第7話 「狩り」
男は、獲物を前に立っていた。
でっぷりと太ったそいつは、真っ白い壁に体を張り付けながら小刻みに震えている。
「お願いだ⋯⋯やめてくれ⋯⋯」
ほとんど息しかない声で獲物は言った。
男は答えずに、手に持っている剣で切りつけた。
いとも簡単に、獣が小動物を狩るかのように。
血しぶきが上がる。
獲物は何も発さず、だらりと床に崩れ落ちた。
男は、足元にある死体を見つめる。
壁に立てかけていた剣を拾った。
他国の名工が作り上げた貴重な品で、つい最近手にしたものだった。
鞘から抜き、パンパンに太った死体の腹に剣先を向ける。
突き刺した。
ぬるっと入っていき、火山が噴火したように腹から血が流れた。
しかし当然のごとく、死体は声を上げない。
サクッという音が響くだけ。
しばらくそのままで、それから抜いたり刺したりを繰り返した。
腹に空いた穴は次第に大きくなっていき、より滑らかに剣は動くようになった。
その感触を確かめる。
目を瞑り、手のひらに意識を集中する。
ああ⋯⋯。
素晴らしい剣だと思った。
流石は名工。
顔がほころぶ。
これは儀式だった。
剣の味を確かめる儀式。
名剣を手に入れては適当な人間を部屋に運び込み、密かな愉悦を味わう。
どんな美食も美女も、この快感をもたらしてはくれない。
昇天する情動。
男は、裏街で生まれ育った。
父は平凡な一盗賊だったが、その影響で六歳にして早くも入団し、戦闘員として腕を磨いた。
当時の頭からは絶大な信頼を置かれ、優秀な騎士ですら敵わないほどだった。
挙句の果てにはライバルの盗賊団をたった一人で殲滅し、敵が所持していた剣を戦利品としてすべて持ち帰った。
それらの刀身には、一切の刃こぼれが見られなかったという。
そして現在、『千の剣』の頭として、毎日の儀式に取り組んでいる。
刀身に付着した血を布で拭いた。
それから小一時間ほど道具を使って手入れをし、鞘に収めた。
真っ白い部屋で繰り広げられた惨状をそのままに、隣の部屋に向かう。
そこは寝室兼収集部屋であり、壁中に無数の剣が垂れ下がっている。
男の宝物だ。
手に持っていた剣を空いている壁に垂れ下げ、ベッドに向かった。
真っ白い鞘に入った一振りの剣が置かれている。
それをゆっくりと手に取った。
鞘から抜く。
どこか煌めいているような滑らかな刀身に、美しい竜の紋章。
生涯で目にすることはないと思っていた、幻の逸品。
勇者の剣だ。
惚れ惚れとした。
一日中でも見つめていたかった。
腰に下げてある剣も抜いた。
この国一の名工が男のために作り上げた品であり、もう何年も生活を共にしてきた愛剣だった。
二つを見比べる。
自分以外誰も持っていない世界最高の品々。
今、この手に。
口角が延々と下がらない。
人生最大の幸福感だった。
そしてこれから、さらなる快感を手に入れる。
男は二振りの剣を腰に下げると、廊下にいる召使いを呼んだ。
新たな獲物を持ってこさせるのだ。
しかし、返事がない。
男は苛立ちを覚え、もう一度呼ぶ。
自分の声が響くだけ。
舌打ちをしながら部屋の入口に向かい、ドアの取っ手に手をかけた。
その瞬間、悲鳴が聞こえた。
団員のものと思われる悲鳴。
数秒固まったが、即座に頭を回転させた。
状況を理解する。
恐らく勇者だろう。
酒や女を送りまくり、徹底的に籠絡したつもりだったが、今更正気を取り戻したか?
勇者一人なら勝てる自信はある。
所詮は魔王討伐に失敗し、酒に溺れるようなただの若造だ。
しかし、奴らは複数人での見事な連携で戦う。
さらにここは狭い。
分が悪いと判断した男は、一旦退却することにした。
部屋の片隅にある隠し扉を開ける。
かすかな明かりが灯り、地上まで細い階段が続いている、
奥までは、暗くてよく見えない。
足取りは軽かった。
聖剣の魅力を最大限に引き出すためにどんな獲物を使用しようか、そのことばかりを考えていた。
一つ目の段を踏みしめた。
そのときだった。
視界が分裂した。
胴体を真横に切断したときのように、ズルズルと、目の前の景色が分裂していく。
上半分が斜め下にずれていく。
何が起こったのか分からず、両足は完全に停止した。
天井を見上げる。
動いている。
ちょうど頭の上で、横にスライドするように動き、加速し、屋根が消えた。
月が見えた。
頭のてっぺんがひんやりした。
手で触って見ると、そこだけごっそりと禿げていた。
しばらく動けないでいたが、それでも数多の視線をくぐり抜けて来た男。
冷静さを取り戻す。
千切れた壁の上を見た。
誰かが立っている。
頭に妙な突起の付いた人間。
まるで、猛獣の耳のような。
そいつは壁から飛び降り、階段に立った。
爛々と真っ赤な目が光っている。
勇者⋯⋯か?
困惑した。
男はもちろん勇者の姿を知っていたが、目の前に立ち尽くすその存在は記憶にあるそれとは全く異なっていた。
頭にあんな突起は生えていなかったし、何より、異様にデカかった。
五段ほど下に立っているのに、なぜか同じ高さに目線が合う。
身震いがした。
暗闇に体を染めた異形の猛獣を前にしている気分だった。
咄嗟に呼吸を整える。
「聖剣はどこだ?」
そいつは言った。
平坦な声だった。
「知らねえな」
男は答えた。
明らかに人間であることに安心した。
「そうか」
ぽつりと呟くと、そいつは階段を上がり始めた。
一段一段、じわりじわりと、剣を体に刺していくように。
男は腰を落とした。
いける。
こいつは勇者ではない。
仲間の誰かだろう。
他に誰かがいる気配はない。
一人で突っ込んできたのか?
まあリーダーがあの調子なら十分にあり得る。
所詮、魔王がいなけりゃ何の役にも立たない奴らよ。
男は愛剣に手を伸ばし、柄を握った。
もう片方の手はしっかりと鞘を抑えている。
居合。
それが男の得意技であった。
呼吸する隙も与えない、何が起こったのかも分からせない。
どんな相手も一撃で仕留める。
光のように、両断する。
意識が一点に集まった。
世界から音が消えた。
愛剣と、体が一つになった。
もう一段、相手が踏みしめようとしたその刹那、男は一閃した。
はずだった。
剣を抜き放ったはずの手は、スカッと虚空を舞った。
肉体を両断する感触は一切なく、風を切る冷たさが腕を包んだだけだった。
男は戦闘中にも関わらず、首を傾げた。
まるで、忘れ物でもしたかのように。
腰に目をやった。
剣は鞘に収まっている。
抜いたはずなのに。
柄を見ると、何かがひっついていた。
というより、握っている。
人間の手だった。
手首から先のみ。
「ひゃああああああああああ」
男は叫んだ。
戦いの場で決して口にすることのない無様な叫び。
両足から力が抜けて尻もちをついた。
そこにはすでに血溜まりが出来ていた。
顔を上げた。
そいつはこちらを見下ろしている。
夜空を背景に、星のように二つの赤い光が瞬いている。
片手には剣。
刀身には涙のように血が伝っている。
相手がいつ剣を抜いたのか分からず、一層混乱した。
加えて体が冷え込み、痙攣が起こった。
男は逃げた。
強引に体を翻し、四つん這いで階段を上った。
まだ右手が存在しているという錯覚を度々起こし、何度も何度もバランスを崩した。
寝室の扉を開けて中に入る。
しかし当然、相手は着いてくる。
ふらふらとした拍子に足が絡まり、壁にぶつかった。
無数の剣がぶら下がっている自慢の壁だった。
雪崩のように宝物たちは落ちてきて、いくつもの金属音が鳴り響いた。
男の背中を強打する。
激痛が走る。
上手く呼吸が出来ない。
立ち上がった。
執念であった。
曲がりなりにも、この国で最大の盗賊団を率いてきた。
こんなところで死んでたまるものか。
そして何より、腰に下げている勇者の剣。
長年の夢。
まだ手中にある。
足元に落ちている剣を鞘から抜き、ぶん投げた。
高速で回転し、ちょうど部屋に入ってきた相手に飛んでいった。
しかし撃ち落とされた。
蚊でも払うかのように、片手をひらひらとさせていた。
男はもう何本か投げ、廊下に続いている入口に走った。
全て防がれていることは分かっていた。
しかし構うことなく走った。
ドアの取っ手に手を伸ばす。
つい右手を使ってしまう。
「クソッ!!」
もう片方の手を伸ばす。
ベットリと付着した汗やら血やらで上手く握れない。
指を強打し、あらぬ方向に曲がりそうになった。
後ろを振り返る。
床に散らばった剣を避けながら、そいつはこちらに近づいている。
「クソクソクソクソクソクソクソ」
苛立ちをぶつけた。
恐怖を投げつけた。
そしてついに、取っ手を掴んだ。
ドアを開ける。
一歩踏み出した。
瞬間、足首の感覚がなくなった。
当然立っていることも出来ず、体は傾き、顔面を床に打ち付けた。
ぬちゃりという感触がした。
目を開けると、視界が真っ赤に染まっていた。
何かが付着した顔を手で拭う。
目の前には血溜まりがあった。
到底自分が出したものとは思えないほどの量。
辺りを見渡すと、壁によりかかって倒れている人間がいた。
でっぷりと太った男で、虚ろな目でこちらを見ている。
背筋が凍った。
入口ではなかった。
極度に混乱した頭は、男の『儀式部屋』を入口と誤認していたのだ。
思考は錯乱していた。
夥しいよだれが血溜まりに垂れた。
生ぬるい鼻息が地面を反射して顔に当たる。
ガタリ、と音がした。
後ろを振り返る。
そいつはそこに立っていた。
男の足首に刺さっている剣を抜き、床に放り投げる。
そこで初めてその姿を認識した。
魔法使いのような真っ黒いローブに身を包み、獣の耳のようなものが頭部についている。
フードの奥の顔はよく見えない。
「聖剣は返してもらう」
そいつは言った。
男は答えることが出来ない。
何とか体を翻し、じりじりと壁に逃げる。
視線は男の顔を捉えている。
聖剣を抱きしめた。
渡したくはなかった。
大切なものを片時も手放さない子どものようだった。
「うえ⋯⋯いやだ⋯⋯やだ!!」
息を吸いすぎて、口の中が乾燥した。
呼吸をする度に喉に痛みが走った。
「そうか」
そいつはそう言うと、フードを払い除けた。
明らかに人ではない灰色の肌。
赤い瞳。
二本の角。
「ギャアアアアアアアアア!!!!」
絶叫がこだました。
四方の壁に亀裂が入ってしまうほどだった。
魔族。
幼い頃から徹底的に嫌悪するよう教えられてきた存在。
人の子を攫って殺し、その死体を貪る怪物。
視界がぼやけ始めた。
薄っすらと、黒い何かが立っているだけ。
そして再び鮮明になり、ぼやけ、また鮮明になる。
「魔族が、どうやって仲間を弔うか、知っているか?」
そいつは言った。
こちらに近づく。
「お願いだ⋯⋯やめてくれ⋯⋯」
ほとんど息しかない声で男は言った。
何も出来ず、何をされるのかも分からず、お守りのように聖剣を抱きしめている。
そいつは前屈みになった。
ゆっくりと、なぶり殺しにするように、男の腰から剣を抜いていく。
「墓の上に、そいつの愛剣を突き立てるんだ」
サクッ、という音が聞こえ、愛剣が男の腹を貪っていく。
かすかな熱を感じ、やがて業火に包まれた気がした。
同時に、凍えるような冷気に包まれ、ピクピクと痙攣した。
やがて静まり、体は停止していく。
暗転していく視界の中、これまで弄んできた無数の人間の顔が浮かんだ。
真顔でこちらを見ている。
眺めている。
浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、増殖し、明滅する。
そして、先ほど殺した男の顔が浮かんだ。
満面の笑みで、こちらを見ていた。




