第3話 稲穂の狐と白蛇
遠くでアラームが鳴っている。
そのアラームはだんだんと近づいて来るように感じた。
アラームの正体に気が付いた僕はそのアラームの発信源を目をつぶったまま、手探りで探した。枕の裏にあるのを見つけると、重たい瞼を半分開けてアラームを止めた。
スマホの画面にはAM.6:00と書いてある。
隣の布団を見ると誰もいない。
布団は敷いた状態で乱れてはいなかった。
やはりあの神さまは、僕の見た幻だったわけだ。問題が一つ解決したことに安堵した。
僕は布団から起き上がり、大きく背伸びをしていると、なんだか身体中をべとべとした不快な感触がしていた。
そういえば昨日はお風呂に入りそびれたんだった。
僕は持ってきたバッグから着替えを取り出し、あくびを噛み殺しながら風呂場へ向かった。
浴室へ入ると、右手に小さめな浴槽があり、目の前にはシャワーが据え付けられている。
シャワーを出して、しばらくするとお湯が出てきた。
良かった、お風呂はガスがあるみたいだ。
僕は安心してシャワーを浴びた。
風呂を出て着替えをしていると、炊事場の方から美味しそうな匂いが漂ってきた。
気になり向かってみると、居間のテーブルに大きなおにぎりが二つとお味噌汁が入ったお椀が二つ置かれている。
なんだこれは…と考えていると、玄関から誰か入ってきた。
「おや、お主起きたか」
そこには壺を抱えた昨日の少女姿の神さまがいた。
「…なんで」
「なんで?あぁ、この姿か。あの大人の姿はな、ちとチカラが必要でな、あまり長い間使えんのじゃよ。ソチには残念じゃったな」
小鈴さんはヨイショと言いながら炊事場の台の上に壺を置いた。
「いや、僕が言っているのはそういう意味ではなく…」
「まぁまぁ、朝ごはんを食べてからにしてくりゃれ。今大根の漬物を出すんでな」
そう言って小鈴さんは壺から大根をまな板に取り出し、包丁で切り始めた。
僕はゆっくりとテーブルの前に座り、お味噌汁に映る自分を眺めていた。
わからない、これは現実なのか夢の中なのか。
「なにを頭を抱えておるのじゃ、ほれ、食べんさい、腹が減っては戦はできぬからのぅ」
小鈴さんは漬物が入った小鉢をテーブルに置きながら言った。
「このな、おにぎりはな、ワシが大事に大事に見守って育てたお米なんじゃよ。さぁ、食べんさい」
僕はおにぎりを一口食べた。
…美味しい。
今まで家で食べていたご飯とは比べ物にならない。甘みがあり、程よい弾力があって一粒一粒にしっかりとした存在感を感じる。
僕は驚きのあまり彼女の顔を見て言った。
「とても美味しいです」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
彼女はこちらを見ながら目を細め嬉しそうに笑顔で言った。その顔は自分の大切なものを褒められた時のようだった。
僕はその彼女の顔を見て胸がドキリとした。
「さぁさ、もっと食べてくりゃれ。お主にはこの後、働いてもらわなくちゃならんからの」
僕は何のことだろう、と思いながらも朝ごはんに舌つづみを打ちながら食事を楽しんだ。
「ふぅ、こんなにちゃんと朝ごはんを食べるのは久しぶりです」
僕はいつも朝ごはんは食べない派だった。二人で食器を洗いながら言う。
「男は朝ごはんを食べんと田畑で力が出せんじゃろうに」
「まぁ、僕は畑仕事はしないので」
「最近の若い人間は田畑を耕かさなんだ?道理でワシのチカラが減っていくわけじゃ」
食器を洗い終えると、小鈴さんはこちらを向いて言った。
「よいか、恒一。お主にはある仕事をしてもらう。それはワシの祠を取り返して欲しいんじゃ」
「祠?」
「そうじゃ、この裏山にあるワシを奉る祠がある。じゃが、ワシが腹を空かしてな、チカラが衰えている時に、あの憎き白蛇の御白がワシの祠を奪ったのじゃ。山の中で静かにしていればいいものを、ヤツの結界のおかげでワシは近づく事が出来ん」
昨日の、ソチらの所為であろう!と言って怒ったのはこういう事だったのか。
「祠がないとワシは本来のチカラが出せんのじゃ、このままでは稲穂を守れん」
「事情は分かりました。ただ、その白蛇さんも神さまなんですよね?神さま同士の争いに僕みたいな中学生が役に立つとは思えませんが」
「別にお主に戦ってもらいたいわけでは無いぞ、祠の結界を解いてもらいたいのじゃ」
「結界を解く?」
「ヤツは元々は山の中の神じゃからな、たまに森の中に戻らんとチカラが出せんのよ。しかし、ヤツが居なくなっても祠の中にあるヤツの結界石が邪魔でワシが近づけん。そこでそれをお主に取ってきて貰いたいのじゃ」
「その結界とやらは僕には効かないんでしょうか?」
「お主は外を歩いていて何もない空間にぶつかった事はあるかぇ?」
「ないです」
「じゃあ大丈夫じゃ」
本当に大丈夫なのだろうか、持ち帰って呪い殺されたりしないだろうな。
「では、行くぞ。恒一」
「えっ、もう行くの?」
「当たり前であろう、ヤツは朝に一時森に帰るのでな」
そう言って小鈴さんは玄関を出て行った。
僕はしかし展開が早いな、と思いながら頭をかいた。
そんな今からいってそんなすぐ終わるのかな、そもそも祠までここからどれくらいの距離があるのかも分からないし、おじいちゃんのお見舞いも行かなきゃだしなぁと考えていると、ドタドタと誰かが走ってくる音がした。
「きさん、何をぐずぐずしておる!さっさとこんかい!」
「あっ、はい」
僕は小鈴さんについて行った。
祠まではおじいちゃんの家から徒歩十五分ほど歩いた場所にあった。
祠は大きな木々に囲まれており、森の中特有の香りが僕を厳かな気持ちにさせた。
「あそこじゃ」
彼女は木の幹に身を隠しながら小声で言ったので、僕もそれに倣った。
「今は白蛇さんは居ないんですかね?」
「おらんの、いつも居る時はでかい図体でこれ見よがしに祠に巻き付いて寝ておる。むむむ、思い出しただけで腹が立ってきたぞ」
彼女は歯を食いしばり怒りのオーラに満ちている。
「今のうちじゃ、お主行ってたもれ」
僕は中腰になりゆっくりと祠へ向かった。
近づいて見ると祠はそんなに大きくなく、朱塗りの屋根の下に格子状の観音扉が付いていた。
…開けていいのかな、なんか罰当たりな事をしているような気になってきた。
でも神さまの命令だしいいか、そう思い祠の扉を開けた。
中には手のひらくらいの赤い巾着袋と何やら異様に青黒い丸い石が置いてある。
「結界石って言ってたし、こっちかな」
僕はその青黒い石を手に取った。
小鈴さんの方を振り返ると、彼女が大仰に両手を振っている。僕は石を持っていない方の手を彼女に向けて振った。
「貴様、何をしている」
人の声のような獣の唸り声のような入り混じった声がした。
それは、地響きのように心の奥深くまで振動するようだった。
僕が振り返ると同時にお腹に強い衝撃が走り後ろへ突き飛ばされた。
突き飛ばされ尻もちをついた僕は痛さのあまりお腹を押さえうずくまった。
「恒一!」
小鈴さんが僕を呼ぶ声がする。
「また貴様か、稲穂の狐。人間なんぞ差し向けよって。いい加減諦めたらどうかね?」
「この畜生がぁ」
辛うじて開けた目で小鈴さんの方を見ると、そこには狐の姿があった。
狐が僕に向かって走ってくる。
「そうはさせないよ」
異形の声の主はそう言ったと同時に僕は宙に浮いた。
お腹には白く太い物が巻き付いている。それは触るとザラザラとし、爬虫類のようだった。
上を見上げるとそこには大きな白蛇が口を開けていた。牙は注射針の先端のように鋭く、赤い細長い舌がヒョロヒョロと波打っている。
「恒一」
下を見ると少女の小鈴さんが居た。
彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「稲穂の狐よ。人間を返して欲しければ、山の頂上にいる龍神から秘宝の勾玉を盗んで持ってこい。さればこの人間は返そう」
「誰がきさんの命令なんか聞くか!」
「うぐぁああああ」
お腹の締め付けが強くなり痛みのあまり僕は叫んだ。
「ならばこの人間が死ぬだけだ」
「この畜生が。持ってくるから必ず恒一を生きて帰せ」
「ふむ、約束は守ろう。この人間が生きているうちはな」
小鈴さんは狐の姿に変わり森の方へ走って行った。
「さて、この人間はどう使うか」
異形の物の声を聞きながら、僕の意識はどんどんと薄れていった。




