしくは偶然?多分、違う。
一輪の菊の花を花瓶に挿す。手を合わせて、一分間黙祷。毎回それだけのことをする。けれども、ぼくは祈る名を知らない。老人の名も犬の名も知らない。これからも知ることはない。知る術はないし、きっと知ろうともしない。ただ、手を合わせて祈る。そして、考える。どうして、彼らは死んだのか?どうして、ぼくは生きているのか?その差は何なのだろう、一体・・・。




